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今すぐ線路に性犯罪者を敷き詰め、燻ってるボイラーに火を焚べろ
トロッコ問題なぞクソ食らえだ
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竜を凪が殺してみせた、そこからまだ1時間も経っていない頃。
テツジは昨夜彼が泊まった凪の館の質素な部屋の中で、一人の女性に奴隷魔法を使っていた。彼女の名前はクロエ。『新月機関』なる団体の代表を務めている長髪の美女である。初めて会ったときと違い、今日の彼女は垂らした三つ編みを後ろでリングにしたような上品な髪型をしている。
彼女はテツジの前で、なんの躊躇いもなく上着を脱いでみせた。
透き通るくらいに美しく白い、まるで美術作品のような女性美に満ちた顔と肉体……その胸があるべき場所に残った黒い傷痕に、テツジはある意味では凪の奴隷が受けていたどんなグロテスクな改造よりも心を乱された。鍋底に残った焦げ跡を思わせる刺々しい色味の中に、血管や筋肉の筋が植物の根のように這い沿っている。
まるで性犯罪が被害者の心に残した傷をそのまま具現化したもののように思えて、テツジは堪まらず視線を落としてしまった。
「どうか、ご遠慮なく」
椅子に座って向かい合っているクロエが言う。落ち着いていた。穏やかさがそのまま芯の強さを証明しているようなその声音は、彼の母親のソレによく似ていた。
テツジは恐る恐る胸の傷跡に触れた。想像通りのザラリという感触と、想像と違った生々しい柔らかさと温度、鼓動が手のひらから伝わる。湧き上がる罪悪感じみた感覚も努めて意識から外して、テツジは頭の中で目いっぱいの『治療』をイメージした。
……が、何も起こらない。うららの脚に手を添えたときには彼の脳内に浮かび上がった骨なり肉なりの輪郭図が、まるでノイズがかかっているように掻き消されていく。
「ノイズがあるか?」
テツジの背後にいた凪が彼に聞いた。
「はい……無理そうです」
「まあ、そうだよな。俺もそうだった」
テツジは奴隷魔法を解いた。クロエの首から首輪が消える。ホッと息をついた。うららの時もそうであったように、他人に対しあからさまに人権を無視したことができてしまう状況が、彼にはひどく不快で落ち着かないものだと感じられた。
「本当なら私以外でも試すべきかもしれませんね」
クロエは特に何かを気に留める様子もなくシャツを着た。
「きっと、私の傷痕が一番粗いでしょうし」
「やりたくはないな」
凪の声は本当に苦々しそうだった。
「どうせ結果も同じだろう。他人がした『改造』の痕は治せないのは俺がゴミ同士で確認済みだ」凪の手が後ろからテツジの肩に触れる。「……胸を最初に切り落としたのはクロエなんだ。クロエだけは、他のみんなに決意を促すために、誰の助けも借りず一人でやりきった。狂ってるだろ?」
狂っている。全く同意しかなかった。うららが言っていた、「クロエさんは凪さんより普通じゃない」という言葉を思い出す。
ドアを叩く音がした。返事も待たずに赤い髪のリタが入ってくる。
「戻ったよ。あれ、三人で何してたの?」
「胸をもとに戻せるかを確認していました」クロエは微笑む。「やはり難しいようです」
「それ、前も試してなかったっけ?」
「念の為です」
「あっそ」
「リタ」凪の声。「確認がある」
「なんすか、説教?」
彼女はわかりやすく顔をしかめる。
「うまくいったしあれが最適だったでしょ?」
「ああ。リタが囮になってくれたのは助かった。クロエたちが来る前に動くべきってのもマジでその通りだった思う。いつも俺より賢くて助かってるよ」
「はあ」
「あのとき竜に……空飛ぶ魔物に銃を使ったな? 俺としては、リタにはいち早く離れるか、自分の場所を主張してほしかった。お前が避けられたのか確認できない以上、俺は最初から前に出て至近距離から撃ち抜く気だったが、避けられたならまずは銃など撃たず離れるべきだ。飛び出していく前にそういう確認くらいはできたんじゃないかっていう、あれだ……振り返りだ」
リタはムスッとしたま腕を組んでいたが、やがてぴしっと背筋を正して敬礼っぽいポーズを取った。
「スイマセンデシタ。反省し次に活かしまーす」
(そのジェスチャー知ってるんだ)とテツジは思ったが、後から入ってきたうららたち新月機関メンバーにまた意識を取られる。いたのは4人ほどで、顔がわかったのは一人だけ。彼女はテツジにとって最初のダンジョン攻略のときにもいた小柄な女性(名前はアニーのはず)で、金色の髪をポニーテールにまとめた、人形のように独特な雰囲気の美人だった。
「あの……脚、大丈夫でした」うららが言う。「テツジさん、本当に、ありがとうございました」
「よかった」
テツジは本当にホッとして、うららの方に向き直る。
「僕の方こそ、ありがとうございました。最初に庇ってもらってなかったら僕が死んでたかもしれません」
「いえ、そんな……」
「それと……ごめんなさい」
「え?」
「確認も取らずあの魔法を使ったこと、流石に謝らないとって」
「あ、いや、そんな!」
うららは慌てたように両手を前に出して、首を振った。
「それはホントに、全然気にしないでください! わかってます、ほんとにわかってますから……」
大げさな身振りだった。テツジは微笑んだふりをして、こっそりとため息をつく。
<しょーもな>
リタの口が確かにそう動いたのをテツジは見逃さなかった。アニーはゆっくりとテツジとうららの顔を見比べている。やはり無表情で感情は読み取れない。思えばテツジはまだ彼女の声すら聞いていない。
不意にクロエの手が、彼の膝に触れた。
「テツジさん、きっとお疲れだと思います。よろしければ、このまま私たちと町まで来ていただけませんか? この世界で私たちがどう生きているのかも知ってもらえると思います」
「それがいい」凪も頷いた。「俺はしばらく竜の後処理だ。向こうの方がマトモな飯も食えるだろう」
断る理由もなく、実際お腹も空いていたし喉もカラカラだったので、テツジは素直かつ安易な気持ちで彼女の提案に頷いた。
ようするにこの時のテツジはまだ、クロエと彼女が作り出した『新月機関』という組織の〝力〟を過小評価していたということだろう。




