〈十六〉亡国の系譜
驚きよりも、どちらかといえばうんざりとした気分になった。聖女に騎士団士長に、今度は枢機卿だ。俺は今日いったい何人の教会の連中に出くわさねばならないのだ。
馬車から降りた枢機卿の視線が、我々に止まる。いや、正確には俺の横にいる人物に、だろう。
「おや、そちらにいらっしゃる麗人は……」
驚きの表情を浮かべた後で、枢機卿は品の良い微笑を浮かべつつ歩み寄ってくる。
「これはこれは、作家のフォレスター先生ではありませんか。お久しぶりですねぇ!」
喜色満面といった様子で差し出された右手を、小説家は上品な笑顔で握り返す。
「御無沙汰しております、マルムスティーン卿」
どうやら彼女はこの人物とも顔見知りであるらしい。小説家というものはそれほどまでに顔の広い仕事なのか、それとも彼女が特殊なだけなのか。おそらく後者だろうな、と俺は何となく思った。
「レストンチェアー劇場での式典以来ですか。いや、相変わらずお美しい」
「猊下もお元気そうで」
「ははは、実際はもう老いぼれですよ。最近は肩や腰が辛くてね」
「それをおくびにも出されぬ姿勢こそ、猊下の信頼の源なのでしょう」
「買い被りすぎですよ。しかし奇遇ですね。先生は迎賓館にどのようなご用で?」
「ええ、実は聖女様にご招待いただきまして」
穏やかな雰囲気で談笑する二人を見て、俺は空々しさのようなものを感じていた。今、目の前で交わされているのは中身を持たない美辞麗句の応酬だ。別の人間に会った時、この男が「最近は肩や腰の調子が良くてね」と語り出したとしても、誰も疑問は持たないだろう。
小説家の返答に、枢機卿は思い出したように手をぽんと叩いた。
「ああ。そういえばハヴァンディア様はフォレスター先生の大ファンでしたね」
「ええ、光栄なことながら。有り難くも感想を頂戴して参りました」
恭しく頭を垂れる小説家の背後で、俺は皮肉げに口元を歪めた。『有り難く』頂戴したのは、感想などではないだろうに。
枢機卿は大仰に頷いてみせる。
「私も先生の最新刊、拝見いたしましたよ。いや、実に興味深い、見事な作品でございました」
枢機卿の切り出した話題に、一瞬だけ小説家の眼孔が鋭く細められたように見えた。しかし、次の瞬間には再び社交的な微笑がその顔を覆う。
「猊下にお読みいただけるとは恐縮でございます」小さくお辞儀をした後で、小説家は付け加える。「ですが」
上げた双眸に鋭い冴えが宿っているのを見て、先ほどの表情が見間違いではなかったと知る。
「実は先日出版されたものは第二稿なんですよ」
「おや、そうだったのですか?」
「ええ。何故か、初稿は教皇庁の校閲で一度出版を取り消されてしまいまして」
相変わらず笑顔ではあったが、小説家の瞳には真っ向から異議を申し立てる意志が込められていた。
しかし、枢機卿はそれには気づいていない風に、残念そうに眉を寄せた。
「ふむ、最近の校閲は少しばかり厳戒に過ぎると私も感じていたところです。表現の自由を奪うことは、国政を支えてくださる国民の原動力を奪うことだ。私が謝ったところでどうなるわけでも無いかもしれませんが、先生には本当に申し訳ないことをしました」
彼はそう言って深々と頭を下げる。枢機卿自らの謝罪だ。端から見れば充分に誠意の込もった行動に見える。
しかし、先ほどのヴィリティスの忠告を聞いた後となっては、俺はどうしてもその言葉を信用することが出来なかった。
「いえ、滅相もございません。そんな、猊下が謝ることなど……」
慌てた様子で首を振る小説家だったが、言葉とは裏腹にその目から先ほどの光は消えていない。口調だけは申し訳なさそうに、彼女は続ける。
「私の書いた内容に、あるいは誤解を招くような表現があったのかもしれません……私の実力不足です」
「それは謙遜です。先生が実力不足ならば、他の作家の立つ瀬がありませんよ」
「勿体ないお言葉です―――ああ、ところで、実はこの話にはちょっとしたオチがありましてね」
「オチ、ですか?」
「ええ、その没になった初稿なんですが、恥ずかしながら巷では『幻の初稿』なとと呼ばれておりまして」
一瞬、枢機卿の瞼がぴくりと痙攣するのを、俺は見逃さなかった。おそらく、それは小説家も一緒だろう。彼女は構わず続ける。
「どうやら製本されていない状態にも関わらず、人知れず出回っているようなのです。それもかなりの高額で取引されているのだとか」
「ほう、それは、また……」
枢機卿の言葉が初めて詰まる。表情こそ変わらず穏やかなままだったが、内心の動揺は言動に表れていた。小説家はそんな彼を尻目に、演技めいた様子で首を左右に振る。
「いったいどんな経路から流出してしまったのか……困ったものです。どれだけ高額で取引されようと、出版社を通さなければ私の収入にならないというのに。もう笑い話にするしかありません」
自嘲的に言う小説家。それに合わせるように、枢機卿も笑った。
「ははは、それは災難ですねぇ」
しかし、今度は枢機卿の目の方が笑っていない。そこに揺らめくのは、小説家に向けた苛立ちの炎だ。
小説家の言う初稿とやらがいったいどのような内容のものなのか、もちろん俺には見当もつかない。しかし、枢機卿の反応を見るに、それが彼にとって公にされては不都合な内容であろうことは容易に想像がついた。
おそらくこの男は既にその初稿を目にしており、発禁の指示を出したのも彼自身、というのが実際の所なのだろう。
だが、枢機卿はあくまでもしらを通すつもりらしく、我々の前で興味深そうに頷く仕草を見せる。
「しかし『幻の初稿』ですか。フォレスター先生の不出の作品ともなれば、私も是非、読んでみたいものですね」
対して、小説家はすぐさま言葉を返した。
「ええ、私も是非、猊下には読んでいただきたく思っております」
そう告げる小説家の口元には、皮肉げな弧が描かれている。
それを前にして、ついに枢機卿の顔に貼り付いていた微笑が剥がれ落ちる。その瞳に宿る苛立ちは、既に焦燥と敵意の色へと変わっていた。あのゴルドの殺気の前ですら涼しい顔をしていた男の顔とは、とても思えない。
互いに交わされる視線は、もはや二人の間に無音で散る火花だった。
あれほどプライドの高い小説家のことだ、自らの作品を反故にした張本人を前に苦言を我慢できないのも、不思議ではない。しかし同時に、俺はこの女の行動理念の幼稚さに今更ながら空恐ろしさのようなものを感じ始めていた。一国の重鎮を相手に苦言を呈すどころか、これではまるで挑発だ。
そんな一触即発とも思える空気を先に納めたのは、小説家の方だった。
「―――ああ、ついついお喋りに夢中になってしまいました。猊下の貴重なお時間を頂戴してしまい申し訳ございません。それでは、私どもはこの辺で」
やんわりと言いながら、小説家は儀礼的に頭を下げる。枢機卿もその表情に当初のような品の良い笑みを取り戻した。
「いえいえ。偶然ではございましたが、今日はお会いできて本当に良かった」
どことなく意味深な台詞を口にする枢機卿。それはつまり、ここで思わぬ情報を得ることが出来て良かった、という意味だろうか。しかし小説家は気にした風でもなく、何食わぬ顔で返す。
「またお会いできる日を楽しみにしております」
「ええ―――また近いうちに」
そう言って枢機卿は小さく会釈し、踵を返した。去り際の一瞥に宿る冷たさに、俺の背筋が僅かに粟立つのが感じられた。
俺は暗鬱な気分でその後ろ姿を見送る。ヴィリティスの忠告も虚しく、先ほどの会話であの枢機卿との分水嶺が明確になってしまった。何が「承知した」だ、思いっきり敵対しちまってるじゃないか。
まったく、作家というのはこんな風に後先を考えない人種なのだろうか。それとも、この女だけか? 先々のことを考えると、俺は軽い頭痛を覚えた。
「……我々も行くぞ、ソード」
歩み去る枢機卿をしばらく見届けてから、小説家は抑揚の欠いた声で言った。そして俺の反応も待たずにさっさと門を出て行ってしまう。後を追いながら、俺は彼女の背中に言う。
「いいのかよ」
「何がだ」
「何がって、明らかに枢機卿に目を付けられちまったじゃねえか。ヴィリティスの忠告を忘れたのか?」
「だからこそ、だ」
追いついた俺に、小説家はしれっとして言う。
「ヴィリティスがああ言うということは、既に何らかが原因で私と枢機卿は対岸の立場にある。詳しくは判然としないが、おそらくは例の『アタヘイ』の街絡みだろう。いずれにせよ、目を付けられるのは時間の問題だ」
「いや、だからって、何も先んじて自ら渦中に飛び込む必要もないだろ」
「こういった線引きは早い方がいい、私の経験上な。ちょっとしたミスリードにもなる」
「ミスリード?」
「奴がこれから警戒するのは『幻の初稿』を持つ私であって、『アタヘイ』を目指す私ではない、ということだ」
俺には全く意味が分からなかった。
いったいそこにどんな違いがあるというのだろう?
混乱する俺に向かって、小説家は言う。
「今はあまり深く考えるな。これはただの、作家としての予感から敷いた伏線だよ」
小説家は自信ありげにそう言うが、俺は釈然としなかった。大層なことを言っているようにも聞こえるが、実際は単純にあの枢機卿が気に食わなかっただけのようにも思える。
だが、ここで彼女に反意を示してもロクな展開にはならないだろう。一の反論に百の暴論で返されるだけだ。
「―――しかし、あの枢機卿が動揺するなんざ初めて見たぜ」
俺は前を向き直り、小説家と並んで歩きながら、口開く。
「おまえ、いったいその初稿とやらに何を書いたんだ?」
「ちょっとした噂話を脚色したフィクションだよ。書いていたときは、まさか事実だとは思わなかった」
そう言う小説家は、どこか苦々しげな表情だった。
「噂話? なんだそれ?」
俺の質問に、小説家は少しだけ間を置いた。
「―――貴様は旧帝派の存在は知っているな?」
回答の前置きとして確認するかのように、小説家が質問で返す。俺は頷いた。
「そりゃ、まあ、人並みには」
旧帝派とは、ユナリア教皇合衆国の前身である『ユナリア皇国時代』の軍国主義を支持する思想派閥だ。現行の国勢を率いる教皇派と比べれば非常に小さな規模ではあるが、極めて危険な政治思想を掲げる一派でもある。民主主義を掲げる現在の法律では完全なる排除には至れず、よく教皇庁の不穏分子として話の引き合いに出される。
小説家は歩みを止めずに、淡々と語った。
「その旧帝派も細かく見ればいくつかに分類される。最も危険とされるタカ派が、俗に言う旧帝過激派だ。連中が掲げるのは思想というより、もはや旧皇帝への狂信と言ってもいい」
旧帝過激派。
そういえばつい最近、その一派の話を何か聞いたことがあるような気がした。あれは何の話だっただろうか。こめかみに軽く指を当てて記憶を探り、ようやくそれがヒュウの語った話であることを思い出した。
ぽつりと、俺の口からとある単語がこぼれる。
「……アルノルン、事変」
そうだ、あの騎士団選抜試験の問題集に書いてあった話だ。たしか、過激派のテロによって教皇庁の聖人と枢機卿が同時に暗殺された事件だったはずだ。
俺の記憶力も捨てたものではないな、と思いながら小説家に目をやる。すると、何故か彼女は俯き、哀しげな目をしていた。
それはまるで、何かを悔やむような、感傷的な表情だった。
しかし、すぐさま彼女は顔を上げ、眉間に嫌悪を示す皺を宿す。
「そう、今から十二年前にあの陰惨な事件を引き起こしたのもその連中だ。九十年も前に死んだ皇帝を未だに信仰し続ける、時代の亡者たちだよ」
そう語る小説家の口調は憎々しげだ。どうやら彼女自身、その一派とは相容れぬ理由があるらしい。
一方、いまいち腑に落ちない話の展開に、俺は再び問い返す。
「で、それがどうした。その旧帝派と枢機卿の間に、何か関係でもあるのか?」
「一時期、マルムスティーンが旧帝過激派の暗部に通じている、という噂が教皇庁内で流れたことがあったんだ」
小説家の言葉に、自然と俺の片方の眉が上がった。
「おいおい、本当かよ?」
しかし、彼女は小さな振幅で首を左右に振る。
「噂の出所としては眉唾物の話だ。その噂が流れたのは一年前の不信任選挙の時だったし、マルムスティーンは教皇庁内の支持率こそ高かったが、同時に賛成の手を挙げない者たちも多かったからな。その噂自体はおそらく対立派が流した印象操作の風評に過ぎんよ」小説家はそう言って、嘲るように鼻を鳴らした。「もっとも、ほとんど効果は無かったようだが」
「なんだ、デマかよ」
俺はなんだか肩すかしを食らったような気分になった。
「だが」と小説家は言う。「私はその設定を面白いと感じた。思わず一筆書いてみたくなるほどにね」
彼女が口元に浮かべたのは、底知れぬ貪欲さを感じさせるような微笑だった。
「妄想を始めると止まらなかったよ。タイプライターに向かうと、次々と物語が浮かんできた。タイプする指が止まることはなかった。間違いなく自分が面白いものを書いているという実感があった」
執筆当時のことを思い出しているのか、彼女は陶酔的な表情を浮かべていた。
「設定の骨子はその噂話を参考にしたものだったが、実際の物語は私の想像で更に改変を加えた。ひとつだけ言っておきたいのは、そのときの私を動かしていたのは純粋な創作意欲だけだった、ということだ。私はその作品を通じて枢機卿を誹謗するつもりは無かった。マルムスティーン枢機卿をモデルにしたと言っても、その登場人物は名前はおろか性別も変えていたからな」
「でも、結果としてそれがマルムスティーンの燗に障っちまったわけだろ?」
俺は呆れながら言った。作者の意向がどうであろうと、結局その内容を受け取るのは他人だ。いくら架空の人物とはいえ、そのモデルが実在の枢機卿となれば野次馬はそれを過大に受け止めるのが常だろう。
「それが少し不思議だったんだよ」
と小説家は言う。
「不思議?」
「例の旧帝派への内通という噂が流れていたとき、枢機卿は実に飄々としていたんだ。まったく気にした風でもなく、ね。だが、そんな彼が、何故か私の作品には過剰に反応した。発禁にまで追いやるほどに」
ふむ、と俺は考え込む。たしかに奇妙な話にも思える。普通ならばその噂話が流れた時点で何か対策を練りそうなものだが。
彼女は真剣な顔で続ける。
「となれば、私が『改変した部分』というのが、あの男の何らかの琴線に触れてしまったのではないか。私はそう考えた」
そう言って彼女は指を一本立てた。
「改変した部分?」
「ああ。しかし、自分で言うのも何だが、それはあまりにも突拍子のない改変だったんだ。あくまでもそれはフィクションであって、誰も事実としては受け止めないだろうと考えていた。それくらい、誇大妄想も甚だしい設定だったからな」
俺は眉を寄せる。
「いったい何なんだよ、おまえの言う『改変した部分』って?」
やがて、小説家は重々しい口調で告げた。
「―――その枢機卿が、皇帝レオネの末裔だという話だ」
「は……!?」
驚愕の声が、思わず俺の口から漏れる。
皇帝レオネ。
選民思想と軍事至上主義により、大陸中を血で染めた稀代の暴君。そして今から九十年前にこの街、イクスラハで革命軍に討たれたユナリア皇国の最後の皇帝だ。
俺は愕然としながら言う。
「それって本当なのか? それが事実だとしたら、とんでもないことになるんじゃ……」
九十年前、レオネ皇帝は圧政による搾取と軍備拡充を推し進め、諸外国への侵略を謀った。しかし、その前に国内の革命軍によるクーデター、つまり後に語られる『独立戦争』が勃発し、皇都から落ち延びることになった。
かつてこの国を破滅へと追いやろうとし、その末に国民の怒りによって討たれた史上最悪の暴君、それが皇帝レオネである。
そんな人物と現在の教皇庁の重要人物たる枢機卿に由縁があるのだとしたら、世論が黙っていないだろう。支持率の低下どころか、あるいは失脚すら免れない。
しかし、小説家は曖昧に首を振った。
「確たる証拠は無い。あくまでも理由を帰納法的に考えればそういった結論になる、というだけのことだ。ただ、公的な資料でマルムスティーン一族の系譜を辿れば、奇妙なことに三代ほど前、つまり七十年前程度までしか遡れないことが分かった。明かされていない空白の二十年間の発端が、皇帝レオネの系譜に続いているという可能性はゼロではない」
俺は俯き、小説家の言葉に思考を巡らせる。
彼女が想像で書いたフィクションが実は核心を突いていた、だからこそ、マルムスティーンはその本を発禁にした。確かに話の筋は通っている。
その中で、俺は湧いてきた疑問を口にしてみる。
「でも、皇帝レオネの子孫って存在するのか? もし現在まで血が続いているとすれば、迫害でもされていそうな気がするけど」
「史実によれば、レオネの血縁は九十年前の独立戦争の後に根絶やしにされたそうだ。今の旧帝派の狂信っぷりを見れば分かるように、皇族の血は王政復権の起爆剤になりかねないからな。だが……」
小説家は険しい目をして、言った。
「―――それがもし、人知れず生き延びていたとしたら?」
俺は思わず唾を飲み込んだ。
俺には想像すら出来なかった。祖先を根絶やしにされた人間が、いったい何を思うのか。枢機卿という地位の果てに、いったい何を企てるのか。国家転覆か、それとも……。
しかし、そこで話を先に切り上げたのは、小説家の方だった。
「……まあ、いずれも想像の範疇にすぎない」
彼女は諦観めいたため息と共にそう言った。
「この場でくどくどと思考を巡らせても、結局すべては仮説のままだ。生産的な話ではないよ」
俺は唸った。
「いや、そうは言ってもよ。そんな話をされちまったら気になるぜ」
「気になったところで、おまえは別に国営図書館まで足を運んで自ら史実を漁るわけでもなかろう」
小説家はじとりとした目で俺を睨む。ぐうの音も出なかった。その通りである。俺が自ら図書館で調べ物など、想像すらできない。
押し黙る俺を見て、彼女は辟易したように首を振る。
「本当に気になることがあったならば、納得がいくまで自分の力で調べろ。それが知性というものだ。他人の意見や思想だけを信じていては痛い目に遭うぞ」
正直、正論すぎて耳が痛かった。そんな小説家の言い分を踏まえた上で、俺は問い返してみる。
「あー、それはつまりアレか? あんたの意見も話半分に聞け、ってことか?」
「一端の知識人を気取るなら、それが賢い選択だ。しかし、主従関係を結ぶ傭兵としては愚かと言える」
小説家はそこで、口元に不敵な弧を描く。
「その場合は、貴様への報酬も半分になるからな」
俺は苦虫を噛みしめ、小説家は可笑しそうに笑った。
◆
新商業区で一通りの旅支度を整えた頃には、既に陽は傾きかけていた。その後、我々は北東区画の馬房に赴き、当初の予定通りコネストーガを一台予約した。
コネストーガは基本的には幅広の車輪が特徴の多頭立ての大型馬車だが、我々が選んだのは一頭立ての特製のものである。大きな河川の横断は出来ないものの、幌の着脱が可能で、街道の行き帰りで荷物の量が変わる行商人に特に好まれるタイプだ。
幌の色柄のバリエーションについて商人に苦言を呈す小説家を余所に、俺は馴染みの馬主に声をかけた。彼は傭兵時代からの古い仲で、俺の顔を見るといつものように気の良い笑顔を浮かべた。
「よお、ソード。災難だったな」
傭兵組合の解散のことを言っているのだろう。俺は苦笑して返す。
「この先一生分の災難を使い切った気分だよ」
「ははは。だがその様子を見るに、おまえも新しい仕事は見つかったみたいだな。よかったよかった」
馬主の言葉にひっかかるものを感じた俺は、眉をひそめて問い返す。
「おまえ『も』?」
「ああ。一昨日はゴルドが馬車を借りにきた。おまえが選んだものより数倍大きなキャラバンをな。しかも一台じゃなく三台だ。行商人でも始めるつもりか、あいつは?」
そんな柄には思えないがな、と付け加えて彼はまた快活に笑った。
嫌な予感に俺は口の端を痙攣させた。
あの野郎、いったいどんな仕事を請け負ったんだ?
まさか、俺の仕事に絡んできたりはしないだろうな?
胸中に妙な不安を抱きながら、俺は暮れかかった街門の空を眺めた。雲一つ無い夕焼け空は、不吉にもまるで世界の断末魔のようにも見えた。
出発は明日。
天気は晴れるらしいことが、唯一の気休めだった。




