胡蝶の夢・前編
長くなりそうなのと最後まで一気に書くとどんだけかかるか…というわけでとりあえずキリの良いとこまで投下します。
まだ続きます(`・ω・´)
家族全員が揃う朝餉の席へと歩を進めるたびに、コトコトと音をたてながら自分のあとをついてくる式神の螺鈿が可愛くて仕方ない。
「おはようございます、父様、兄様」
「おはよう」
「おはよう。さて、食べようか」
賀茂家では朝は家族が揃って食事を摂る。
鈴子は自分の席に腰を下ろし、螺鈿を手招いた。
「鈴子、式神は必要なときだけ召喚すれば良いだろう。膝の上に乗せるなんて……!」
「平気よ。全然重くないもの」
「そういう問題じゃ――」
「まあまあ……ところで鈴子、今日は暇かい?」
「ええ、特にすることも無いわ」
鈴子は膝の上の螺鈿を撫でながら父の問いにかえした。
螺鈿は鈴子の式に下ってから、小さくなることができるようになったようで、最近では成人男性の握りこぶし位の大きさでいることが多い。
鈴子の影に潜っていていいはずだし、その方が移動も楽だと思うのだが、大抵螺鈿は地上に出たまま、殻をコトコトと鳴らしながら跳ねて鈴子の後ろをついて回っている。
もちろん、妖を見る力の無い者には、跳ねている貝も殻がコトコトいう音も見えていないし聞こえてなどいないのだが。
「用が無いなら丁度良かった。私の仕事を手伝ってくれないか?」
「父上! 父上は鈴子を買い被りすぎです。鈴子では手伝いはおろか……」
「保秀、仮にそうだとしてもね、そういうことは言うものじゃない。お前だって言霊の怖さはよく知っているだろう。特に陰陽師のお前が言えば言霊は鈴子を幾重にも縛ってしまう。お前の気持ちも分からなくはないが……少し気を付けなさい」
「……はい」
忠家は息子に気付かれないよう、こっそりとため息をこぼした。
見立てが外れていなければ、保秀は焦っているのだ。自分が必死に修業して捉えられるようになった妖の姿を、年の離れた妹は修業も無しに捉え、挙げ句式にまで下してしまった。
このまま妹が陰陽道において成長していったらいつの日か、自分の居場所が妹に奪われてしまうのではないか。もし万が一にも世間の耳にでも入ったら、陰陽寮での立場も無くなってしまうのではないだろうか。
そんな不安が、無意識のうちに保秀に鈴子の欠点を探させ、言霊で縛って彼女の成長を阻害しようとしているのだ。
「保秀、今回はとある姫君が相手なんだ。裳着も済ませた姫の寝所に男がずかずか入るわけにはいかないだろう? 幸い鈴子は女ながらに陰陽道をかじっているし式神が使える。相手が相手だからね……だから私は鈴子に手伝いを頼んだんだよ」
「はあ……。そういうことなら分かりました。父上も鈴子も気を付けて下さいね。まぁ父上は心配いらないと思いますが」
兄妹うまく取り持つのは中々に大変だ。渋々といった感じだとはいえ頷いた保秀に忠家は穏やかな笑みを向けた。
「それはそうと保秀、時間は大丈夫なのか?」
「えっ? あ、あああああっ! ごちそうさまでした! 行ってきます!!」
私は一仕事終わらせてから出仕するんだから、私に合わせてちゃダメじゃないか。と忠家は苦笑する。
この家のように位の低い家では出仕は基本的に徒歩だ。全力疾走で大内裏の方へ駆けていく保秀を見送って、忠家の式神が小さく笑いながらそっと扉を閉じた。
―――――――
―――――
―――
「ここが大納言様のお屋敷?」
「ああ、そうだ。お部屋に入ったらお話をよく聞いて、何か変わったことが無いか確かめなさい。いいかい? 何か変わったものを見つけたら私の式を通して私にすぐ連絡しなさい。御簾の外からでも術は使えるんだから、絶対に無理をしてはいけないよ?」
「もし……螺鈿が食べたいって言ったら食べさせちゃってもいい?」
「それは相手が何か分かってからだ。いいね?」
鈴子は少し緊張した面持ちで頷いた。
屋敷内に何かしらの妖がいることは確からしく、すでに鈴子の肩の上で待機している螺鈿は体を揺らし、ウキウキとしているようだった。
「賀茂忠家殿ですね。大納言様と中姫様がお待ちです」
華麗な女房装束を纏った女房が中姫が眠る対屋へ誘った。
「其方が賀茂忠家か」
「は、お待たせしてしまい申し訳ございません。……これは我が愚女でございます」
「ほう、其方が……。既に文で伝えた通りだが、私の下の娘がここ3日ほど目を覚まさぬ。水だけは飲ませているもののこのままではいつまでもつか……」
最初は大納言らしく堂々とした様子だったが、語尾は段々と細り、ついには涙ぐむ。
その様子を見るにつけても中姫が父大納言に愛されていることが分かった。
「螺鈿、妖の気配はこの対屋からしてる?」
<うん!小さいけど食べごたえありそうなやつなのだ。あのおじさんの後ろあたりにいるのだ>
「だそうよ、父様」
「場所から言ってやはり中姫様の御寝所の内か……」
ひそひそと鈴子と忠家は言葉を交わす。
螺鈿が食べごたえがありそうと言うのだ。形は小さくとも妖力は強いのだろう。
鈴子の安全を考えたら妖は御簾の外へ連れ出して滅したかったのだが、これでは逆に手加減をした方が付け込まれて危ないかもしれない。
「大納言様、只今少々探りましたところ妖は中姫様の御身周辺にいるようでございます。つきましては我が愚女へ中姫様の御寝所へ入る許しを頂けないでしょうか」
「なに……姫の周りに……! 其方の娘が入ることは勿論許可する。しかし、その……疑うようですまないが、大丈夫なのか? 其方の娘はまだ幼いようだが……」
<うーっあのおじさん許せないのだ!よりによって鈴子様を疑うなんて!鈴子様は我の主に充分すぎるほどの実力を持ってるのだ!それを……!!>
大納言のその言葉を聞くなり、螺鈿は殻をカチカチと打ち合わせ、白煙を立ち上らせる。
本気で怒っているようだが、大きさが大きさなだけに迫力はいまいちだ。
「身内事で申し上げるのも畏れ多いのですが、我が愚女はすでに妖をその目に写し、式神を使役しております。それに万が一の時には私も御簾の外におります。心配は必要ございません」
ほんの少し誇らしげに忠家は言った。それを見て大納言も頷いた。
「分かった。それでは娘を頼む」
「賀茂殿、こちらへ」
女房に誘われて中姫の寝所に入った瞬間、鈴子は一瞬息を詰めた。
室内の空気はどんよりと淀み重い。賀茂の屋敷の中では感じたことのない空気だった。
「螺鈿、凄く嫌な感じがする」
<それは多分妖気なのだ。凄く美味しそう…>
薄暗い部屋の奥の御帳台の内にに1人の少女が横たわっているのが見えた。
年は鈴子より少し上か。筥の蓋に納められた、黒々とした髪はとても長そうだった。
「中姫様、賀茂の陰陽師をお連れしました」
女房が眠り続ける少女に声をかけた。
しかし彼女は目を覚ますどころか身動ぎひとつしない。
「私はそこの几帳の後ろに控えております。何かありましたらお呼びくださいませ。賀茂殿、中姫様をどうかよろしくお願いします」
目覚めない中姫を目にしたことで辛くなってしまったのか、女房は今にも泣きそうな様子で近くの几帳の後ろに下がっていった。
「中姫様、失礼します。何か変わったものは……あら、あれは何かしら」
眠る中姫に一声かけ、彼女の身の回りを鈴子は見渡した。
鈴子が違和感を覚えたのは二階棚に置かれていた小さな壺だった。
なんの変てつもない蓋つきの小さな壺だったが、その壺を取り囲むように数匹の紫の蝶が飛んでいる。そしてその蝶は時折中姫のところにも飛んできては彼女に麟粉を振りかけているようだった。
<……>
「あの壺なにかしら……? ……螺鈿、どうしたの?」
<なんか妙なのだ。妖気を放ってるのはあの蝶や壺じゃなくてこのお姫様なのだ>
「え……? じゃあこの壺と蝶は……」
指紋を付けないようそっと鈴子は壺の蓋に手をかける。
細く開いた壺の口からはキラキラ光る紫の煙がふわりとたなびき、鈴子を包み込んだ。
<あ!鈴……>
焦ったように鳴らされる螺鈿の殻の音を聞いたのを最後に鈴子の視界は暗転した。
補足
☆大納言の娘の呼称について
後半で出てくる予定ですが“中姫”というのは“2番目のお姫様”という意味の呼称で“中”という名前のお姫様ではありません。
当事女性の名前は夫と家族以外には知らされないのが普通でした。(帝の后・皇女となるとまたちょっと別ですが…)