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自分の逃げていた先がまさか食堂だったとは思わなかった。
オレはその時恥ずかしさに思考を支配されていたんだ。それは仕方の無いことかもしれない。そう、仕方の無いことなのだ。
そんな言い訳を自分に言い聞かせ、オレは帰りの支度をする。
昼休みの時、オレは結局食堂で裕真の分のパンや飲み物を買うはめになった。全学年の生徒達が密集するあの中にオレは果敢に挑み、売り切れがかったパンを奇跡的に手にし、ついでに頼まれた飲み物を自分の分と合わせて買ってやったのだ。
当然の如くオレの金だ。
食堂の入り口で待っていた裕真の「おっかえりー」という言葉が腹に立ち、オレは問答無用で裕真の財布をひったくり、利子付きで金を返してもらった。
後のことはどうでもいい。オレにとって大事だったことは、オレが感じる必要のなかったストレスと使う予定では無かった金のことだけだ。それらはもう清算されたので、どうでもよかった。
だが、中庭でご飯を食べたことだけは追記しよう。
帰りのHRを終え、生徒達がそれぞれ帰宅していく。
掃除当番が箒を片手に教室を掃除し始めていた。
オレは速足に学校の校舎を出る。校舎の裏手の玄関から出て、自転車置き場に向かう。
自転車置き場は校舎を出てすぐ左、道路のように舗装された道を行けばある。オレはそこを歩く。
右手には広い憩いの広場があり、少し進むとフェンスで囲まれたテニスコートがある。そしてその先。
雨避けのトタン板の下、自転車共が無造作に置かれていた。
トタン板の下にあるべき自転車の一部が、道に溢れかえっている。マナーの悪い奴らのせいだ。
深緑色のオレの自転車の鍵を外し、手早くそこから出す。こちらに向かってくる生徒や道に溢れた自転車を避けながら、オレは学校の門から出た。
学校の前は道路だ。しかもその距離は近い。
危なっかしいな、と毎度ながら思う。
けどそんなことはいい。
そんなことよりも、オレは早くあの場所に行きたいと思った。
自転車を漕ぎながらその場所のことを思い浮かべ、徐々に気持ちが急いていく。
逸る気持ちを抑えきれなくなった頃、オレは立ってペダルを忙しなく動かした。
歩行者が歩く道。横手には桜。桜、桜が花びらを散らしている。
その桜達は普通の木だった。
普通に誰の頭の中にでも思い描ける、そんな大きさの木達だった。
オレの求めているのは桜だ。だけど普通の桜ではない。
青白い腕の生えた、大きな桜の木だ。
十分程。母校である小学校の近くに着いたオレは、小学校の前にある小さな横断歩道を渡る。
そしてそのまま真っ直ぐ、緩やかに下に向かって傾斜している短い道を行き、蔓を絡ませた鉄のアーチをくぐる。
そこを抜けると、満開の桜がオレを待ち受けていた。
自転車の速度を落とし、降りる。すぐ近くにある学校と似た自転車置き場にとめて、オレは歩きだした。
今度は上に向かって傾き、勾配している短い坂の上。桜は存在を主張するようにそこにあった。
オレはここに住む住民達が、酷く羨ましくなった。
この桜が立つ場所は、五階建ての箱のようなマンションが立ち並ぶ住宅地なのだ。
マンションの前には、順に自転車置き場、その背を沿うように坂道、集会所である平屋の建物が建った広場があり、そこの広場に桜の木が立っている。
近寄り、今日も青白い腕がそこにあることを確認したオレは、スッと頭が冷えるような感覚を味わった。
帰ってきた。そう感じる。
オレは住宅地のマンションに昔住んでいた。
小学五年生の時に引越したのだ。
オレはその時物凄く抵抗した。ここを離れたくなかった。
両親は、大人しく良い子だったオレが騒ぎ抵抗したことに驚いていた。
桜の木から離れたくない。
その一心で暴れ、泣き、皆の説得を聞き入れなかった。
そんなオレに両親は折れた。
この住宅地から駅三駅程離れたところにある、父側の祖父と祖母が住む家に越すことにしたのだ。
桜の木の幹から腕が突き出されている。
力無くくたりと下を向く指先。
オレの胸の高さに生えた、桜の腕。
数分眺めた後、オレはその幹に背を預けて本を読むことにした。
鞄を覗くと携帯電話にメールが届いていると知らせるランプが点滅している。
開くと、同級生の幼馴染からだった。
『今日どっか行こうよ』
絵文字が使われたメール。
北西 杏奈と表示されたそれに、オレは『無理。用事ある』とだけ書いて送信した。
桜の木を背に、オレは小説を開いた。




