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「ごめんなさい」
と、『センター』を出てからイの一番に謝ってきたのは、意外にもうららの方だった。
「え?」
「凪さんは……やり過ぎですよね」
テツジは思わず、彼女の顔を見つめてしまった。
その言葉は、彼が言うのとうららが言うのとではまるで重みが違う。これはとても大事な話だと彼はすぐに気がついた。
「本当に、そう思いますか?」テツジは聞いた。
「きっと私が昔されてたこと、気にしてますよね」
うららは自分の両手をそっと握り合わせる。俯いてはいたが、その目はずっとテツジを見つめていた。
「気にしないでくださいって言っても難しいとは思いますけど、あの、本当に大丈夫です。凪さんはいつもあんな感じですし」
「……デリカシーないってこと?」
一瞬だけ目を見開いて、すぐにぎこちなく彼女は笑った。
「デリカシーかぁ。デリカシーは確かにないかも。凪さんってメンタル強すぎるから、なんというかこう、うーん……」
「言いたいことはわかりますよ」
テツジも意識して表情を緩め、奴隷たちに耕されたという農地の方へ歩き始めた。
「でも、うららちゃんも十分すぎるくらいメンタル強いと思うけど」
「私が? なんでです?」
「自分から、僕に今の話をしてくれたから」
彼女に歩調を合わせて隣を歩く。気のせいでなければ少し甘い香りがした。
「正直この世界の事情は重い上に複雑すぎて、あんまり人を傷つけずに把握できる気がしません。きっと僕も凪さんに負けず劣らずデリカシーがないことばかり言ってしまうと思います。だから、最初に、ごめんなさい」
「え、いや、いやいやいや」
彼女は少しコミカルにも映る大げさな仕草で首をブンブン横に振った。
「テツジさんこそ昨日この世界に来たばっかりなのに冷静で、凪さんにも私にも気を使ってて……ちょっとびっくりしてます。なんで平気なんですか?」
笑いながらそこまで言って、はっと口をつぐんだ。
「あ、いや、ごめんなさい、勝手に平気なんて……私のほうがデリカシーないじゃん」
「本当に、凪さんはやり過ぎって思いますか?」テツジは訊いた。
「ええと……?」
「僕は正直、ざまあみろって思って見てましたけど」
ぱちくりと、またうららの目が瞬いた。
「……え?」
テツジは、目線を彼女からセンターの背後に広がる農地に移す。そこでは痩せた凪の奴隷たちがたくさん働かされている。
「誰だって……あんな奴らは大嫌いだ。僕は、元の世界で大量に行方不明になってた性犯罪者の末路がここで、刑吏が凪さんだと知ったときは確かにドン引きもしたけど……ちょっと、安心もした。僕がさっき偉そうに話してた内容は理屈の話であって、感情とは別の話です。うららちゃんは……」
ここでテツジは一瞬、言葉を迷った。だが、結局いつもの悪癖に従い、自分自身で「気にしないでください」と言った彼女を信じることにした。
「……うららちゃんが昔されてたことを考えたら、あんな奴ら全員どうなろうが知ったこっちゃないって思うのが自然だし、悪いことでもないと思います。あんな奴らをうららちゃんに許せという人がいるなら、そっちのほうがよっぽど理不尽だ」
少し怖かったが、テツジはそこまで言ってから立ち止まり、うららを見た。彼女はどうにも難しい表情をしていて感情は読み取れなかったが、やがて一つ深呼吸して、まっすぐテツジの顔を見た。彼女もどうやら彼を『信頼』することにしたらしい。
「まだ、恨みがあるのかっていう話なら……」
うららは言う。
「無いわけは無いんですけど……正直もう、わかんなくて。凪さんがしすぎるくらいに復讐をしてくれたからなのかもしれないし、もうずっとこっちにいて、散々人が殺されるの見てきたから色々麻痺しちゃったのかな。今更悪いこととも思えなくなってたんですけど、昨日のテツジさんを見て、やっぱりこんなの異常だったって思い出して……でも……」
「やっぱり、凪さんは必要?」
「だと思います」
彼女は強く頷いた。
「ああ……やっと、さっきテツジさんたちがなんの話してたかわかったかも。きっと頭いい人なんですね。クロエさんみたい」
そう言って少し微笑んだうららの顔の反則的な可愛らしさに、テツジは少し、不意を突かれた。
(出会いがこんな世界じゃなければなぁ……)
彼女の首の下、平らな胸をテツジは意識する。そこにはきっと乳房を切り落とした、黒くて痛々しい傷痕がずっと残っている。気分がいい想像ではない。
「僕は口だけですよ」
テツジは顔をそらしながら顔の周りを飛んでいたハエを払い除けた。この世界は虫が本当に鬱陶しい。
「ぜったい頭いい人っぽいなー」
「クロエさんっていうのは、新月機関の代表のあの人ですよね」
「クロエさんもすごい人ですよ。もしかしたら、凪さんよりクロエさんの方が普通じゃないかもしれないくらい」
「まじ?」
「話してみたら、すぐわかります」
視線を戻した一瞬、偶然に互いの目があった。というよりも、うららがどうやら彼の顔を見つめていたようだった。
慌てたように彼女は下を向く。
少し赤く染まっている頬とは裏腹に、黒い瞳に、確かに辛く気まずそうな揺らぎをテツジは感じ取った。
(案の定なんか地雷踏んじゃったのかな……)
しばらく、二人とも無言で歩いた。畑の土は黒いが、よく見ると点々と緑色の新芽が顔を出している。
もっと奥、小高い山に向けても農地は広がっているがそちらはまだ区画整理や開墾の段階らしく、凪の奴隷たちが鍬を持って土を均したり木の切り株を引き抜いたりしているのが見えた。この辺りは丘陵地帯のようだ。あまり農業向きとは言えないだろう。
「声……」
不意にうららが呟いた。
「え?」
「思ったより声、低いなって……」
つい立ち止まる。
「僕の?」
「はい」
「そっか、そうかな」
「見た目より大人っぽいというか、ええと……」
彼女は下を向いているので、表情は見えない。
(……?)
奴隷が働く景観で日向ぼっこのような会話をしている、18世紀末のアメリカのような二人の頭上に、ヒュオーっと一陣、中世幻想の大きな風が吹いた。
見上げた空に影が2つ。
大きな鳥に見えた。
この世界が不出来とはいえファンタジーだというのなら、その正体は言うまでもないことだっただろう。
影が大きくなる。
「て、テツジさん危ないっ!!」
〝竜〟の鉤爪が、天空から一直線にこちらに向けて降ってきた。
胸に、衝撃。
うららが飛びついてきた。
庇われた。
それに気がついた頃には、目前に、彼女の鮮血が飛び散っていた。




