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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
15/83

〈十三〉彼女は文豪を演じたい

 百塔の都。


 イクスラハは様々な呼び名を持つ街だが、その中でも最も旧くから知られている名がそれだ。その名の由来に大きく貢献したのが都市の南部に当たる地域、宗塔区画である。


 この一帯は教会が管理する築五十年以上の煉瓦塔が乱立しており、その総数はイクスラハ全体の約三分の一を占めている。それは同時に、教皇庁の主要施設がこの区域に集中していることも意味している。イクスラハ市役所、グランヨーク州知事館、大陸東部議会堂、東部教会本部。いずれも堅苦しいお役所ばかりで、俺のような人間にとってはあまり縁のない区域だ。


 俺たちはその中でも一際巨大な建物、イクスラハ迎賓館の前に来ていた。石灰岩らしき白亜の建物の各所には耽美な紋様が彫刻され、壁面には採光の為にしては度が過ぎるほどの量の窓が設けられている。もちろん、入り口の鉄柵の前には二人の警備が付属物のように立っていた。


「ここか、おまえの先約っていうのは?」


 俺は目の前の建物を見上げつつ、辟易の息をついた。実用性をかなぐり捨てた様式美の権化のような建造物である。海外の重要人物も寝泊まりする施設だ、政府が見栄を張りたくなるのも当然なのかもしれない。


「ああ」


 小説家は言葉短く答え、ブラウスの襟元が崩れていないか確認するように軽く手を当てた。どことなく緊張しているような面もちに見える。その先約とやらの相手は気を張りつめるほどの人物らしい。


 彼女は俺を振り向き、真剣な目をして言った。


「ここから先はおまえの発言を全面的に禁止する。許すのは『はい』と『いいえ』の回答だけだ。沈黙に徹し、私の二歩後に着いてこい。分かったな」


 釘を刺すように言って、彼女は俺のむっとした顔を見る前に門番の元へ向かう。釈然とはしないが依頼人の命令だ、従う他ないだろう。俺は舌打ちを漏らして、言いつけ通り彼女の後に続く。


「ご婦人、迎賓館にどのようなご用件でしょう」


 警備兵の問いに、小説家は居住まいを正して答える。


「小説家、バーダロン・フォレスターです。お約束していた面会に参りました―――聖女、ハヴァンディア様にお目通りを」


 俺は耳を疑った。


 今、この女は何と言った? 誰だって? ハヴァンディア? いや……聖女、だって?


「それを証明する書簡はお持ちでございますか?」

「ここに」


 女の差し出した紙片を受け取りそこに目を落とすと、警備兵たちから警戒の色が消える。


「お待ちしておりました、フォレスター様。どうぞお入りくださいませ」

「間もなく士長がお迎えに上がります。玄関までお進みください」


 二人の兵隊は敬礼の後に鉄柵を開き、俺たち二人はその先へと招かれる。玄関へと続くプロムナードの両端には小綺麗に剪定された木々が並んでいた。その中を歩きながら、俺は小説家に問いかける。


「おい、どういうことだ? さっき聖女って言ったよな? まさかおまえの面会の相手って……」

「貴様の記憶力は三分も持たないのか? この敷地内では口を慎め、何も語るな、何も訊くな、何も吸うな」


 小説家は振り向きもせずに苛立たしげに言った。最後の命令の意味が一瞬理解できなかったが、三秒ほど考えてから舌打ちを漏らした。遠回しに俺に死ねと言っているらしい。


 プロムナードの終着点、迎賓館の玄関の扉は既に開かれていた。そしてその先に待っていたのは、これまた俺にとっては予想外の人物だった。


 肩口に揃えられた銀色の髪と、凛とした美貌の面、そして白銀の甲冑。彼女を見るのはこれで二回目だ。


 まあ、確かによくよく考えてみればそれほど不思議なことではない。小説家の会談の相手がさっきの話の通りだとすれば、その護衛に教皇庁の騎士団が配属されていても頷ける。


 女騎士は我々の姿を認めると、儀礼的に頭を下げた。


「お待ちしておりました、フォレスター先生」


 それに対し、小説家はふっと笑みを漏らす。横にいた俺には、まるで彼女が緊張を少し解いたように見えた。


 女騎士は頭を垂れたまま続ける。


「このたびは我が主君の申し立てに先生の貴重なお時間を割いていただき、心より感謝いたします。僭越ながら、ここからは私がご案内役を拝命させていただきたく存じます」


 小説家はうんざりしたように息を吐き、苦笑した。


「……もう。堅苦しい挨拶はやめてよ」


 その言葉に女騎士―――第十四騎士団士長、ヴィリティス・ナイツは顔を上げ、同じく口元をゆるめた。


「……そう言ってもらえて助かるよ。私もおまえに対してこういう挨拶は本意ではない」


 彼女が浮かべたのは、昨日の説明会の姿からは想像も出来ないほどに穏やかな微笑だった。


「元気そうね、ヴィリティス」

「おまえもな、バーダ」


 親しげな調子で名前を呼び合う二人。俺はその様子に面食らってしまった。バーダ、だって?


「美辞麗句を覚えるだけでも大変そうね。あんまり気を張ってばかりいると身体に毒よ」

「適度な負荷は精神鍛錬になって丁度良いんだよ。そう言うおまえは少し太ったんじゃないか?」

「あら、失礼ね。私は胸が大きくなっただけよ。そっちこそ、前より肩幅が広くなったんじゃない?」

「それは騎士としては喜ばしい事実だ」


 小説家はやれやれ、とかぶりを振る。


「相変わらず性根まで逞しい女よね、あなたって」

「逞しさに関して言えば、おまえほどではないと思うが」

「……私は皮肉で言っているのだけれど?」

「私は本気で言っている」


 しばらく真顔で見つめ合ってから、示し合わせたかのように破顔する二人。この小説家がこれほど楽しげに笑っているのを見たのは初めてだ。


 そんな二人のやりとりを見れば、いくら周りの連中から馬鹿と罵られる俺であっても、彼女らが旧知の仲であることぐらいは分かる。小説家と騎士団の士長が友人同士というのもなかなか不思議な光景だが、それ以上に今の俺には気になる点があった。


 ―――あの小説家が、妙に女らしい口調になっていることだ。


 これ以上に奇妙なことがあるだろうか。出会って以来ずっと大仰な男口調を貫いてきた彼女が、この女騎士と会話する時はまるで普通の女性のような喋り方になっている。


 いや、もちろんその口調の方が世間一般的には当たり前なのだろうが、これまでの気取った小説家のイメージしかない俺には違和感しか与えない。しかし、楽しそうに笑う彼女の姿はとても演技をしているようには見えず、どう見ても気心知れた仲といった感じだ。


 もしかしたら、こちらが彼女にとっての素顔なのかもしれないと、何となく俺はそう思った。普段のあの大物作家の如き大仰な振る舞いは、猫を被っているだけなのだと。


 ……いや待て、そもそもこの場合、被っているのは猫でいいのか? あの牙のような鋭い毒舌はむしろ虎というのが適当ではないのか?


 そんな詮のないことを考えていたら、女騎士の視線がこちらに向いた。その青い瞳に微かな驚きが宿る。


「む、そちらの男性は……?」

「ああ、一応紹介するわね。これは私の雇った従者よ。名前は……」


 と小説家は俺を振り向いて、はっと何かに気づいたような顔を浮かべる。

 そして一瞬羞恥の色を頬に宿してから、


「いや……私の雇った、従者、である」


 無理矢理、いつもの口調に戻そうとした。

 どうやら俺の前では威厳ある小説家を演じたいらしい。


 ……いや、今さら遅えよ。

 まったく取り繕えてねえよ。


 そんな様子を見ながら、女騎士、ヴィリティスは何もかも分かっているという風に小さく笑みを漏らし、特にその不格好な言い直しについては言及しなかった。なるほど、彼女の性格は把握しているわけだ。良い友人だな、まったく。


「おまえに会うのは二度目だな、ソード」


 ヴィリティスからかけられた言葉に俺は少し驚く。たしかに昨日の説明会の受付の際に、名前を答えた記憶はある。しかし、


「……よく俺を覚えてたな」

「あれだけ目立つ男の隣にいれば、嫌でも忘れないよ」


 どこか不敵に微笑むヴィリティスを見て、俺は背筋が粟立つのを感じた。やはりバレていたか。ゴルドの野郎、余計な印象を植え付けやがって。


 さて、どうしたものか、と俺は頭をぼりぼりと掻いた。


「あー……なんだ、あいつが教皇庁に睨まれようが知ったこっちゃないが、俺まで要らぬ容疑をかけられそうだから、一応言っておく」


 と俺は仕方なしに弁明する。


「あの男が馬鹿みたいに殺気をバラ撒くのは病気みたいなもんだ。昨日の一件は単なる発作で、別にあいつは要人暗殺なんかを本気で企ててるわけじゃない」

「見かけによらず友人思いだな」


 感心したように頷くヴィリティスに、俺は誤解を主張するように唸る。あの人格破綻者を庇う形になってしまうとは、甚だ遺憾である。


「だが、忠告だけはしておこう」


 女騎士の目に鋭い冴えが宿る。


「あの男の価値観は恐ろしく危うい。特にあの殺気の性質は異常だ。ちょっとバランスが崩れただけで、いとも容易くおまえすら殺そうとするぞ」


 さすがは騎士団を率いる士長、すばらしい洞察眼だ。


「命が大事なら、友人としての縁は切るべきだな」

「―――ご忠告、痛み入るよ」


 俺は気のない返事を返す。それが出来るなら、俺だってもう少しマシな日々を送れていただろう。問題はその縁とやらが恐ろしく頑丈に俺の足に絡みついていることだ。


「……ふむ、ヴィリティスの忠告に耳は貸しても、私の命令には耳を貸さない、というわけだな」


 小説家がじとりと俺を睨みつけながら言った。声色は恐ろしく不機嫌そうだ。そういえば敷地内では口を開くなと命令されていた。なんだか弁明ばかりで嫌になるが、俺は仕方なく口を開く。


「待て。今のは不可抗力だろう。先に話しかけてきたのはこの士長様だ」


 小説家は俺の顔をひとしきり睨みつけた後、ヴィリティスに視線を向ける。肩を竦める女騎士を見て、やがて小説家は諦めたように吐息をついた。彼女に免じて不問にしてやろう、といった顔だ。


「しかし何故、貴様がヴィリティスと知り合いなのだ?」


 それだけは解せないという様子で、再び彼女は俺を睨んだ。

 俺は言いよどむ。一から説明するとなれば、俺が騎士団選抜試験の説明会に赴いたことから始めなければならない。だがそれは何となく気恥ずかしいというか、とにかくこの女には知られたくなかった。また俺を貶す為の材料を提供するようなものだからだ。


 しかし、その問いに対してはヴィリティスが答えた。


「まあ、仕事で少しな。詳しく話すと少し長くなるから、今はよそう」


 士長の助け船に俺は少し安堵する。なるほど、彼女にとっては確かに勤務中の出会いだったのだから、嘘を言っているわけではない。小説家はどこか釈然としない面もちだったが、渋々ながらも引き下がった。


「何よりも、我が主君が先ほどからおまえに会うのを心待ちにしてる」


 続くヴィリティスの言葉に、小説家はその顔に真剣さを取り戻す。


「……そうね、まずは先に用事を片づけましょう」

「バーダは知っているだろうが、祭典の前に直接拝顔することは戒律により叶わぬ。面会はヴェールを一枚隔てて行う」

「承知の上よ」


 ヴィリティスは頷きを返し、廊下の奥、赤い絨毯の敷かれた階段の上を指した。


「では案内しよう―――聖女、ハヴァンディア様のもとへ」

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