〈十一〉その手が剣を握る
「街……?」
繰り返すヒュウの顔は驚愕と狼狽が入り交じっている。ゴルドも感心したように小さく口笛を鳴らした。
「そいつは確かに、ちょいと奇妙だなァ」
俺はテーブルに肘をつき、両手を口の前で組んだまま、小説家の話の続きを待つ。
「不思議だろう。何故、地図にすら載らない、あんな荒れ果てた山の中腹に街がある? いくら史実を調べても、どんな文献を捲ってみても、あそこに人が住んでいたという記録は無い。つまりそれは、未だ歴史の表舞台に出ていない謎の街ということになる」
小説家の語気は熱を帯びている。自分で語りながらも、その内容に興奮を隠せないといった様子だ。
「さらに軍人の話によれば、その集落の建造物は非常に高度な技術で作られていたらしい。水硬性石灰コンクリートのことは知っているな?」
その場で頷いたのはヒュウだけだった。
「たしか、イクスラハの中央ターミナルにも使われている資材技術ですね。技術大系として提案されたのは確か一七五六年、しかし世界的に実用化され始めたのはここ数年のはず……」
その通り、と小説家は指をぱちんと鳴らした。
「驚くべきことに、その街の建造物はすべて、その技術によって造られていたそうだ」
「―――何ですって?」
「しかも、建造物の劣化具合とその隙間から生えた植物の成長度から、街は滅んでから十年近くが経過していたらしい。つまり、少なく見積もっても十年前にはこの文明は水硬性石灰を運用していたことになる」
「そんな、馬鹿な……」
ヒュウが唖然として口を開く。そんなヒュウの反応を見て、どこか満足そうな小説家。俺とゴルドの頭上には疑問符が浮かんでいた。そんな我々を見かねたのか、ヒュウが言う。
「とにかく、現代と比較しても凄まじい科学技術だってことだよ。しかし、それがあんな辺境の地に存在していたなんて」
「そう、それが事実なのだとしたら、もはや奇妙などというレベルではない。その軍人も目を疑ったと言っていたよ」
「そいつのホラ話って可能性は無いのかねェ、作家先生?」
ゴルドが悪意じみた笑みを浮かべて問う。小説家はそれには苦笑を返した。
「その可能性は残念ながら否定できない。軍人はその廃墟から色々と証拠になりそうなものを持ち出してきたそうだが、それらはすべてユナリア政府に保護された際に検閲で取り上げられてしまったそうだ。こういった場合、彼の手元に戻ってくる可能性は絶望的だな」
「ということは……」
ヒュウは俯き思索を巡らせた後、顔を上げた。
「その話のすべてが事実ならば、今頃は教皇庁側もその街の存在を把握したと考えるべきでしょうね」
小説家は頷く。
「没収した証拠とやらにもよるだろうが、おそらくな。遅かれ早かれ、政府の方で調査の為の先遣隊が組まれることは間違いないだろう」
俺は思わず椅子から腰を浮かせた。
「あの山に、人が入るってことか?」
「いずれは、な」
答える小説家の声も、どこか苦々しげだった。彼女はそれを振り払うかのように、胸の前で組んだ腕を解いた。
「だが、私は何としてもその前に、あの山に登りたい」
彼女は強く訴えるように、再び円卓にその両手を置く。
「教皇庁の介入があれば、ほぼ間違いなくあの一帯に一般人は入り込めなくなる。その街の存在と謎が衆目に晒されるのは、連中の調査がすべて終わってからになるだろう。だが、私はそんなものは待っていられない」
その口調には強い意志が含まれていた。
「不死の怪物、高度な科学技術、その街が生まれた理由、そして滅んだ理由。すべてが奇妙で、すべてが不思議で、そしてすべてに説明が付けられない。でも」
小説家はやがてその両手を、まるで青空でも仰ぐかのよう広げた。
「でもそこには―――何か途方もない物語があるような気がしないか?」
無邪気さと好奇心を隠さず、爛々と輝く鳶色の双眸。
頬は上気して少し朱に染まり、口元は緩やかに期待の弧を描く。
昨日、俺を冷え切った目で睨みつけた人間とは思えない。
その表情は、まるで恋をする十代の少女だった。
吹き出したのは、ヒュウだった。
「……いや、失礼。なんだか今、あなたの書く小説に何故これほどまでにのめり込んでしまうのか、なんとなく分かった気がしまして」
鼻梁の眼鏡の位置を整え、ヒュウは改めて彼女を見やる。
「あなたの創作への情熱は、我々のような凡人とは遙かに遠い次元にある。私たちを引きつけるのは、あなたのそんな真摯なひたむきさだ。改めて敬意を表します、フォレスター先生」
「私は貧弱な小説家だよ」
と、彼女は苦笑をする。
「完全なる虚構は私には作れない。出来るのはせいぜい、そこに眠る物語の目をそっと覚まさせてやることだけだ」
「かかか、分かりやすくていいなァ」
ヒュウの次に笑い出したのはゴルドだった。
「要するにあんたは、その物語とやらを書きたいが為にあの山に行きたいってわけだ。すげえシンプルでいい。気に入ったぜ」
その言葉に表情を明るくする小説家。しかし、そこでゴルドは皮肉げに両手を上げる仕草を見せる。
「おっと、だが最初も言ったとおり、俺には残念ながら先約がある。こいつは断れねえ」
小説家の表情が引き締まる。そしてその視線が、対面に座る俺に向いた。その様子を見ながら、ゴルドはニヤニヤ顔で問う。
「さて、どうする、作家先生? もう一度だけ訊くぜ。依頼をキャンセルするか?」
小説家は俺を見つめながら黙考する。
その瞳には先ほどまでの侮蔑の色は無く、真剣に懊悩する様が伝わってきた。
これから向かおうとしている魔の山、そこに住まう不死の怪物、そいつと実際に戦ったことのある傭兵、そして昨日の一件。己の我を通すべきか、それとも理性で感情を押しとどめるべきか。
俺はそんな彼女を、無言でまっすぐに見つめ返す。
やがて小説家は目を閉じ、深呼吸を挟んだ。大きく息を吐き出した後、彼女はゆっくりと瞼を開ける。
「傭兵、ソードといったか」
初めて彼女が、俺の名前を口にする。俺は頷きを返す。
「ああ」
「……先ほどの前言を撤回し、改めて依頼しよう」
そして、その顔に少しだけ不服の色を残しながらも、そっと俺に右手を伸ばした。
「イヴィルショウ山岳地帯、その中腹の『滅んだ街』までの護衛、頼まれてくれるか?」
俺は椅子から立ち上がる。
俺の答えは、既に決まっている。
……イヴィルショウの不死の怪物。
その存在が、再び俺の前に現れた時点で。
俺の右手が、差し出された細く白い手を握った。
「ああ―――引き受けよう」
◆
それが、傭兵と小説家の旅の始まりだった。




