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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
11/83

〈十〉とある亡命者の奇譚

 胸の前で腕を組み、いささか演技めいた調子で、彼女はゆっくりと円卓の周りを歩み始める。


「そもそもの始まりは、私がアルダナク連邦からの亡命者に取材をしたことからだった」


 緩やかに歩を進めながら、小説家は語り出した。


「私の仕事は空想の物語を文章にすることだ。しかし、現実の重みを宿さない事柄に本当の物語は宿らない。それが私の信条でね。今回、亡命者に取材を申し出た理由もそれだ。斜陽射す国から命を賭けて脱出してきた人間の話に、物語が宿らぬ筈が無いからな」


 俺たちは沈黙のまま小説家を目で追う。ゴルドでさえも彼女の話に耳を傾けていた。


「今から一週間ほど前になるだろうか。ちょっとしたツテで、アルダナクから亡命してきた一人の軍人に話を聞く機会が出来たんだ。しかも彼が越えてきたのは一般的に亡命者が使うグラノズ大河ではない。なんと『牙持つ獣たち』の巣窟とされるイヴィルショウ山岳地帯を抜けてきたのだという。不謹慎ながらも、冒険譚の予感に私は期待を押さえられなかったよ」


 俺の席の背後まで回ったところで、彼女は椅子の背もたれに手をかけて立ち止まった。


「取材はイクスラハのとある宿場の一室で行われた。対面した彼は、想像以上に疲弊していた。魂まで疲れ切っていた、と言ってもいい。目は窪み、頬は痩け、頭髪には白髪が目立った。亡命前の写真は精悍な顔立ちだったが、見る影もなかった。よほどの地獄をくぐり抜けてきたんだろう。取材は亡命から三日後のことだったから、無理も無いと言えばその通りだ。しかし私の目には、彼が疲弊している以上に、混乱しているようにも見えたんだ」


 そこで一拍置いてから、小説家は再び歩みを始める。


「亡命当時の話を訊くと、彼はぽつりぽつりと、静かな声で語り始めた。連邦の軍事関係の重役だった彼は、数人の護衛と共にアルダナクを脱出したのだという。しかし、生きてイヴィルショウを越えられたのは彼だけだった。それ以外の人間はすべてあの山で命を落としたそうだ。私はそのときの様子を聞きたかった。悪趣味と思うならば思うがいい。私が知りたかったのは、そのときの彼の極限の心理状況だ。想像だけでは補いきれない、現実の重みを宿す物語だ。私は質問を投げかけた。護衛たちは『牙持つ獣たち』にやられたのか、と」


 ヒュウの席の後ろまで来て、再び彼女は歩みを止める。


「すると彼は無言で、曖昧に首を動かした。首肯ではなく否定の意味に見えた。そしてそれきり、彼は口をつぐんでしまった。言いたくないというより、どう説明すればいいのか分からないといった様子だったよ。今思えば、彼自身も自分の中で折り合いがつけられなかったんだろう。おそらく彼も信じられなかったんだ。そのとき自分たちの身に何が起きたのかをね。私は辛抱強く彼の発言を待った。すると長い沈黙を挟んだ後で、彼はこう答えたんだ」


 今度はヒュウの椅子の背もたれに手を置き、彼女はたっぷりと時間を挟んだ。まるでこれから口にすることの重要性を予感させるかのように。


 そして彼女は言う。


「『あれは獣ではなく、人の形をしていた』と」


 しかし、その発言に驚きを顔に出す者は誰もいなかった。そんな俺たちの様子を一通り眺めてから、小説家は口元に確信めいた笑みを浮かべた。


「『牙持つ獣たち』の形態は様々で、餓狼のような種もいれば鳥獣のような種もいる。一概に言える奴らの特徴は、その肉体に『攻殻』と呼ばれる極度に硬質化した部位を持つこと。それは傭兵として何度も連中と渡り合ってきた諸君らには周知のことだろう」


 その同意には誰も頷かなかった。頷くまでもないことだったからだ。


 『牙持つ獣たち』と大別的に称される種族は、現在では七十七種が発見されている。そしてそれらの持つ『攻殻』の部位は種によって実に様々だ。


 『攻殻』には口腔から覗かせる牙もあれば、四肢の爪、鳥獣ならばそれらに加えて嘴や翼の羽などもある。しかしそれらすべてに共通して言えるのは、その尋常ならざる硬度だ。


 成体の『攻殻』の硬度は、一般的な鉄剣の製造などに使われる鋼鉄の約三倍にも昇るといわれている。それはつまり、現状の人類には戦闘において奴らの『攻殻』を砕く手段がほぼ存在しないことを意味する。これこそが、『牙持つ獣たち』が未だに我々人間にとって脅威とされる第一の理由だ。


 ちなみに、現在の研究によると『攻殻』の硬度は持ち主の獣の絶命によって著しく失われてしまうらしい。それ故、未だにその硬度を維持したまま加工を施す技術は発見されていない。


「私は軍人に何度も確認した。それは本当に人型だったのか、と。見間違いではなかったのか、と。二足歩行をする人型の『牙持つ獣たち』の報告例はこれまでには無い。もしそれが本当なのだとしたら、それは七十八種目の新種ということになる」


 小説家の言葉に、ヒュウだけが静かに頷きを返す。


「私が問いかけるたびに、軍人は何度も頷いた。間違いなく人型だった、とね。どうも嘘を言っているようには見えなかった。山岳地帯のユナリア側に出た辺りで、一行はその怪物に襲われたという。彼の話によるとそいつは一般的な成人男性程度の身体で、ほぼ全身に『攻殻』が認められたらしい。まるで牙の鎧を纏っているようだった、と軍人は語った」


 話を続けながら、歩みを再開する小説家。


「戦力は圧倒的だったそうだ。人型といっても、その動きはまさに『牙持つ獣たち』のそれと同じか、あるいはそれ以上だった。恐るべき俊敏性と獰猛性、それに全身を覆う武器と鉄壁の鎧。護衛は次々と倒れていった。それはまさに鬼哭啾々たる有様だったそうだ。爪で首を掻き斬られ、はらわたを牙で食い破られ、手足を全身の『攻殻』でボロ雑巾のように刻まれた。その軍人は青ざめた顔で、その様子を静かに語ってくれたよ。しかし、一行を驚愕させたのはその強さだけではなかった」


 小説家はそこで再び、勿体付けるように一度言葉を区切った。


「―――その怪物は、不死身だった」


 その話にもまた、俺たちは何も反応を見せなかった。まるで、その事実が周知であるかのように。小説家はかまわず続ける。


「戦いの中で、護衛の一人がその怪物に一矢報いることに成功した。『攻殻』の鎧の隙間から、刃で心臓を貫いたのだそうだ。間違いなく致命傷の筈だった。しかし、完全に貫いた筈の胸は刃を抜くと同時にすぐさまに治癒し、傷は跡形も無く消え去ったのだという」


 そこまで言ったところでちょうど彼女は円卓を一周し、最初の位置に戻った。


「結局、軍人の護衛たちはその怪物を相手に全滅した。しかし彼はそんな部下たちのおかげで、一人だけ山を降りることに成功した。その怪物は山の外までは追ってこなかったそうだ」


 彼女は元の席には座らず、円卓テーブルに両手を置いて、我々の顔を見渡した。まるで我々の反応を吟味するかのように。


「……さて、ここまで聞いて、諸君等に心当たりは?」


 わずかな静寂が店内に降りる。


 それを先に破ったのはゴルドだった。奴は降参するように両手を軽く上げた。


「正直、心当たりしかねえな」


 その対面でヒュウは大きく吐息をつく。知られてしまった以上、仕方ないといった様子だった。


「……ええ。ゴルドの言った通りです」


 俺は黙したまま、小さく顎を引いて頷いた。同時に、俺の脳裏にあの異形の姿が蘇る。あの存在は忘れようと思って忘れられるようなものではない。


 ヒュウが続ける。


「全身に『攻殻』を纏った異形に、凄まじい強さ、そして不死の身体。それらの特徴からも間違いありません―――僕らも五年前、その存在に遭遇しました」


「そうか、これであの軍人の口述が妄想ではないと証明されたわけだ」


 小説家は我が意を得たりと言わんばかりに笑みを漏らした。


「しかし、そんな化け物と会敵して、あなたたちはよく生きて帰ることができたな。精鋭の護衛兵ですら全滅したというのに」


「その精鋭とやらより、単純に俺らの方が強かっただけの話だろ」


 ゴルドが投げやりな調子で漏らした。言葉でそうは言っても、奴にとって五年前の結果は不服なのだろう。


「結果的に言えば、我々は撤退しました」とヒュウがかぶりを振る。「誰もがボロボロで、戦略的な撤退と呼ぶよりは、ほとんど敗走に近い状態でした。負傷した我々をソードが担ぎ、半ば断崖から転げ落ちるようにして脱出したんです」


「あの殺し合い自体はかなり楽しめたんだがなァ」と珍しくゴルドが自嘲気味な笑みを漏らした。「刺しても斬っても反応が無いってのは、ちょいとルール違反だぜ。途中で飽きちまった。やっぱり殺し合いは心が通じ合わねえと。なァ、ソード」


 ゴルドが横目で俺に視線を向けるが、俺は無視した。この狂人相手に同意を示すことなど、この星が逆回転をしてもあり得ない。


「だが、なぜあなたたちはその存在を公にしなかった?」と小説家が問う。「その怪物が『牙持つ獣たち』の新種であることは間違い無いし、それを野放しにしておくことが正しいとは私には思えない。その危険性からも、五年前の時点で然るべき機関の対処を請うべきだったのではないか?」


「あの怪物は、俺たちの世界の枠組みを遙かに超えている」


 俺はそう答える。


「殺すことの出来ない存在に、どうやって対処しろって言うんだ。それに、公表したところでどうなる? 教皇庁に報告すれば調査の為にまた何人も犠牲になるのは目に見えてる。ならば触れない方が犠牲者が少ない。そう考えただけだ」


「フォレスター先生、貴女の言うことはもっともですが」ヒュウが伏し目がちに言う。「しかし実際に戦ってみれば、あれがどれほど異常な存在かが分かります。ソードの言ったとおり、現状の人類にどうこう出来るレベルじゃない。現実的に考え、ソードの案が最も被害が少ないという結論になりました。幸いあの山に近づく人間もほとんどいませんし、あの怪物が襲ってきた理由も我々が山岳地帯の深くに足を踏み入れたせいです。故に手出しさえしなければ、奴の方から人間に何かをしてくることは無い、そう判断しました」


 小説家はしばらく考え込むような間を置いてから「一理ある」と頷いた。ヒュウが付け加える。


「その軍人の護衛には可哀想ですが、事実、今日まであの怪物が自ら人間に害を成したという話はありません」


「東和諸国のことわざにある、『触らぬ神に祟りなし』ってことだなァ」


 ゴルドはそう言うが、しかしその目は明らかに、機会があればまた触りたい、という光を宿していた。つくづく、哀れなほどに奇特な男だ。


「納得したよ。なるほど、立ち入る者のみを喰らう、か……まるで魔の山の番人だな」


 小説家がぽつりと呟く。


 しかしその鳶色の瞳を見て、俺は嫌な予感がした。それは昨日、書店でこの女が垣間見せた目と同じだった。


 溢れんばかりの好奇心、情熱と言ってもいいほどの意志の色。


 ……この女、いったい何を考えていやがる。


「フォレスター先生があの山を目指す目的は」とヒュウが訊ねる。「やはりその怪物に関心があって?」


「ふむ、そうだな」


 しかし、小説家の首肯はどこか煮え切らない。


「正確に言えば、その怪物の起源に興味があって、と言うべきか」


「起源?」


 ヒュウの反芻に、小説家は瞳に微かに光を宿した。


「あなたたちは気にならないか? その怪物が何故、そしてどのようにして誕生したのか」


「それは、まあ」


 ヒュウが曖昧に頷いた。その後で小さくかぶりを振る。


「しかし、現代科学においても『牙持つ獣たち』の生態やルーツは判然としない部分がありますし、それを解明するにしても専門的な知識が……」


「実は先ほどの軍人の話には、まだ続きがある」


 と、小説家は不敵な笑みを浮かべながら言った。目の輝きは更に強まり、まるで好奇心旺盛な童子のように、爛々とした光を放ち始める。


「……続き、だって?」


 俺は訝しげに小説家を見やる。彼女は大仰に頷き、再び胸の前で両腕を組んだ。まるで、これから始まる話こそが本題である、と言わんばかりに。


「先ほど私は、その軍人が山岳地帯をユナリア側に抜けた所でその怪物に襲われた、と言ったな?」


「ええ、それが何か?」


 ヒュウの問い返しに、彼女は右手の指を一本立てる。


「その襲われた場所というのが実に奇妙でね。軍人はそこで、信じられない物を見たそうだ」


 勿体付けるように間を空ける小説家。ゴルドの目に微かに苛立ちが宿る。


「何を見たって言うんだ?」



「―――街、だ」



 彼女は口元を綻ばせ、答えた。


「あの山の中腹に、滅びた街があったんだ」


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