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第6話 悪役令嬢、前線でデバッグいたしますわ

 王城の玉座の間を出た瞬間、視界の端に雪崩のようなログが流れ込みました。


 Global Patch Note: 王家システム権限 一時委任

 対象:リディア・ヴァレンスタイン

 有効範囲:アルノルド王国全土


 ……なるほど。正式に管理者権限を渡してくださったわけですのね。


「顔が悪役令嬢のそれになっているぞ、リディア」


 隣を歩くアレクシスが、ため息混じりにささやきました。


「失礼ですわね。今のは世界全体のバグ一覧を思い浮かべていたところですの」


「それを楽しそうに眺めるなと言っている」


「楽しいもの。久しぶりに締切以外の理由で、全力を出せますわ」


 前世では、いつだって締切が背中に貼りついていました。

 今世の私は、世界崩壊という最高に物騒な締切と戦っておりますけれど、それでも。


 自分で選んだ戦いというだけで、ずいぶんと呼吸がしやすい。


◇ ◇ ◇


 国境地帯に近づくにつれ、空の色が薄く濁っていきました。


 馬車の窓から視線を上げると、雲の輪郭がざらざらと揺らいでいます。

 画面解像度を間違えたゲームみたいな、嫌なノイズですわ。


 視界に、また文字列。


 Field: 北東国境地帯

 瘴気レベル:基準値の280%

 魔物出現フラグ:連続発生モード


「280%、ねえ……」


「何の数字だ」


「この先に広がっている修羅場の期待度ですわ」


「お前の物差しは本当に信用ならない」


 アレクシスはそう言いながらも、窓の外を見やりました。


「前線に着いたら、全隊を集めていただけまして?」


「作戦説明か」


「ええ。今回の敵は、単なる魔物ではありませんもの。仕様のほころびが形になったモンスターですわ」


「了解した」


 馬車が大きく揺れ、速度が落ちます。

 帆布越しに、怒号と鉄のぶつかる音が聞こえてきました。


 どうやら、チュートリアルもなく、本番スタートですわね。


◇ ◇ ◇


「総員、耳を貸せ!」


 前線本部として使われている丘の上で、アレクシスの声が響きました。


 騎士団、魔導士隊、うちの領から連れてきた魔導具部隊。

 数百人の視線が、一斉にこちらへ向きます。


 私は一歩前に出て、スカートの裾をつまみ、軽く礼をしました。


「ヴァレンスタイン公爵家令嬢、リディア・ヴァレンスタインですわ。普段は領地の書類とバグだらけの世界を相手にしておりますけれど、本日は皆さまと一緒に前線に立たせていただきます」


 ざわ、と人の輪が揺れる。


 王都側の騎士たちにとって、私は昨日まで断罪された悪役令嬢に過ぎません。

 その女が、戦場の真ん中で挨拶を始めたのですもの、無理もありませんわ。


「まず、状況を共有いたしますわね」


 私は指輪に触れ、視界に流れるログを一部だけ切り取って空中に投影しました。


 誰の目にも見える形で、半透明の文字列が宙に並びます。


 Event ID: B-01 国境大規模魔物暴走

 敵出現パターン:ランダム生成状態

 敵強度:通常の3〜5倍


「な、何だこれは……」


「簡単に申し上げますと」


 私はさらりと言いました。


「この戦場は、誰かが調整を間違えたゲームの終盤マップですわ」


「ゲーム……?」


「ええ。敵は、本来より強く、数も多く、出現位置もばらばら。そのうえ、倒してもすぐに湧き直す設計になっております。開発者の首を締めたい仕様ですわね」


「ですが、欠点が分かっているなら対処はできますわ」


 私は指先を払って、別のログを呼び出しました。


 Spawn Point: A-3, A-5, B-2, C-1

 再出現インターバル:30秒

 瘴気濃度:A-5およびC-1に集中


「敵がどこから何秒ごとに湧くか、だいたい読めております」


 ざわめきが、今度は質を変えました。


「魔導具部隊は、この4つのポイントに瘴気制御陣を。魔導士隊は陣の維持補助。騎士団は、その周囲に円を描くように布陣を。簡単なお仕事ですわ。強くてしつこい敵を、決まった場所でまとめて殴っていただくだけ」


 アレクシスが、わずかに口角を上げました。


「聞いたな。詳細配置は俺が指示する。動け!」


 号令と共に、兵たちが一斉に散っていきます。


◇ ◇ ◇


 最初の波は、予定通りにやってきました。


 瘴気の渦の中心から、黒い影がどろりと溢れ出す。

 四足獣、翼の生えた蛇、光のない眼を持つ人型の何か。


 視界にログ。


 Enemy: 獣型・蛇型・人型 ランダム組み合わせ

 レベル:推奨値+20

 特殊効果:瘴気感染/増殖バグ


「増殖、ねえ。趣味が悪いですわ」


「第1陣、来るぞ!」


 アレクシスの声と同時に、騎士たちが一斉に盾を構える。


 魔導具部隊が起動させた制御陣から、淡い光の膜が広がりました。

 そこを越えて侵入しようとした魔物は、一瞬だけ動きが鈍くなる。


「今ですわ!」


 私の合図に、前衛が踏み込む。


 剣と光が交差し、魔物が次々と霧散していく。

 瘴気は制御陣に吸い込まれ、地面の下深くへと封じ込められる。


 予定通り。


 ……ここまでは。


「リディア、左翼の瘴気が急激に上がっている!」


 アレクシスの声に、私はログを呼び出しました。


 Warning: Spawn Point C-1 予期せぬ増殖

 敵個体数:想定の200%

 原因:外部からの権限介入


「外部から?」


 嫌な予感が、背筋を走りました。


 次の瞬間。


 戦場の奥、黒い霧が一際まばゆい光に貫かれました。


「世界を蝕む闇よ、その姿をさらしなさい!」


 澄んだ声。聞き慣れた、けれど今はあまり聞きたくなかった声。


 白銀の光柱が天へ伸び、瘴気を吹き飛ばす。

 その中心に、ラベンダー色の髪が揺れていました。


「聖女ルナリア様……!」


 誰かの叫びを合図にしたように、兵たちの間にどよめきが走る。


 空気が、わずかに軽くなりました。

 聖女の浄化は本物ですもの。効果はありますわ。


 問題は、その使い方ですが。


◇ ◇ ◇


「ルナリア様!」


 私は制御陣の内側から声を張りました。


 聖女は振り返り、こちらを見ます。


 水色の瞳が、遠目にも分かるくらいカッと見開かれました。


「リディア様……?」


 ほんの一瞬、彼女の表情が揺れます。

 けれどすぐに、「慈愛の聖女スマイル」が貼り付けられました。


「危険ですから、お下がりくださいませ。ここは、わたしが――」


「いえ、下がるのはそちらですわ」


 私は即座に遮りました。


 視界に、新しいログが点滅しています。


 Alert: 聖女権限による敵データ強制削除

 副作用:地形データ損傷/瘴気の深層蓄積


「あなたの浄化は、表面の敵を消すには便利ですけれど」


 私は声を張り上げました。


「地面の下に、問題を押し込めているだけですわ。そのままでは、あとでまとめて爆発します」


「押し込めている、だけ……?」


 ルナリアの肩がぴくりと震えました。


「そんなこと、あるはずが……。わたしの祈りは、世界を癒やすためのもので――」


「癒やすための処置が、必ずしも適切とは限りませんわ」


 私は足元の制御陣に魔力を流し込みました。


 地面の下に沈んでいた瘴気の一部が、薄い煙となって浮かび上がる。


 それは、聖女の光に触れた瞬間、黒い火花のように弾けました。


「……!」


 聖女の瞳が、揺れます。


「見えますでしょう?」


「あなたが消したはずの闇が、形を変えて残っている。表面からは見えないところに、ね」


「そんな……でも、前はちゃんと――」


「ゲームの中では、そう見えたかもしれませんわね」


 口にしてから、自分でも苦笑したくなりました。


「ルナリア様」


 私は一歩、前に出ました。


 ログが雨のように降り注ぎ、頭の中で警告音が鳴り止みません。


「あなたの聖女権限は強力です。ですが今は、その力が世界の整合性チェックを追い越してしまっている。テストもなく、直接本番環境を書き換えているようなものですわ」


「てすと……?」


「分かりやすく申し上げるなら」


 私はわざと微笑みました。


「あなたのやっていることは、公式が用意したパッチではなく、ユーザー有志の違法改造ですの」


「……っ!」


 ぱきん、と何かが割れる音。


 聖女の背後、浄化されたはずの霧の中に、黒いひび割れが走っていきます。


 世界のコード層に、亀裂。


 ログが赤く点滅しました。


 Critical Error: 改変衝突

 聖女権限と原作者権限が同一領域を同時書き換えしようとしています


「リディア、お前――」


 アレクシスの声が聞こえましたが、それに答える余裕はありません。


 聖女の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いていました。


「違法……改造……。わたしが、世界を良くしようとしてやった事が?」


「ええ。少なくとも、この世界の規約からは外れておりますわ」


「そして、その結果として、今この戦場がある」


「わたしが……これを、起こした……?」


 ルナリアの表情から、仮面のような微笑みが剥がれ落ちていきます。


「詳しいお話は、世界崩壊フラグを折ってからになさいませんこと?」


 私は、あえて軽く言いました。


「今はまず、この場を収めるのが先ですわ。聖女様」


 ルナリアはきゅっと唇を噛み、そして小さく頷きました。


「……分かりました。じゃあ、どうすればいいの?」


「簡単ですわ」


 私は空中のログを指でなぞり、新しい行を書き足しました。


 Temporary Rule: 聖女権限 出力制限

 内容:浄化は瘴気濃度の均等化のみに限定


「あなたは瘴気を消すのではなく、薄めて均すことだけに集中してください。わたくしが、その隙に根本原因を書き換えます」


「そんな器用なこと、できるかどうか――」


「できますわ」


 きっぱりと言い切る。


「あなたは、この世界でただ一人の聖女。わたくしは、この世界の原作者。役割をきちんと分ければ、バグは抑え込めます」


 一瞬、目と目が合いました。


「……分かった。やってみる」


 ルナリアは深く息を吐き、両手を組みました。


 柔らかな光が、今度は穏やかな波のように広がっていきます。

 瘴気は一気に吹き飛ばされるのではなく、全体に薄く伸ばされていく。


 ログが、少しだけ落ち着いた色に変わりました。


 瘴気レベル:均等化処理中

 暴走フラグ:一時停止


「アレクシス!」


 私は振り返らずに叫びました。


「今のうちに、第2陣の布陣を! 敵の湧き口を全部、こちらの想定した位置に固定しますわ!」


「任せろ!」


 怒号、剣戟、詠唱。


 世界のひずみと、それを押し戻す力が入り乱れる音の中で、私はひとつだけ確信していました。


 ここから先は、前世のゲームにも、私の書いたシナリオにもなかった領域。


 原作者と聖女、作者とガチ勢。


 2人で世界を書き換える前哨戦には、なかなか派手な舞台ですわね。


第6話までお付き合いいただきありがとうございます!ついに前線での大規模戦闘&聖女ルナリアとの正面衝突でした。作者としては、原作者VS聖女という構図と、リディアの仕事人ぶりを書けて楽しかったです。続話では、世界改変の真相と、アレクシスとの距離もさらに動きます。面白い!続きが気になる!と思っていただけたら、評価・ブックマークで応援してもらえると励みになります!


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