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第5話 世界崩壊フラグに条件付きで介入いたしますわ

 国境警備隊からの緊急通信は、朝食の紅茶がちょうどいい温度になったころに飛び込んできました。


「お嬢様! 国境第3砦から、最優先の遠話です!」


 執務室の扉を勢いよく開けたのは、通信塔担当の若い文官でした。息は上がり、顔色は最悪。演出としては合格点ですわ。


「落ち着きなさいませ。まずは要点を3つ以内で簡潔に」

「は、はいっ……! 魔物の大規模発生、砦の一部消失、聖女様が向かわれましたが、状況悪化中とのことです!」


 要点が致命的に重い方に寄りましたわね。


 同時に、視界の端を、あの嫌な光が走りました。


 Event ID: 3-7 国境魔物暴走イベント

 発生タイミング:前倒し

 難度:想定値を大幅に超過

 原因候補:聖女ルナリアによる改変


「……やはり、やらかしましたのね、聖女様」


 思わず小さくつぶやいた私に、向かいの席のアレクシスが眉をひそめました。


「リディア、これはただ事ではないぞ。報告だと、砦の一部が『抜けた』そうだ」

「抜けた?」


 私は身を乗り出しました。


「崩れたのではなく?」

「ああ。地面ごと、そこだけ読み込まれていないマップみたいに、ぽっかりと穴が開いたと。落ちた兵士は……行方不明らしい」


 地面が読み込まれていないマップ。


 その例えは、前世ゲーマーとして実に的確ですわね。


 つまり、世界のコード層そのものが破れている。


 ただの魔物暴走ではなく、世界そのものの破損。世界崩壊フラグが、実行直前まで進んでいるということです。


 そこへ、再び通信塔の魔導具が明滅しました。


「ヴァレンスタイン公爵家当主殿、および令嬢リディア・ヴァレンスタイン殿へ。王都より至急の使者参上」


 魔導音声が告げる言葉に、アレクシスと目を合わせます。


「……予想より少しだけ早いですわね」

「予想していたのか?」

「ええ。世界がここまで軋めば、いずれ王都から『便利な悪役令嬢』に声がかかると思っておりましたもの」


 私は椅子から立ち上がり、執務室の窓の外を見下ろしました。


 整備された街路。朝から活気のある市場。学校へ走る子どもたち。


 この領地を守るためにも、世界崩壊フラグだけは、折りに行かなければなりません。


「アレクシス、父と母を呼んでくださる? 使者の前に、家族会議ですわ」


◇◇◇


 王都からの書状は、予想通りでした。


 国王陛下の名において。ヴァレンスタイン公爵家令嬢リディア・ヴァレンスタインに、国境防衛への協力および助言を求める。


 要約すれば、そういう内容です。


「ふざけおって」


 父が、封蝋を握りつぶしそうな勢いで低く唸りました。


「つい先日、王都追放を言い渡しておいて、今度は助力を請うとは。王命を何だと思っている」


「王命は王命ですわ、お父様」


 私は紅茶をひと口含んで、穏やかに口を開きました。


「世界が壊れてしまえば、王家の面目も、公爵家の意地も、まとめて瓦礫の下ですもの。ここは実利を取りましょう」


 母が、心配そうに私を見つめます。


「本当に行くつもりなのね、リディア。王都に戻れば、また好き勝手言われるわよ?」

「今さらですわ。悪役令嬢など、既にお腹いっぱい罵倒されておりますもの」


 それに、と私は扇をぱちんと閉じました。


「これは交渉の好機でもありますわ」


「交渉?」と、アレクシスが目を細めます。


「ええ。こちらがなりふり構わず助けに行けば、都合の良い便利屋として使い潰されるだけです。ですから、最初にきちんと条件を提示しておきますの」


「条件、ね……嫌な予感しかしないな」

「褒め言葉と受け取っておきますわ」


 私は立ち上がり、壁にかけられた王国地図を見上げました。


 王都、国境、第3砦。そのあいだを結ぶ線の上に、薄いひびのようなものが走っているのが、私には見えます。


 世界法則の亀裂。瘴気の濃度上昇。イベントの異常発生。


 パッチノートの文字列が、そこに重なるように流れていく。


 世界崩壊フラグ。残り進行度、推定70%。


「……ぎりぎりですわね」


「リディア?」

「いいえ、独り言ですわ」


 振り返り、私は家族に向き直りました。


「お父様。王都に参ります。その代わり――」


 私は指を3本立てて見せました。


「条件を3つ。これが飲まれない限り、わたくしは世界を救うための改稿には着手いたしません」


◇◇◇


 久しぶりの王城は、どこか薄く色褪せて見えました。


 大理石の床も、金の装飾も、前世でCGとして何度も見た背景と同じ。けれど今は、ところどころにノイズのような歪みが走っています。


 読み込みの甘いポリゴン、と言えばいいでしょうか。


 視線を少し外すと、それはすぐに元の豪奢な廊下に戻るのですが。


「気をつけろ、リディア。足元が抜けるかもしれん」


 隣を歩くアレクシスが小声で言いました。


「世界が壊れかけている時に歩き回るのは、良くない散歩コースだぞ」

「ええ。ですから、さっさと用事を済ませて帰りましょう」


 謁見の間に通されると、そこにはすでに主要な役者が揃っていました。


 玉座に座る国王オルト陛下。その隣に、気丈な表情の王妃。少し離れた位置に、王太子セドリック。そして、宰相ヘルマン、教会の大司教イザーク。


 ……おまけのように、聖女ルナリア。


 彼女とは舞踏会以来の対面ですが、目が合った瞬間、胸の奥がちくりと痛みました。


 涙ぐんだような水色の瞳。けれど、その奥には、前世でレビュー画面越しに感じた、鋭い熱が宿っています。


 雨宮月。ああ、本当に来ていましたのね。


「ヴァレンスタイン公爵令嬢リディア」


 国王の声が、謁見の間に響きました。


「先日は、王都追放を言い渡した直後であるにも関わらず、こうして再び呼びつけることになってしまい、まずは王として謝罪したい」


 国王が頭を下げかけた瞬間、私は慌ててスカートの裾をつまみ、深く礼をしました。


「頭をお上げくださいませ、陛下。王が軽々しく頭を下げては、世界法則が混乱いたしますわ」


 今でも十分に混乱しておりますけれど。


 心の中のツッコミは飲み込んで、私は顔を上げました。


「本題に入りましょう。国境の状況は?」


「最悪だ」


 答えたのは宰相ヘルマンでした。眼鏡の奥の目が、疲れを隠そうともしていません。


「第3砦の半分が消失。残りも持って数日だろう。聖女殿の浄化でどうにか持ちこたえているが……」

「持ちこたえている、とは言えません」


 静かな声で遮ったのは、聖女ルナリアでした。


 彼女は両手を胸の前で組み、苦しげに唇を噛んでいます。


「わたしの力は、瘴気を一時的に薄めているだけです。根本は……まるで、底の抜けた器から水が漏れていくみたいに、止まりません」


 その表現は、なかなか的確ですわね。


 私は小さく頷きました。


「では、改めてご依頼の内容を確認してもよろしいかしら、陛下」


「うむ」


 国王は重々しく頷きました。


「ヴァレンスタイン公爵令嬢リディア。そなたに、国境防衛のための助言と協力を願いたい。世界のほころびについて、誰よりもよく知るそなたの力を借りたいのだ」


 その言葉に、セドリックがはっと私を見ました。青い瞳に、後悔と戸惑いが入り混じった色が浮かびます。


 けれど、今ここで感傷に浸っている暇はありません。


 私は一歩前に出て、扇を開きました。


「お引き受けいたしますわ、陛下。ただし」


 扇の縁で空気を切るように、私は言葉を続けます。


「3つ、条件がございます」


 謁見の間に、ぴんと張り詰めた沈黙が落ちました。


 宰相が眉をひそめ、大司教が露骨に顔をしかめます。聖女は息を呑み、セドリックは不安げに私と父の顔を見比べていました。


「……条件、とな」

「ええ」


 私は指を1本立てます。


「1つ目。王太子セドリック殿下の王位継承権を、一時的に停止していただきます」


「なっ」


 最初に声を上げたのは、当然ながらセドリック本人でした。


「り、リディア! それはどういう――」

「落ち着きなさいませ、殿下。これは罰ではございませんの」


 私は淡々と言いました。


「今の王太子殿下は、聖女様の理想と宰相殿の現実主義と、教会の都合。そのすべてに引きずられたシナリオのど真ん中に立っておられます。世界崩壊フラグの真上、と言ってもよろしいくらいに」


 パッチノートの文字列が、彼の頭上に赤いアイコンを表示しているのが見えました。


 世界崩壊ルートの中心人物。通称、愚王フラグ。


「このままでは、たとえ世界が助かっても、殿下ご自身がバッドエンドに落ちてしまいますわ。ですから、一度その役から降りていただく必要があるのです」


「しかし……!」


「セドリック」


 国王の低い声が、殿下の言葉を遮りました。


「わしは既に、そなたに王冠を継がせる覚悟を揺らがせていた。世界のためではなく、父としての迷いから、な」

「父上……」

「この機に、一度すべてを見直すのも良いのかもしれぬ」


 国王の言葉に、セドリックは悔しげに拳を握りましたが、それ以上は反論しませんでした。


「2つ目」


 私は指を2本に増やしました。


「宰相ヘルマン殿および教会上層部の権限を、一時的に凍結していただきます。特に聖女様に関する政治利用については、すべて停止を」


「な……!」


 今度は宰相と大司教が同時に声を上げました。


「馬鹿なことを。政治と教会から権限を奪ってどうやって国を回すつもりだ」

「聖女様の力あってこその王国でしょう。それを縛るなど――」


「世界は、もう十分に縛られておりますわ」


 私はきっぱりと言い切りました。


「聖女様の力は、本来ならバグの修復に用いるべきもの。それを都合の良い演出に使いすぎた結果が、今の国境の有様ですもの」


 ルナリアがびくりと肩を震わせました。私は彼女をちらりと見やり、視線をすぐに戻します。


「ですから、ここで一度、聖女様と王冠と、世界法則の関係を整理し直す必要があります。権限を握ったままでは、誰も冷静にそれを行えませんわ」


「……理屈では分かるがな」


 宰相が、疲れきった顔で眼鏡を押し上げました。


「だが、それでは君に丸投げすることになる。ヴァレンスタイン公爵令嬢。君はそこまで背負うつもりか」


「そこで3つ目ですわ」


 私は3本目の指を立てました。


「世界改稿に関する一時的な権限を、ヴァレンスタイン公爵家、ひいてはこのリディア・ヴァレンスタインに委任していただきます」


 ざわ、と謁見の間が揺れました。


 国王も王妃も、思わず息を呑んで私を見ています。


「世界改稿……?」

「ええ。今までは、聖女様の改変権限と、王家の王冠権限が、それぞれ好き勝手に世界をいじっておりました。その衝突が、今のバグの山ですわ」


 視界の端を、過去のログが駆け抜けます。


 断罪イベントの台詞改変。魔物発生タイミングの前倒し。瘴気レベルの異常上昇。


 どれもこれも、行き当たりばったりのアップデートの結果です。


「ですから、一度だけ。世界全体を俯瞰して見られる者に、統合的な改稿権限を預けていただきたいのです」


 国王が唇を引き結びました。


「……そなたは、自分がその『見られる者』だと言うのか」

「はい」


 私は迷いなく頷きました。


「前世でこの世界を半端に作り、炎上させた罪深い原作者として。今世でそのバグを誰よりも多く潰してきた領主として。世界崩壊までの進行度を視認できる監視者として」


 ルナリアの視線が、刺すように私に向けられました。


 青白い顔。震える唇。そこに浮かぶ感情は、怒りでも憎しみでもなく、悔しさと、わずかな期待と。


 ……少なくとも、前世でレビュー画面越しに浴びた罵倒とは違う色でした。


「もちろん、これは危険な賭けですわ。わたくしが失敗すれば、世界はそのまま崩壊するかもしれません」


「ならば、なぜそこまでして引き受ける」


 国王の問いに、私は笑いました。


「簡単ですわ。前回は締切と上司を理由に逃げましたから」


 謁見の間の空気が、一瞬だけぴたりと止まりました。


「前世のわたくしは、炎上レビューから逃げました。ユーザーが泣きながら投げてくれた言葉からも。キャラクターたちの悲鳴からも」


 あの長文レビュー。あの赤い低評価バー。あの夜のオフィス。


「ですから今度こそ、逃げずに最後まで責任を取らせていただきますわ。世界がバッドエンドに落ちるなら、それは今世の原作者であるこのわたくしの責任として」


 沈黙。王妃がそっと口元に手を添え、セドリックが複雑な目で私を見ていました。


 ルナリアは、ぎゅっとスカートを握りしめています。


 彼女の視界にもきっと、今この瞬間のパッチノートが流れているのでしょう。


 聖女権限:改変凍結候補

 王冠権限:委任提案受理待ち

 新規改稿権限候補:リディア・ヴァレンスタイン


「……陛下」


 静かな声で口を開いたのは、アレクシスでした。


「自分の従妹を褒めるのは、少々気恥ずかしいのですが。世界のバグを一番潰してきたのは、確かに彼女です」

「アレクシス?」

「王都が気づかぬうちにいくつも飢饉を防ぎ、魔物暴走を未然に潰し、領民のバッドエンドを片っ端から書き換えてきた。その成果は、ヴァレンスタイン領を見れば分かるはずです」


 国王は、しばし目を閉じて黙考しました。


 やがて、ゆっくりと目を開き、まっすぐに私を見据えます。


「……王として尋ねる。リディア・ヴァレンスタイン。そなたは、本当にこの世界を救えるのか」


「保証はできませんわ」


 私は即答しました。


「けれど、今この瞬間、世界崩壊フラグの進行度を数値で把握し、原因と対処方法の当たりを付けられる人間は、わたくし以外におりません」


 世界崩壊フラグ、進行度70%。許容誤差3%。対応猶予、数週間。


「そして、もう一つ」


 私はそっと微笑みました。


「わたくしは、炎上を経験済みの作者ですの。今さら世界一つくらい、怖がっている暇はございませんわ」


 王妃がくすりと笑い、セドリックが目を丸くしました。ルナリアは、半ば呆れたような顔をしています。


 国王は、深く息を吐きました。


「……良かろう」


 玉座の上で、彼はゆっくりと立ち上がりました。


「王として、父として、そして一人の人間として。そなたに賭ける」


 その言葉とともに、近くの台座から聖銀の王冠が持ち上げられました。


 月光のような銀の輝き。世界法則と王をつなぐインターフェース。


「聖銀の王冠よ。この一時、世界改稿に関する権限の一部を、ヴァレンスタイン公爵令嬢に委ねることを許可せよ」


 王冠が、かすかに震えました。


 視界が、一瞬だけ真っ白に染まります。


 次の瞬間、膨大な文字列が、奔流のように私の内側へとなだれ込んできました。


 Event Tree: 全体構造展開

 世界安定度:臨界値近傍

 改変ログ:聖女権限による不正アクセス多数

 新規権限:原作者権限・一時解放


「っ……」


 思わず膝が笑いそうになるのを、必死でこらえました。


 これは、前世で初めて巨大なプロジェクト全体のシナリオ構造を渡された時の感覚に似ていますわね。ただし、何百倍も重くて、何千倍も愛おしい。


 そっと目を開けると、ルナリアがこちらを見ていました。


 恐れと、悔しさと、どこか安堵したような目で。


「……本当に、やるんだね」


 小さく、彼女は呟きました。


「世界ごと、書き直す気なんだ」


「ええ」


 私は微笑みました。


「あなたが愛してくれたこの物語を、今度こそ完成版にいたしますわ、聖女様」


 世界崩壊フラグ。進行度70%。改稿権限、取得済み。


 さあ、本番はここからです。


 私は扇を握る手に力を込め、静かに宣言しました。


「では、世界の大規模アップデートを始めましょうか」


ここまで読んでくださりありがとうございます!第5話ではついにリディアが「世界改稿権限」を獲得し、物語そのものに手を伸ばし始めました。悪役令嬢であり原作者でもある彼女の覚悟を、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。続きも読んでみたい、と感じていただけましたら、評価やブックマークで応援してもらえるととても励みになります。これからの世界大規模アップデート編にも、ぜひお付き合いくださいませ!

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