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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
2/83

〈一〉失業

 最悪だった。


 あるいは朝起きた段階で、そんな兆しはあったのかもしれない。


 そういえば今朝、下宿先の女主人は俺にだけ挨拶を返してくれなかった。朝食の目玉焼きは俺のものだけ黄身が潰れていたし、家を出る時には右足の靴紐が切れ、おまけに出勤途中には野良犬に三回も吠えられた。


 思い返せば心当たりは山ほどあった。なるほど、今日が最悪にツイていない一日であることは、もしかしたら既に様々な形で予告されていたのかもしれない。


 改めて目の前の張り紙を見る。


「傭兵ギルド『夕陽の組合』は三月三十日をもって閉鎖いたしました。長年のご愛顧ありがとうございました」


 門扉の前に掲示されたその羊皮紙を、俺は十回は読み返したと思う。しかし、何度読んでもそこに並んだ文章に変化は無かった。


 二週間の出張から戻って出勤したら、俺の職場が潰れていたのだ。


 頭がまともに動き出すまで、三分ほどの時間を要した。


 おい、待て。何だこれは。


 疑問を言葉にしてからは早かった。俺は弾かれるようにして建物の裏手に回り込み、裏口を目指して走った。


 こんな唐突に会社が潰れるなんてことがある筈が無い。きっとこいつは俺を驚かす為の同僚達のジョークに違いない。


 しかし、駆け込んだ事務所の中で見た光景に、再び俺は愕然とすることになった。


 通い慣れた十米程度の小部屋。そこにはいつものように窓から朗らかな朝陽が射し込み、宙に舞う微量の埃を照らしていた。


 が、それだけだった。そこには書類だらけだった首領のデスクも、カビ臭い顧客名簿で埋め尽くされた書棚も、継ぎ接ぎだらけの応接ソファーも、何も無かった。いくつかの木箱が床に転がっている他には、ただ伽藍とした空気だけがその空間に満ちていた。


 もぬけの殻、という単語がこれほど似合う光景を、俺は今まで見たことが無い。


 おいおい、同僚たちよ、ジョークにしては大がかり過ぎやしないか?


 呆然とその場に立ち尽くしていると、背後の扉が開く音がした。目を向けると、見知った顔が荷造り用の木箱を抱えて事務所に入ってくる所だった。


 その人物は一瞬目を丸くし、俺の名を呼ぶ。


「おう、ソード」


 筋骨隆々を絵に描いたような、無精髭の中年男だった。


「出張はどうだった、やはり南の方はもう暖かかったか」


 我が上司にして組合最高責任者、ハン首領はそう言って口の端を上げる。そんなまるでいつもと変わらぬ調子に、疑問よりもまず怒りが湧いてきた。


「こいつはいったいどういうことだ!」


 胸ぐらに掴み掛からんばかりの俺を前に、首領はばつが悪そうに頭をごしごしと掻いた。


「どういうことも何も」そこで苦笑。「御覧の通り、こういうことさ。ウチは潰れた。解散だ、解散」


 悲愴や絶望など微塵も伝わってこない、むしろ朗らかと言っても良い口調だった。この男は何を飄々と、とんでもないことを言っているのだ。


「潰れた? 解散? そんな馬鹿なことが」


 あってたまるか、という俺の叫びは、首領の溜息で打ち消される。先ほどとは打って変わって、諦観を孕んだ重く暗い溜息だった。


「教会から通告が来てな」


 首領はジャケットの懐から一枚の紙を取り出す。くしゃくしゃになってはいたが、随分と上等な紙だ。よく見ると教皇庁の紋章が透かしで入っている。


「何だ、これ」

「御上直々の勧告状だよ、最後通告さ」

「そんな横暴な」


 首領の手からその勧告状とやらを奪い取り目を向ける。小難しい単語の寄せ集めにしか見えなかったが、その紙が言わんとしていることは何となく理解出来た。

 組合を解散しろ。要するにそういうことだ。


 もはや憤りやら混乱やらで言葉も出ない。首領はそんな俺を、まるで理解の遅い息子を見るかのような、生温い目で見下ろしていた。


「ま、座れや。と言っても、残念ながらもう椅子は無いんだが」


 どこか自嘲気味な首領にしばらく胡乱な視線を向けてから、俺は渋々床に腰を下ろした。首領は荷造りの終えた木箱の上に腰掛け、懐から煙草を取り出して火を点けた。


「お前も吸うか」


 差し出された煙草を一本ひったくる。が、自分のジャケットのポケットを探るもライターは見つからなかった。どうやら忘れてきたらしい。まったく、どこまでツイてないんだ今日は。


「ほれ」


 首領が火の点いたオイルライターを俺に差し出す。俺は苦虫を噛みながら、くわえた煙草の先端をそれに近づけた。その様子を見ながら、首領はわずかに目元を緩ませる。


「覚えているか、ソード」

「何をだ」

「七年前、おまえが初めてこの組合に来たときも、おまえはライターを忘れた。俺が今みたいに火を点けてやったんだ」

「覚えてないな」

「そうか。俺は覚えている」

「中年の感傷に付き合ってやれるほど、今の俺の心は広く無いぞ」

「ああ。だろうな」

「知った風な口ききやがって」


「そりゃそうさ」と、首領は口元を緩める。「七年も付き合っているんだからな」


 細められた目に、俺は舌打ちを漏らす。


「で? 成り行きは説明してくれるんだろうな」


 俺の問いに、首領は紫煙を吹きながら答えた。


「まぁ、通告自体は以前から何度か受けていたんだ。一年前に皇都で新しい教皇が就任してから、国全体の行政構造は大きく変わった。それは知ってるだろう」


 俺は無言で頷く。皇都における大規模な行政改革。難しいことは俺には分からないが、国の構造が大きく変わったことぐらいは、新聞を斜め読みしている俺にも伝わってきた。


「例の『理想郷政策』ってやつか」

「ああ。で、この街から民間の武力組織を除外することも、教皇庁の目指す『理想郷』造りの為に必要なんだそうだ」

「だからって、あまりにも唐突過ぎるだろう。だいたい、その勧告状が届いたのはいつなんだよ」

「五日前だ」


 呆れてしまった。あまりにも馬鹿げている。そんな急に申し渡してくる教会も教会だが、それに答える組合も組合だ。


「ったく、何だって急にそんなことに」

「一カ月前にこの街に来た枢機卿のせいさ」


 枢機卿。


 それは皇都から地方都市へ毎年派遣される任期付きの行政官のことだ。


 都市の行政に干渉する越権を持ち、それが教皇の命に沿ったものである限り、如何なる政策も行使出来る。有する権限の数は州の最高権利者と定義されている州議長よりも上であり、それゆえ実質的な地方行政の支配者であることは言うまでもない。


「ジェームス・マルムスティーン卿、か」


 実際にお目にかかったことは無いが、何度か新聞で写真を見たことがある。白髪交じりの金髪をし、捉え所の無い顔立ちをした初老の男。枢機卿なんて肩書きが無ければ、顔を見た次の瞬間には存在ごと忘れてしまいそうなほどに影の薄い男だった。


「萎びた胡瓜みたいな男だったよな、確か」

「お前の例えはいつもなかなか面白い」


 とハン首領は笑った。しかしすぐにその顔に苦々しさが宿る。


「だが、温厚そうなツラをして今回の行政官はかなり強引な奴だ。ウチだけじゃない。イクスラハの傭兵組合は今週だけで四つ潰れた。残ってるのは『朝焼けの組合』、『月夜の組合』の二つだけだ。ま、それも時間の問題だろうがな」


 俺はその話を聴きながら天井に向けて煙草の煙を吹いた。


 俺が組合に入った頃、つまりは七年ほど前まで、この街、イクスラハでは二十近くの大小様々な傭兵組合が鎬を削っていた。


 商業貿易が盛んになり、海外から多くの商人たちが入ってくるようになると必然的に傭兵の需要も高まった。『牙持つ獣たち』の対策として都市間の移動に傭兵を雇うのはセオリーだったし、大口の荷物を運搬する為に人材も必要だった。商業の活発化に比例して傭兵稼業もまた隆盛を極めていったわけだ。


 それが今や残っている傭兵組合は二つだけだという。何とも気の滅入る話だ。


「しかし、腑に落ちないな」と俺は口開く。「よく組合の傭兵たちがそんな話を受け入れたな。あの血気盛んな連中だろ。そんな扱いされりゃ、それこそ反乱でも起こしそうな奴らばかりじゃないか」


 首領は一呼吸分の沈黙を挟んでから、答えた。


「たぶん、組合の経営者たちも、あるいはその傭兵たちにも、潮時が分かってたんだろう」

「潮時だ?」


 首領は煙草をくわえ大きく吸い込んでから、まるで溜息のように紫煙を吹いた。


「イクスラハが『傭兵の街』なんて言われていたのはもう過去の話だ。四年前に大陸横断鉄道が出来てから、傭兵の仕事は極端に減った。ここ四年で消えていった傭兵組合の数は十を越える。教会が動かなくても、いずれほとんどの傭兵組合は潰れていたさ」


 何だよ、それは。


 そう叫びたい気持は、ハン首領の伏せた瞳に押しとどめられた。彼のそんな目は今まで見たことがなかったし、見たくもなかった。


「なぁ、ソード。お前だって薄々気付いていただろう。最近じゃ仕事の依頼だって週に一度あれば良い方だった。もう都市間の移動に危険を冒す必要も無くなったんだ。今じゃ『牙持つ獣たち』だってよほど未開の地にでも行かない限りは出くわさない。もう、傭兵の時代じゃないんだよ」


 俺には何も言えなかった。俺だってそのことには気付いていた。気付いてはいたが、見ないふりをしていた。


 俺はまだ長い煙草を床に落とし、足で踏み消した。


「……俺の留守中に組合を畳んだのも意図があってのことか、首領」


 首領は苦笑しつつ、小さく頭を下げた。


「すまなかった。おまえのことだ、教会の連中に剣を抜いてでも反対しただろう」

「他の連中は?」

「納得はしてくれなかったが、理解はしてくれたよ」


 首領の話によると、組合の退職金と教会から下りる保険金があったらしい。理解してくれた、というよりも、理解させられた、と言った方が正確だろう。


「ああ、もちろん、おまえの分は口座に振り込んである。今回の出張費も含めてな」


 俺は無言で天井を睨んだ。怒ればいいのか、嘆けばいいのか、それが分からなかった。状況を、或いはその構造をちゃんと理解出来てしまうことが、それらの感情を押しとどめていた。


 もう、傭兵の時代じゃない。


 結局はそういうことだった。


「首領はこれからどうするつもりだ?」

「俺か? そうだな」


 そこでハン首領は口元に微笑を浮かべる。


「退職金で花屋でもやろうかと思っている」

「花屋?」

「ああ。今まで何かを育てたことは無かったからな」

「何だそりゃ」


 この男が草花を愛でる姿を想像して、俺は思わず笑ってしまった。まったく、似合わないにも程がある。

 笑う俺を前に、首領は顔をしかめた。


「失礼な奴だな。じゃあソード、おまえはどうするんだ?」


 俺はその質問を鼻で笑い飛ばし、立ち上がる。


「ついさっきリストラを言い渡されて、次のことなんか考えていると思うか」

「ははは、それもそうだな。悪かった」


 首領も立ち上がり、腰掛けていた木箱を持ち上げて肩に乗せた。空いている手で、俺の肩を軽く叩く。


「ま、大丈夫さ。おまえはまだ若い。何だって出来る」

「軽い言葉だな」

「ま、他人事だからな」

「ひでぇ上司だぜ、まったく」

「もう上司じゃないからな」


 俺が憎々しげに舌打ちをすると、『元』首領はカラカラと笑った。そのいつも通りの笑い声を聞くと、憤りを抱いているのも何だか馬鹿らしくなってしまった。


 怒りの先に待っていたのは、これから再就職活動をせねばならないという憂鬱だけだった。


 つくづく、最悪だった。



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