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少しだけ日差しが眩しかった。
そのせいで、今、彼の眼下にどれくらいの人数がいるのかはハッキリと確認できなかった。
町の中央、集会所のようなスペースに、演説台にも処刑台にも見える簡素な木の足場が組まれている。テツジは今その上に立って、集まった住人たちの顔を見下ろしていた。
少なく見積もっても百人以上の視線が、彼の顔をジロジロと見定めている。最後尾には子どももいるようで、持ち寄った樽か木箱に乗って背伸びをしながら物珍しそうに見物をしていた。
「……テツジさんは、凪さんとは在り様は異なれど、同じ正義感を持つ異世界の方です」
左斜め前にいるクロエが、よく通る澄んだ声で集った民衆に語りかけている。
「それは同時に、家族や友人と引き離されてこの世界に迷い込んでしまった、小春花さんと同じ不幸な境遇にある方という意味でもあります。私並びに新月機関は、この小さな世界の輪の中を生きなければならない同胞として彼を歓迎し、いずれ元の世界へと帰る道を探す手助けができれば良いとも願っています。皆様もどうか温かな理解を示してくださいますよう、よろしくお願いいたします」
そう言って彼女が頭を下げると、誰が始めたでもなしに、パチパチと梅雨入りのように行儀の良い拍手が彼らを包みこんだ。こうなるとテツジも皆の前でぎこちなくお辞儀するしかなかった。
(これは……参った)
無闇に動悸を打つ胸の奥で彼は呟く。ろくな説明もなく突然こんな壇上に上げられたことには正直驚いていたが、しかしそれ以上に彼は肝を冷やしていた。今更にテツジは、この世界の住人にとって『転生者の男』は〝凪〟か〝性犯罪者〟の二択であるということに気がついたのだ。
かつて凪が殺した支配者(つまりはクロエさんたちを奴隷にしていた男)もまた転生者だったことまで考えれば、ほとんどの場合は後者と取られるのが自然である。
クロエがこうして噂が独り歩きする前に先手を打ってくれなければ、彼は危なかったかもしれない。
「突然すいませんでした、テツジさん」
いつの間にか彼の隣に立っていたクロエが、落ち着いてきた拍手の隙間から、謝ってくる。
「きっとお疲れでしたでしょうに、ご協力に感謝します」
「いえ……必要なことだったと理解しています」
「優しい方ですね」
そう言って微笑む彼女の佇まいに、彼は自然と二つの言葉を思い浮かべていた。
一つは、『聖女』。
もう一つは『政治家』である。
*
「クロエさん、女房が新しい服を縫ってきました」
「北の林で子どもたちが木いちごを取って来ました。新月の皆さんで食べてください」
「干し芋です。凪の旦那にもどうか」
「少ないですが、新しい香水です」
「小さいですが貝でネックレスを拵えてみました」
「茶葉です」
「配給の麦でしたが、うちでは使わないんで新月でぜひ……」
「いつもありがとうございますクロエさん」
「凪の旦那にもよろしくお伝え下さい……」
そういう言葉が、舞台を降りたあとのクロエの周囲をひっきりなしに飛び交っていた。町民が新月機関の元に集って、次々頭を下げていく。クロエや他の新月機関の面々(いつの間にかうららとアニーもいた)が渡された品々を受け取っては一人ずつ丁寧にお礼を返している。小さい子どもたちが彼女たちのことを「先生」と呼んでいるのも聞こえてきた。
新月機関の女性たちはみな美人であるというのもそうだが、町民たちと比べて明らかに仕立ての良い服を着ていることで簡単に見分けがついた。話から察するに寄贈されたものだろう。長いスカートと長袖が多い。修道女のようだとテツジは感じた。
というよりも、ほとんどそのものだろう。
新月機関とはこの世界の人々にとっての『宗教』なのだ。テツジはそれを理解した。宗教とは信仰であり、信仰は道徳規範である。もっと原始的な奪い合いが当たり前になっていてもおかしくない狭い島の中で、この世界の人々は互いに助け合って生きている。決して普通のことではない。
「いつも、本当にありがとうございます……」
これが一番多く聞く言葉だった。新月機関と町民、お互いに使っている言葉だったからだ。
かつては紛れもない『被害者』だった彼女たち……それ故集まった同情と彼女たち自身の献身がこの世界の倫理を支えているのだとテツジは想像した。悲痛で、壮絶で、健気で誠実で、それでいて打算的とも思った。
今はテツジも新月機関の服を着ている。その視覚的な印象もあの拍手につなげるためには必要だったに違いない。
(シンプルにめっちゃ頭いいんだろうな、クロエさん)
そういう結論に落ち着いた。
「テツジさん?」
壁に背を預け考えにふけっていた彼の隣に、そっと一人の少女が寄り添った。
「うららちゃん」
「あの……お疲れ様です」ぎこちなく彼女は言う。
「うららちゃんも新月機関なんだよね?」テツジは聞いた。
「はい、もうずっとそうです」
「大変だったね」
ぴくっと、彼女の肩が動いた。彼の顔を見上げ、すぐに下を向く。
「そんなことないですよ……そんなことないです。みんな優しいですし……」
口ではそう言っているが、本当は彼の言葉が刺さったことは態度で明らかだった。
うららは14歳で、この世界に誘拐されたという。
そして2年近くレイプされ続け、それから約3年、家族も誰もいない世界で過酷なボランティアを続けている。そうしているうちに、高校生の年齢を通り過ぎてしまった。
「……うららちゃん?」
また話しかける。
「はい、なんでしょうか」
「よかったら……しばらく、この世界のこと案内してくれないかな? もちろん忙しいなら全然大丈夫だけど」
「あ、ぜ、ぜひ!」
少し大きすぎるくらいの声を上げながら頷いてくれた彼女に、テツジは本気でホッとした。
デートコースとしてはありえないほどセンスがないのは気が引けたが……。




