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うららの反応はテツジが想像(というか期待)していたものよりも遥かに大きかった。少なくとも10秒くらいは無言でまじまじと見つめられてしまった。
「あれ、変かな?」
相当白々しいなとテツジは思ったが、それでも使い古されたとぼけ方を使ってみる。
それでも彼女の反応は遅かった。呆気にとられたみたいに口をぽかんと開けて、まっすぐ彼を見つめている。
頬が赤い。
テツジは背中の後ろで左の拳をぎゅっと握りしめていた。恐らくガッツポーズの類である。流石に嬉しかった。
「いや……あの…………」
嘘みたいに小さい声が、日本一可愛い女の子の喉から漏れる。
「え、く、クロエさんが切ったんですか?」
「はい、凪さんのついでに」
テツジの背後でクロエが言う。
うららは口を開いたまま、手が体の前でモヤモヤと空を掴みそこねている。
「女の人みたい」
ぼそっと、うららの隣にいた新月機関のアニーが呟いた。戦闘員として凪と一緒にいることも多い彼女なので、声を聞いたのは初めてではなかったが、それでもこれが5回目というくらいには口数が少ない彼女である。
「……短いのに」
6回目が続いた。驚異的なペースである。
「褒めてくれてます?」
聞いてみたが、アニーは何も言わずポニーテールを僅かに揺らして首を傾げただけだった。人見知りとか男と話したくないだとかそういう雰囲気は感じないのだが、いかんせん彼女の表情は人形よりも動かないので考えていることは読み取れない。無口な彼女がわざわざ口を開いてくれたのだからきっと好意的な反応なのだろうとテツジは思うことにした。
恐るべきはクロエである。なぜこんなろくな設備もない世界でこうまで完璧なヘアカットができるのだろう。指導、先導、演説、啓蒙、教育、戦闘、挙げ句に整髪まで……シンプルに能力が高すぎる。
(凪さんが無茶するわけだ)
それが自分の髪を鏡で見たときに、テツジの頭に浮かんだ素直な感想だった。面倒な問題は色々と丸投げにしても、彼女に任せておけば間違いはないと、きっとこの世界の誰もがそう思っているのだ。
ならばきっと、うららの反応もそういうことだろうと、
そもそもうららは彼に好意を抱いてくれているようだと、
今日だって、テツジが描いた絵(というか図)を見せてほしい的な口実で彼女の方から会いに来る予定だったのだ。凪やクロエからの「わかるよな?」的な圧も感じるし、きっと彼女の過去を彼が気にしすぎる必要はないのだろう、と。
もう一度彼女の顔を見るまでは、テツジもそう思っていた。
(え?)
浮ついた心が一瞬で凍りつく。
「……うららちゃん?」
うららはもう、彼の顔を見ていなかった。
「ごめんなさい、なんでも、なんでもないんです…………」
俯いたまま、彼女は呟く。どう見てもなんでもない顔ではなかった。
サソリに刺されたように心に冷たい毒が染みる。
不思議な変化だった。数秒目を離しただけで、こんなにも人間の表情が暗くなるものか。明らかに普通の貌ではない。横にいるアニーも顔色は陶器のように変わっていなかったが、じっとうららの顔を見つめていた。
(……何が起きた?)
「具合が悪いのですか?」風のように柔らかく、素早く、クロエがテツジの脇をすり抜けうららの側に寄り添った。「顔を洗ってきましょう。少し熱があるのかもしれません」
「はい……ありがとうございます」
彼女は顔を伏せながら、一瞬だけ、泣きそうな表情で彼の顔を盗み見た。
何かしらの嘘が場を満たしていることはわかる。
多分、優しい嘘。
多分……。
テツジは考えた。
その表情、
泣きそうな瞳、
紅潮していたはずが青ざめた頬。
彼の胸のうちに、ほんの小さく点った信号があった。黄色では絶対にない、だが青か赤か見分けがつかない、そんな幽かなサイン。
(クロエさんは……こうなること、知ってた?)
俄に、遥か遠くで汚い咆哮じみた音が響いた。
大した音量ではなかったが、アニーとクロエ、そして沈んでいたうららすらすぐに顔つきを変えて窓を見た。
「魔物が出たようです」クロエが言う。「今のは凪さんが奴隷を改造して作った〝サイレン〟の叫び声です」
その役割の奴隷がいることは説明を受けていた。凪は魔物に襲われたり周囲の奴隷に腹を殴られたりすることで雄叫びを上げるそれを『ブーブークッション』と呼んでいた。
すぐに外へ駆け出したクロエたちの背を追って、テツジも部屋を出た。
*
戦時中の避難訓練のような空気だった。仄暗い曇り空の下で、広場に町の住人が集まっている。大人は冷たい顔をしているが、真ん中で囲われている子どもたちはやはり落ち着かないらしく、波に紛れてクスクスと精一杯抑えたのであろう笑い声が聞こえきた。
テツジは街の外周にある石の見張り台の上で、ルーナという、先ほど発酵石なる石を取りに来ていた新月機関の女性と共に遠くの森や山を見つめていた。
「あの声が一度鳴ったということは、遠くで警戒網を敷いている凪さんの奴隷たちが魔物を発見したということです」
彼女は言う。気は張り詰めているが同時に慣れも感じる凛とした声音で、先ほど会った時とは印象が違っていた。
「音の感じ、まだかなり遠くだと思います。〝サイレン〟のラインは農地の端から三段階作られていて、今のは一番遠くの警報ラインです。第二の厳戒ラインから声がした時点で女性と子どもたちは港から船上に避難、同時に私たち新月機関は全員が出動になります。いざというときは、最低限戦える女の私たちが魔物を引き付けなければなりません」
「以前に、そこまでしなければいけないことがありましたか?」
一瞬彼を振り返った彼女は、少しだけ微笑んでいた。
「二年前まではしょっちゅう。幸いにも大きな被害は出ていません。凪さんたちが根気よくダンジョンを見つけて出口を塞ぎ続けてくれたおかげで、去年からは一気に回数も減りました」
「そうでしたか」
テツジは頷いた。どおりでこの世界の住人たちが新月機関に敬意を払うわけである。そしてやはり凪の奴隷たちは被害のうちに入らないらしい。
遠くで雷の夜に銃声が鳴った。今、そこでは凪が魔物を捕捉して奴隷たちとともに戦闘をしている。うららとリタ、クロエ、アニーは既に農地周辺の、いわゆる最終ラインですでに待機をしているらしい。
「……本当なら、僕も前に出るべきですね」
「そんなことないですよ、テツジさんはまだこちらに来たばかりなんですから。リタちゃんたちはずっと前線にいましたから、戦うのに慣れてます。経験は大事ですよ」
「では、今のうちに僕も経験値を増やしておきます」
振り向いて彼は言う。目がバッチリとあって、一瞬ビックリしたようにルーナは目を逸らした。27歳ほどと新月の中では最年長組らしいが、細かい仕草に愛嬌のある人である。ちなみにクロエはまだ25歳だそうだ。
「あ、ごめんなさい」彼女は謝る。
「何がですか?」
「いや……こんなときにアレなんですけど、素敵な髪型だなって……ええと、なんでしたっけ?」
「うららちゃんが待機しているのはどこでしょうか? 今のうちに最終ラインを把握しに行きたいのですが」
また彼女は目を見開いて彼の顔を見た。だがすぐに唾を飲んで、納得したように何度か頷く。
「そうですか、わかりました。じゃあ武器のところまで誰かに……いや、違うか、私が案内します。ここでの見張りは誰かに代わってもらいましょう」
「武器?」
階段の下へ誰かを呼ぼうとした彼女が振り返った。
「え、あの、クロエさんが、テツジさんがうららちゃんのところへ行くなら剣を持たせてあげてくださいって言ってたのですが……」
「なるほど」
色々と納得した。つくづく恐ろしい人である。
「ええと、剣というのは?」
「凪さんがこちらの世界に来たときに見つけたという大きな剣です。重すぎて私たちでは振り回せないんですけど、転生者で男性のテツジさんなら……」




