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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
17/83

〈十五〉証明としての剣戟

「訊かないのか?」


 聖女との会談を終え、部屋を出て玄関へと階段を降りる道すがら、俺は隣を歩く小説家に問いかけた。


「何をだ」


 小説家は俺には視線を向けず、どこか憮然とした面もちで返した。


「さっきの聖女の話だよ。俺の過去についてさ。訊きたそうな顔してたぞ」

「訊かん」


 あっさりと答える小説家が、俺には意外だった。


「なんでだ?」

「あれほど思い詰めた顔の人間から何かを聞き出すなぞ、人心を解さぬ屑どもがやることだ」


 嫌悪と苛立ちをかすかに言葉に込めて、小説家は言う。


「それでは死体に群れなして貪るカラス共と一緒だ。私をそんな下賤なものと一緒にするな」


 俺は一瞬呆けた顔を浮かべた後で、思わず吹き出してしまった。そんな俺を、小説家が心外そうに睨みつける。


「何がおかしい?」

「いや、おまえって意外と良い奴なのかなと思って」


 素直な感想を口にしてみる。今度は小説家が目を丸くする番だった。そう言われることは予想だにしていなかった、という顔だ。

 次に吹き出したのは、我々の前方を歩いていたヴィリティスだった。


「ソードよ、一応、これは注釈程度に聞いてくれ」


と彼女は振り返らずに言う。


「先ほどのバーダの例えを振り返ってみると、おまえはカラスに貪られる死体役ということになるぞ」


 しばしの沈思黙考。


「……前言撤回だ」


 俺はじろりと小説家を睨んだ。


「おまえはアレだな、俺の想像以上に嫌な奴だな」

「貧弱な想像力が基準では信用に欠ける意見だ」


 小説家はつまらなそうに言って顔を背けた。俺も鼻を鳴らしてあさってを向く。ヴィリティスの含み笑いが背中から見て取れ、俺は苦虫を噛んだ。


「……語りたいときに語ればいい」


 階段を降りきった時に、小説家が独り言のように呟いた。


「おまえは件の怪物に何か因縁があるのだろう」


 その問いかけに小説家の視線は伴わなかった。俺も顔を逸らしたまま言葉を濁す。


「さて、な」

「まあ、いい。傷心であるアルダナクの亡命者から話を聞き出すのにも三日かかった。おまえからも易々と聞き出せるとは思ってはいない。語りたくなるまで気長に待つさ」


 小説家のその言葉に俺は返答せず、ふっと息を漏らすだけにとどめた。相変わらず可愛げの無い女だが、最低限の良心くらいは持ち合わせているようだ。


 ヴィリティスは迎賓館の玄関まで見送ってくれた。小説家は彼女に向けて、俺にはおそらく一生向けられることは無いであろう柔らかな微笑を向ける。


「今日はありがとう、ヴィリティス。やはり持つべきものはコネクションね」

「友人、と言わないあたりが実にバーダらしいよ」


 玄関先で親しげにそんな軽口を交わす二人。だが、やがて女騎士が真面目な表情を宿して言った。


「……イヴィルショウに向かうつもりか」


 その問いに、小説家は即答はしなかった。その代わり、無言で俺を一瞥する。

 向けられた瞳には肯定という明白な意志の色が伺える。俺に視線を向けたのは、聖女の予言を踏まえた上での、彼女のささやかな良心からだろう。


 あの予言が気にならないといえば嘘になる。だが正直、迷うことすら面倒だ、というのが今の俺の本音だった。俺は傭兵だ。この先に何が待ち受けていようと、依頼主に従う他はない。


 こくりと、小さく頷きを返してやる。

 それを確認すると、小説家はヴィリティスに向き直り端的に答えた。 


「ええ、そうよ」


 ヴィリティスは「だと思った」というように小さく吐息を漏らす。


「おまえのことだ、止めても無駄だろうな」

「さすが親友、よく分かってるわね」

「貴様はいいのか」


 女騎士の問いかけの先は俺だ。両手を軽く挙げ、口元に皮肉な笑みを浮かべて見せる。


「雇われの身分じゃ、主の意向には背けないんでね。それに」と、俺は自分の纏う真新しいコートに目を落とした。「既にかなり投資されちまってるからな」


 ヴィリティスは我々二人を見てやれやれと頭を振った。呆れ半分、諦め半分といった様子だ。


「正直、その手帳を複写しながら、ほとんど確信していたよ。バーダは黙っていられないだろう、と」


 言われて小説家は手に持つ封筒を顔の横に掲げた。未知なるものへの期待からか、その口元を妖艶に歪める。


「楽しみだわ。いったい何が書いてあるのかしら」


「―――その街の名は『アタヘイ』」


 不意に、ヴィリティスが言った。


「これまで教皇庁国土管理局がその存在に気づけずにいた、『存在する筈の無い街』だ」

「アタヘイ?」


 小説家がその名を繰り返すと、ヴィリティスは頷いた。


「ああ。その手帳によれば、な。そいつはとある住人の手記だ。難解で意味の汲めない部分もあったが、要約すればまさにバーダ好みの内容だったよ。一般人が読むにはいささか過激で陰鬱な、ね」

「あら、それは大変」


 ヴィリティスの重苦しいトーンとは打って変わって、小説家の口調は楽しげだった。


「過激さと陰鬱さは言うなれば物語の香辛料、重要なのはその調合と仕上げよ。クセが強すぎるなら、私が読みやすいように調理してあげるわ」


 好戦的とも言える笑みを浮かべて、小説家は言ってのける。そんな彼女の背後で、俺はやれやれと首を振った。自信過剰もここまでくれば清々しい。

 ヴィリティスはそれを見て、口元に苦笑めいた弧を宿す。


「何度も言うが、別に止めるつもりはないよ。既に調査の為の先遣隊が組織されつつある。友人として助言するなら、出発は早い方がいい、ということぐらいだな」

「ええ、明日には出発するつもり。山の入り口に教皇庁お得意の立入禁止札が立つ前にね」

「……なあ、一つ訊いてもいいか?」


 と、俺は女騎士に向けて口開いた。


「なんだ?」

「あんたは、あの聖女の予言を信じてないのか?」


 少し気になっていた疑問を口に出してみる。


 護衛である俺の命の危機が暗に示唆されているということは、依頼人であるこの女も危険である筈だ。聖女の話を本気で信じているならば、こんな風に友人を送り出したりは出来ないだろう。


 しかし、ヴィリティスは当たり前のように首を左右に振った。


「ハヴァンディア様の予知は絶対だ。私が疑う筈もない」

「それなら何故……」


「強いて言えば」と女騎士は俺の言葉を制する。「それ以上に信じているからだろうな」


「信じてる? 何をだ?」

「バーダの悪運を、さ」


 再び、さも当然のことのように答えるヴィリティス。

 その言葉を聞いて、小説家は思わずといった様子で吹き出した。


「あはは、悪運、ね。なんて素敵な言葉かしら」


 まるで少女のように、可笑しそうに笑う小説家。


 しかし俺と目が合うと、急に居住まいを正して咳払いを挟んだ。そして肩にかかった髪の毛を肩手で振り払い、彼女は魔女のごとく演技めいた微笑を浮かべる。


「悪運か、私にぴったりの言葉だな」


 ……わざわざ言い直すほどの台詞でもないと思うが。

 どこまでもブレない女である。

 その頑なな姿勢だけは評価に値するだろう。


「ま、それほど心配することはないさ、ソード」


 と女騎士が言う。


「私は何も根拠も無しにバーダを盲信しているわけじゃない。こいつは救いようの無い小説馬鹿だが、引き際だけは決して見誤らない人間だ。どれだけ熱中していようとね。それに」


 ヴィリティスは穏やかな口調で言いながら、腰のサーベルの柄に手を当てた。



 ―――怖気が神経を駆け上がるよりも先に、俺は鉄剣を抜いていた。



 事象を意識した時には、既に俺とヴィリティスの剣は甲高い金属音を鳴らし終えた後だった。長閑な午前の陽射しの中で、衝突の残響を背に二刃は空間に静止していた。


 突然の展開に、傍らで目を丸くする小説家。


 それを余所に、俺と女騎士の間に無言の視線が交わされる。先に刃を下ろしたのはヴィリティスだった。その口元が緩む。


「これほどの腕前の護衛だ。生きて帰るよ、貴様たちは」


 今更になって背筋がじわりと汗ばんでくるのが分かる。恐ろしく静かで鋭利な殺気だった。受け切れたのは半ば偶然のようなものだ。死角から抜かれていたら、深手は避けられなかっただろう。


「……士長様の言葉とあっちゃ、光栄に思うしかないな」


 大きくため息をつき、俺も鉄剣を鞘に納める。


「しかし、あんた今、本気で俺の首を落とすつもりだったろ?」俺はじろりと女騎士を睨んだ。「俺が受けきれなかったら、どうするつもりだったんだ?」


 すると、ヴィリティスは冷笑と共に答えた。


「護衛を失ったバーダはイヴィルショウに向かうことが出来ず、同時に彼女の命の危険は無くなるな」


 俺は唖然としてしまった。あまりに乱暴な理屈に、返す言葉すら浮かんでこない。

 そんな俺を見て、女騎士は可笑しそうに吹き出した。


「冗談だ。私とて、これでも騎士団の一士長を担う者だ。相手の力量くらいは、その立ち居振る舞いで推し量れるつもりだよ」


 本当かよ、という疑惑の視線を無言で送ってやる。そんな俺の肩に、ヴィリティスはポンと手を軽く置いた。


「事実、その通りだっただろう?」


 どこか得意げな微笑が腹立たしい。

 だったら、今度は俺が先に剣を抜いてやろうか。


「―――いい」


 そこに割って入ったのは、小説家の呟きだった。振り向くと、彼女の瞳には好奇心の炎が揺らめいていた。


「いいわ。さっきの打ち合い、まるで小説の中の場面みたい。なるほど、剣術家同士の駆け引きっていうのは、実際はこういう感じなのね」


 例の作家口調すら忘れ、いささか興奮気味にまくし立てる。


「剣戟を引き立たせるのは前後の緩急ということかしら……やっぱり実際に目で見ると違うわね、次に書く描写はもっと面白く出来そうだわ」


 満足げに頷くその姿を見て、何となく馬鹿馬鹿しい気分になってしまった。俺は頭をぼりぼりと掻きながら、女騎士を見やる。


「……どうやら依頼人はご満足の様子だ。これに免じてさっきの一件は許してやるよ、ナイツ士長」

「ヴィリティスで構わん。こちらこそ、さすがに度が過ぎていたな、詫びよう」


 くすりと大人びた微笑を浮かべるヴィリティスに、俺は小さく鼻を鳴らすだけにとどめた。何とも食えない女だ。

 自分の世界に没入する小説家に向けて、俺は投げかける。


「ほら、用が済んだのならさっさと行こうぜ。今日中に明日の馬車を手配しなきゃならねえんだからな」

「あ、そうだったわね」


 小説家は我に返り、思い出したように頷いた。しかし、しばらくしてから、俺に不満げな視線を向ける。


「……待て。どうして私が貴様に命令されなくてはならないのだ?」


 頬を膨らませる依頼人。こっちはこっちで、つくづく面倒臭い女である。


 踵を返す我々に、ヴィリティスの声がかかった。


「ああ、最後に一つだけ、言っておきたいことがある」


 呼び止めるその声色は、何故か先ほどよりも深刻な響きを帯びていた。足を止める俺たちに一歩詰めより、彼女は少し声のトーンを落とす。


「質問はせず、これは忠告として聞いてくれ」

「なんだか意味深ね、どうしたの?」



「―――マルムスティーン枢機卿には気をつけろ」



 俺は眉を寄せた。

 ……何だって?


「どういう意味だ?」


 思わず口をついて出た疑問に、ヴィリティスは首を横に振る。


「質問はするな、と言った筈だ。私も騎士団という立場上、これ以上は答えられん。この助言が精一杯だ」


 その瞳からは、何か切迫したものが伝わってくる。とても冗談で言っているようには見えなかった。しかし真意が分からず、俺の頭上には疑問符しか浮かばない。


 小説家はそんな彼女をしばらく見つめ返した後、答えた。


「―――分かったわ」

「そうか、安心したよ」


 何かを通じ合ったかのように頷き合う二人。


「今日はありがとう、ヴィリティス。また会いましょう」

「ああ、出来れば次は鎧を脱いで会いたいものだ」


 言葉少なに別れを告げ、二人は互いに背を向ける。俺はどことなく置いて行かれたような気分になった。屋敷内に戻っていくヴィリティスの背をしばし見送ってから、俺は先行く小説家を追って足を踏み出す。


 門までのプロムナードを辿る道すがら、俺は小説家の背に訊く。


「分かった、ってのは何をだ?」

「理解した、という意味ではない。承知した、という意味だ」


 必要最低限に返答する小説家は、相変わらず俺に視線は向けない。しかし俺は食い下がる。


「それにしたって、承知するに足る理由があるわけだろ?」


 枢機卿を警戒するに足る根拠。それを何か知っているのではないか、と訊いたつもりだった。しかし、小説家の返答は俺の意からは外れたものだった。


「強いて言えば、彼女の持つ信頼と実績だ」と彼女はさらりと言った。「ヴィリティスが私に嘘をついたことは無いからな。故に背景は分からずとも、それが彼女の忠告を蔑ろにする理由にはならん」


 要するに旧知の友情ゆえに、といったところだろうか。それに関しては、これ以上詮索しても実りのある話ではない。


 釈然としない気分のまま、歩を進める。


 騎士団の士長ともあろう人物が、主君とも言える枢機卿を警戒しろと言うのは、どう考えても妙な話だ。騎士としての忠誠心を鑑みるなら不道徳と言ってもいい。だとすれば、一つ言えることは。


「……教皇庁も一枚岩じゃない、ってとこか」


 思わずこぼれた俺の独り言に、珍しく小説家から言葉が返ってくる。


「だろうな。集団が大きくなるに比例して内部の細分化も増える。それはどこの組織も似たようなものだ」

「俺のいた傭兵組合は小さかったが、内部衝突は日常茶飯事だったぜ」

「……言葉の代わりに剣を振るしか脳のない連中なんだ。議論というプロセスが抜ければ、そりゃそうなるだろう」


 小説家は俺を横目に呆れたように言った。極めて的を得た分析だった。


 迎賓館の門の前には、来たときと同じ警備兵が二人、直立不動で敬礼の姿勢を取っていた。ごくろうさん、と労いの言葉でもかけてやろうかと思ったが、視線を門の先に向けて俺は言葉を呑み込む。彼らの敬礼は、我々に向けられたものではなかったからだ。


 俺たちの正面、迎賓館の真ん前に、馬車が一台止まっていた。街中を走っているような貴族御用達のカブリオレではなく、二頭立ての瀟洒な箱馬車である。どう見ても何処かの重役の来賓だ。馬車は今し方着いたばかりと言った様子で、美しい毛艶の馬は湯気立つ鼻息を漏らしていた。


「……噂をすれば、か」


 傍らの小説家がぽつりと漏らした。


 小綺麗な山高帽を頭に載せた御者が、恭しい動作で馬車の扉を開く。中から現れたのは、金糸で飾られた黒衣を纏う男。


 ジェームス・マルムスティーン枢機卿、その人だった。



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