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犯るか犯らないか
どう生きたら、その二択が頭に浮かぶんだよ
*
テツジがこの世界に来てから、更に幾日か過ぎた頃だった。町の役場の中、まだ入ったことのなかった部屋で見た想定外に牧歌的な光景に、テツジはドアノブに手をかけたまま数回パチパチと目を瞬かせた。
クロエが凪の髪を刈っていた。茶色っぽい布を被った凪が眠っているみたいに椅子に座っていて、腕まくりのクロエがハサミをチャキチャキ小気味よく動かしている。クロエの目がすぐにテツジに向いてニコリと笑った。
「こんにちは、テツジさん」
「こんにちは。すいません、後にしますね」
「いや、それには及ばない」
目を閉じたまま凪が言う。見た目通り眠たそうな声だった。
「多分もうすぐ終わる。今も仕事の話をしてた」
「寝てらっしゃいましたよ」
「……トテモ恥ズカシイ。テツジは干拓の話か?」
「はい。クロエさんに頼まれてた図を描き終えたので」
「そうか。まあその辺に座って待っててくれ」
言われたので、テツジは素直に待つことにした。近くにあった小さなテーブル脇の椅子に腰掛ける。一種の倉庫のようだった。石の床、木の壁、吊るされた灯り。西と南側の棚に密閉された木箱がたくさん並んでいる。
「ここは魔力のある鉱石をしまっている部屋なんです」手を止めずクロエが説明する。「使い方がわからないものが大半ですが他のものと混ぜるわけにもいきません。場所がもったいないので、もっぱら凪さんの理容室ですね」
「俺は丸刈りで全然問題ないんだがな」
「だめです」
和やかに会話する二人に少し萌えながら、テツジは妙に作りのしっかりした木箱を眺める。この世界は歪だ。必然的に、住人たちの知識も歪になる。大きな船はあるのに誰も帆の作り方を知らない、香辛料はほとんどないが香水は作れる、食料の備蓄より布の備蓄の方が多い等……知れば知るほどこの世界の雑な作りというか、「それっぽく適当に配置」したものと「誰かの性欲」が見え隠れする。昔新月機関が着させられていた服も上質なものがたくさんあったらしいが全て燃やされたそうだ。
ガチャリとドアが開き、黒い髪の新月機関の女性が入ってきた。誰もいないと思ってドアを開けたようで、つんのめるようにビクンと肩を震わせた。
「おわっとぉ、びっくりした。ごめんなさい、発酵石が足りないらしくて」テツジの方を見て、少しだけ微笑む。「こんにちは……テツジさん」
「こんにちはルーナさん」
目が丸くなった。
「名前、覚えてるんですか」
「竜が来た日に挨拶だけしましたよね」
「そうですけど……すごい、うららちゃんの言ってた通りね」
肩をすくめ、急ぎ足で棚に向かう。凪は頭を下げて襟足を剃られていた。
テツジは卓に目を向ける。水の張られたボウルと鏡の他に、凪の拳銃が抜き身のまま無造作に置かれていた。近くで見ると本当に大きい。持ち手から見ると不自然なくらい銃身が太く長く、銃口の位置がマテバのように下方にある。
ちゃんと観察すると、真っ黒な銃身に女神か天使を模した金のレリーフが彫られているのがわかった。絵の下には筆記体のアルファベットで書かれた飾り文字もある。
「……フェミニスト」
つい、口に出して読んでしまった。
「その銃か」下を向いたまま凪が言う。「反対側にはガブリエルって書いてある。最初はもっと小さかったんだがな」
「大きさが変わったんですか?」
「なんなら3つに増えた。年一くらいで元のコピーが出てくるんだが、訳わからんよな。リタが使ってるあれが元々のサイズだ」
「へえ……」
クロエは櫛を使っている。ルーナは屈んで袋に石を詰めている。
誰がどんな反応をしたわけでもないのだが、それでも何となく、今触れるべきではなかった話題であることにテツジは気がついていた。
意識して話をそこで止める。ルーナは石を詰めると、少しだけ頭を下げてすぐに部屋を出ていった。
「終わりましたよ」
クロエの言葉に合わせて凪が立ち上がる。クロエが先まで彼の首元に巻かれていた布をぱっぱとはたくのに合わせ、髪屑が平らな石の床に散らばってホコリと混ざる。無精髭を剃られ髪もスポーティに刈り揃えられた凪は傷跡はさておきとても好印象だったが、彼は手鏡も見ることなく、銃を拾い上げ部屋の出口へ向かっていった。
「かっこいいですね」
背中を目で追いながらテツジは言う。
「お前もな」
「テツジさんも、少し髪が伸びていますね」クロエの声。「せっかくなので切ってしまいませんか?」
「え?」
いつの間にかクロエに袖を抓まれていた。
「それがいい。俺は仕事に戻る」凪が一瞬だけ振り返り、片眉を吊り上げる。「腕前は見ての通りだ……いつもありがとう、クロエ」
「どういたしまして。さ、テツジさんも、どうぞどうぞ」
彼女は片手で椅子の方を示す。
別に自分はいつもこれくらいの長さだからまだ大丈夫……そういうニュアンスの言葉が、喉元までは上がってきていた。
だが軽く彼の手を引くクロエの指先にこもったほんの僅かな圧力から、彼女には彼に断らせるつもりがないことが伝わってきた。
なにか話があるらしい。
「それじゃあ……すいません、お願いします」




