表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
14/83

〈十二〉従者の品格を

 寝覚めは最悪だった。


 まだうすら寒い四月の朝だというのに、俺の全身はびっしょりと汗を掻いていた。舌打ちとともに布団をはねのけて、床に足をおろす。そのまま立ち上がらず、ベッドに腰をかけたまま目頭を押さえた。


 あの日の夢を見るのは久しぶりだった。


「……幸先悪いなんてもんじゃねえな」


 まるで、これから先のことを暗示しているかのようだ。


 深呼吸をして、昨日の出来事を改めて思い返す。しかし、サイドボードに一枚の紙が置いてあるのを見つけて、それまで夢ではなかったことを思い知った。昨日、ヒュウが造った即席の雇用契約書だ。雇用者の欄には俺の名前が、雇用主の欄には流麗な字体でバーダロン・フォレスターの署名がある。


 自虐的な微笑を漏らしながら、その横にあった煙草に手を伸ばした。一本を口にくわえ、火を点けて紫煙を吹く。


 とにかく、今日からまた俺は傭兵だ。雇い主がどれだけ気にくわない奴だろうと、プロとして生半可な仕事は出来ない。もう組合の後ろ盾も無いのだ。ここから先は、俺の力量だけが……。


 そこで違和感。


 ……今、煙草を手に取った時に何かが俺の目に映った。いや、何かというか、間違いなく置き時計だ。置き時計が目に映った。いや、そうじゃない。違和感はその置き時計が指し示す意味だ。


 再び視線を向ける。五秒後、ようやく回り始めた脳味噌が警笛を鳴らす。


 脱兎のごとき速度で着替えを済ませ、寝癖を直すこともせずに部屋を出て廊下を駆ける。が、下宿の階段を降りる前に急制動、慌てて部屋に舞い戻った。ベッドの横に立てかけていた鉄剣をひっつかみ、再び全力疾走で下宿先を飛び出す。


 生半可な仕事は出来ないだって? 


「俺の馬鹿野郎が……!」


 石畳を蹴りながら、くわえていた煙草と共に自分自身への呪詛を吐き捨てた。湾岸商業区に溢れる海の香りを置き去りに、俺は内陸部へ続く商店街を走る抜ける。潮の香りが石炭の匂いに変わる頃、雑多な通りは大きく開けた一画に出た。


 巨大な円周型の大広場には、整備されてまだ間もないモザイク模様の石畳が敷き詰められている。その円周を縁取るのは、独立祭間近の絢爛な飾りに彩られた店の数々。そしてその合間を行き交うのは、様々な服装をした人々の姿だ。俺はその雑踏の中を、幾多の他人に肩をぶつけながら駆け抜ける。中心にそびえる石壁造りの巨大な建造物、イクスラハ中央ターミナルを目指して。


 待ち合わせ場所のターミナル入り口前で、その女は壁に背中を預けて文庫本のページを捲っていた。今日は白いブラウスに薄手の黒いジャケット、裾長のベージュのスカートという、どことなくシックな服装だった。相変わらず、その足下には例の牛革の旅行鞄が置かれている。


 息を切らしてたどり着いた俺を見て、彼女は文庫本を閉じる。


「―――弁明を聞こうか、一応」


 冷え冷えとした口調で言う小説家。


「す、すまん……」


 素直に俺は頭を下げる。こんな寝癖の頭をしていては弁明も糞も無い。


 小説家は抑揚に欠ける視線で俺の爪先から頭の先までを眺め、やがて憐憫の表情を浮かべた。まったく、他人を落ち込ませるのが絶妙にうまい女だ。これなら罵られた方がまだマシである。


 彼女は文庫本をジャケットの懐にしまうと、これまた極めて業務的な口調で言う。


「忠告ではなく、これは警告として聞け。私は時間を守らない奴が心底嫌いだ。憎悪していると言ってもいい」


 そこで彼女の顔に感情が現れる。それはもちろん赦しの表情などではなく、明確な不機嫌と怒りの顔だった。


「次、時間に遅れたら貴様を殺す。物理的にではない。社会的に、だ」


 人気小説家という社会的立場と信用力を鑑みれば、その脅しは冗談抜きで強烈だ。しかもこいつの性格まで踏まえれば、実現する可能性が多いにあるというのだから笑えない。


「りょ……了解」


 可能性に額に汗をかきながら、俺は頷いた。


 初日から負い目を作ってしまうとは不覚にも程がある。実質、今後はすべてこの女に主導権を握られてしまったようなものだ。


「昨日は偉そうに旅の支度がどうこうと語っていたくせに、自分から寝坊とは話にならんな。先が思いやられるよ、まったく」


 彼女はイライラと呟きながら、足下の旅行鞄を掴んでさっさと歩き出した。遅刻への罪悪感と今後の為の機嫌取りという打算から、俺は横からその鞄に手を伸ばす。


「重いだろ、俺が持つよ」


 しかし、女の空いた方の手が俺の手を振り払った。


「これに触るな」


 昨日と同様、凍てつくような目で睨まれる。俺には指一本も触れさせたくない、という形相だ。小説家は踵を返そうとするが、俺は怯まず、努めて愛想良くその背中に問う。


「そんなに大事なものなのか。いったい何が入ってるんだ、それ?」


 彼女は足を止め、うんざりしたように首を振った。振り向きざまに右手の人差し指を俺の鼻先に突きつける。


「……確かに私は貴様を傭兵として雇った。護衛の仕事を依頼した。だが、勘違いはするな」


 嫌悪と苛立ちの視線。


「私は先日の一件を許してはいないし、貴様自身の人間性と人権に関して言っても、路上の犬の糞と同等の価値で見ている。その距離感と立ち位置だけは絶対に忘れるな」


 俺の顔から愛想笑いが死滅する。もはや反論する気力も起きず、俺は憂鬱のため息を漏らすしかなかった。


「……一行に要約すれば、俺のことが心底嫌い、ってとこか?」

「ご明察。無教養の割には立派な読解力だ。拍手ぐらいならくれてやろう」

「いらねえよ」


 俺は顔を背けて悪態をついた。小説家は見下すような冷笑を浮かべ、「ならば黙ってついてこい」と雑踏の中へと歩みを再開する。まるで寒空を突っ切っていく燕のように颯爽とした振る舞いだった。俺は暗鬱な気分を引き連れながら、その後をトボトボと追った。


「……あー、これは護衛という依頼を請け負う上での質問なんだが」


 俺の三歩前を足早に進む小説家に声をかける。


「許可しよう、何だ」

「明日の出発の為に、今日は旅支度を整える準備日の筈だ。まずは移動用の馬と馬車を予約する所から始めるべきだと思うんだが……馬房のある街門からどんどん離れているのは何故だ?」


 我々は街門のある北東区ではなく、反対の南区へ向けて歩みを取っている。小説家はこの疑問にも振り返らずに答えた。


「個人的な先約がある。貴様には同行してもらう。会合の相手はかなり高貴な身分だからな。こんなみすぼらしい男でも、そういった社交の場には従者を連れて行くのがセオリーだ」


 つくづく、どんな会話でも俺を貶すことだけは忘れない女である。減らず口世界選手権があったらこの女は本気で優勝を狙えるだろう。


「みすぼらしくて悪うござんしたね」


 自嘲的に吐き捨てると、彼女はふと足を止めて俺を振り返った。そしてしばらく、俺の全身をしげしげと眺める。居心地の悪さに、俺は眉を寄せた。


「何だよ」


 小説家は懊悩の色を微かに見せつつ、独り言のように呟いた。


「―――確かに改めて見ると、これではみすぼらしすぎるな。相手方に失礼かもしれない」

「……おまえ、何を言っても俺が傷つかないと思ってないか?」


 冷静に分析されて言われると、さすがに俺だって傷つく。普段着の筈だが、そんなに俺は憐憫を誘うような服装をしているのだろうか。


 小説家は落ち込む俺を無視して、周囲を見渡し始めた。ある店舗に目が止まると、彼女は俺の手を強引に引いて連れて行く。


「こっちだ、来い」

「何だよ、いきなり……」


 訳も分からず連れ込まれたのは、立派な門構えの洋服店だった。そこは俺がショーウインドウの前を通るたびに、そこに飾られたコートや服を別世界の物質として意識の外に放り投げていた店だった。要するに、俺の身の丈に合わない高級衣料店ということである。


 品のある濃朱の絨毯が敷かれた店内には、小綺麗な服を着させられたトルソーが整然と並ぶ。天井からのランプの明かりはその引き立たせ方まで計算されているようで、流行の服に疎い俺の目にすらそれらは魅力的に映った。


「いらっしゃいませ」


 店内に入ると同時に、口髭を生やした小綺麗なスーツ姿の店員が恭しく頭を下げる。慣れない対応に俺は思わず後込みしてしまった。

しかし小説家はこなれた様子で、その店員に指示をする。


「あのショーウインドウに飾られているパターンで一着。色は黒で、身丈はこの連れに合うように」

「かしこまりました」

「ああ、それと腰に鉄剣を下げたいのだが、すぐに出来るか?」

「用途に合うコードバンがすぐにご用意できます。こちらは追加のオプションとなりますが」

「かまわん。すべて一〇分で済ませてくれ。既製が在庫に無ければ別のパターンで。デザインが近いものであればかまわん」

「かしこまりました。それではそちらのお腰の物をしばしお預かりいたします。旦那様は身丈を計りますのでこちらへ」

「旦那さ……え、あ、俺のことか?」


 これまでの人生でそんな呼び方をされたのは初めてだ。


 狼狽する俺は半ば強制的に腰の鉄剣を取り上げられ、店の奥、カーテンの向こうへと案内される。そこではまた別の二人の店員が待ちかまえており、俺の着るジャケットを慇懃な動作で脱がせた。そのまま手際よく俺の全身の各所に採寸用の巻き尺を当てていく。


「今までの服で何か困った所はございませんか」「裏地のデザインにご希望は」「ボタンの止め糸は何色で」「裏地に刺繍で名入れが出来ますが」「ポケットのステッチはいかがなさいますか」「カフスはベルトとボタンがお選びいただけます」


 矢継ぎ早に投げられる質問に訳も分からず返答する。自分でもいったい何をどう答えたのか分からなかった。とにかく、気づいた頃には俺は真新しい漆黒のコートを着させられて、再びカーテンの外に案内されていた。


 店内では小説家が長椅子に腰掛けて待っていた。俺を見ると彼女は無表情のまま何度か頷き、そして自らの腕時計に目をやった。


「八分五十秒、か。良い店だ。今度、私の社交服を作る時にまた使わせてもらおう」


 その傍らでは最初の店員が深々と頭を下げている。


「ありがとうございます。幸い、既製服の中にご希望のものがございましたので」

「お客様、こちらが新しい鞘帯でございます」


 また新しい店員が俺の元へやってきて、コートの腰部分にベルトを回し、先ほど俺から奪った鉄剣を差し込む。すると計ったように今度は別の店員が俺の前に大きな姿見を運んできた。


「お、おお……」


 思わず俺は感嘆の声を漏らしてしまった。鏡に映った俺の姿はまるで見違えていた。膝丈まである細身の黒いコート。腰には同色のベルトと、しっかりとした留め具で備え付けられた愛剣の鞘。自分で言うのも何だが、その立ち居姿には品格すら感じられた。まるで自分ではないかのようだ。


 その着心地もまた、先ほどまで着ていた黄土色のジャケットとは比べものにならない。軽さもさることながら、肩や肘の稼働が遙かに楽になっている。コートの快適さなんぞに感動を覚えたのは、これが生まれて初めての経験である。


 口髭の店員が語る。


「色柄とデザインは多少違いますが、こちらのパターンコンセプトは今年度の教会騎士団の軍服と同一のものとなります。東大陸で流行のトレンチスタイルを取り入れました。素材はギャバジンを使った合成衣料。軽く頑丈で、防寒と通気性を両立した最先端衣料でございます」

「ま、浮浪者から良家のチンピラくらいにはなったかな」


 小説家は特に感慨も無さそうに言って、懐の財布から百ドル紙幣をごっそりと取り出し、何気ないことのように店員に手渡した。絶句する俺に、小説家は首を傾げる。


「どうした?」

「いや、どうしたも何も……まさかこれを俺に?」

「私の従者があんなボロ布を纏っているとなっては、私の沽券に関わるからな」


 俺の普段着はこの女にとってはボロ布扱いらしい。確かにあのジャケットは幾多の戦場をくぐり抜けてきたのだから、くたびれていたことは否めない。でもボロ布は言い過ぎだ。


「ちなみに、それは任務上の必要経費だ。貴様への報酬から引かれるわけではない。安心したか、貧乏人?」


 彼女は嫌みな台詞と共に俺を見下す。


 しかし、いくら経費と言っても、俺を雇っているのは企業ではなく個人なのだから、それは実質、奴のポケットマネーということになる。


「小説家ってのはそんなに儲かる仕事なのか……?」


 軽く戦慄を覚えながらも、俺は純粋な興味からそう訊ねていた。


「世のすべての小説家がそうであると考えるなら、それは間違いだがな」


 彼女は自信ありげな微笑を浮かべた。


 ヒュウが昨日言っていたことを思い出す。


 わずか一七歳で歴代の文豪が名を連ねる賞を獲り、文芸界に独自の作風とテーマで革命を起こし、そして現在もまだその中心的存在として文壇に君臨する、若き天才小説家。今やユナリア大陸中の人間が彼女の新刊を求めて書店に足を運ぶという。


 バーダロン・フォレスター。


 その収入と財力は、おそらく俺の及びもつかない領域なのだろう。


 改めて目の前の女が、俺の持ち得ない種類の『力』を持つ人物なのだと認識する。感嘆する俺に、小説家は言った。


「金を稼げる人間の方が、稼げない人間より優れているとは私は思わん。それは個人の物差しが計る価値観でしかないからだ。しかし、そのコートがおまえのこれまでの収入では手が出せなかったものであることも事実。どうだ、少しは私を崇める気になったか?」


 再び見下すような視線を向ける小説家。しかし、俺は素直に頷くことができた。


「ああ。凄いな、おまえ」


 それは俺の本音からこぼれた言葉だった。確かに俺では、これほど大層なコートは着られなかっただろう。


 小説家はどことなく毒気の抜かれた顔を浮かべた。俺は再び姿見に目を向け、そこに映った自分の姿を眺める。


「このコートはかなり気に入った。ありがとな」

「……ふん」


 彼女はどこかつまらなそうに鼻を鳴らし、顔を背けた。


「ついでだ、三分間待ってやる」


 と小説家は言う。


「トイレでその間の抜けた寝癖もなおしてこい」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ