第3話 追放? それはちょうど改稿のチャンスですわ
王宮の応接室に、やけに重たい沈黙が落ちていた。
老書記官が、ぱり、と羊皮紙を開く。
「アルノルド王国国王オルト・アルノルドの名において告ぐ」
抑揚はあるのに、どうにも演出が甘い声ですわね。
もう少し静かなざわめきと緊張を引き出す“間”がほしいところです。
「ヴァレンスタイン公爵家令嬢リディア・ヴァレンスタインは、王太子妃たる資質に欠け、聖女ルナリア・シュタイン殿への非礼の責を負い、王都追放とする」
視界の端に、文字の帯がすっと走った。
Event ID: 1-2 追放決定イベント
内容: 王都追放・婚約破棄確定
改変権限: 聖女権限
やはり、聖女様の介入ですのね。
「ふざけおって」
低く唸ったのは父だ。
いつもは笑いながら領地の酒の話をしている人が、珍しく殺気をまとっている。
「聖女の一方的な証言だけで、公爵家令嬢を追放だと? 王家は我らを何と心得る」
「父上」
私はそっと首を振った。
「王命は王命ですわ。ここで逆らっても、こちらの悪評が増えるだけですもの」
「しかしだな――」
「それに」
私は、読み上げを続ける書記官を横目に、微笑んだ。
「ちょうどよろしいタイミングですわ」
「タイミング?」
「舞台を一度降りるには、うってつけの口実ですもの」
父の眉間に、深い皺が刻まれる。
けれど私の視界には、別の情報が流れていた。
王都ルートから離脱。
代わりに、領地ルートのフラグが一気に開放。
原作ゲームでは、もっとじわじわと追い詰められてから国外追放だったのに、
聖女様がイベントをまとめて短縮してくださったようだ。
これはこれで、使える。
「リディア、本当にいいの?」
母が、私の手を握りしめた。
「王都を追われても、戻ってきたくなったらいつでも――」
「お母様。今まさに、戻るところですわ」
くすっと笑えば、母も小さく笑い返してくれる。
私は一礼し、王家の紋章が刻まれた書状を受け取った。
「ヴァレンスタイン家は、王命に従います。
ただし、娘が法で裁かれたのではなく、聖女の証言で切り捨てられたという事実は、決して忘れませんわ」
書記官が、ひくひくと口元を引きつらせて頭を下げる。
王家との関係値、少し低下。
けれど、その程度のデメリットで「自由な改稿権」が手に入るなら、悪くない。
◇ ◇ ◇
翌朝早く、王都を出る馬車が城門をくぐった。
まだ眠そうな空の下、石畳を走る音だけが響く。
昨夜の噂好きの貴族たちも、今はさすがに寝ている時間だ。
「本当に良かったのか」
向かいの席から、低い声がした。
暗い鋼色の髪、落ち着いた碧眼。
軍服の襟をきっちり締めた青年――アレクシス・ヴァレンスタイン、私の従兄である。
「何がですの?」
「王太子妃の座を手放し、王都から追放されることだ」
「まあ。言い方が物騒ですこと」
私は肩をすくめた。
「舞台裏で台本を書き直すには、主役の恋愛劇から離れた方が効率がいいのですわ」
「……また台本だの舞台裏だの。君の比喩はいつ聞いても分かりにくい」
「分かりやすく言えば、ですわね」
私は窓の外を指さす。
「王太子妃という役は、やることがぎゅうぎゅう詰めですの。
王妃教育に社交、教会との駆け引き。日常イベントだけでスケジュールが埋まります」
「まあ、そうだな」
「一方、追放された悪役令嬢は自由ですわ。
王都の脚本から外れた分、領地という新しい舞台で、好きに改稿できますもの」
「改稿改稿と言うが、君がやってきたのは領地の改革だろう」
「その違いを気にするのは、作者と読者くらいですわよ」
アレクシスは、じっと私を見つめる。
「……また、君の変な勘が働いているのか」
「ええ。聖女様が世界をいじっておられますもの」
視界の端に、再び文字の帯がちらつく。
Event Log:
・王都周辺 瘴気レベル上昇
・一部魔物出現イベント 発生タイミング前倒し
「本来なら、まだ起きないはずのイベントが動き始めていますわ。
このままだと、世界のどこかでまとめてバグが噴き出します」
「……世界が、バグ?」
「ええ。前世の炎上レビューで散々言われましたもの。
『バランス崩壊で世界が壊れている』って」
私は小さく笑った。
「今度は本当に壊れる前に、直して差し上げませんと」
アレクシスが、少しだけ視線を柔らかくする。
「……倒れるなよ」
「努力はしてみますわ」
努力目標ではなく必達目標にすべきかしら、と心の中で修正を入れる。
◇ ◇ ◇
しばらくして、景色ががらりと変わった。
石畳は土の街道に。森の向こうに、見慣れた塔が見える。
魔導街灯が並ぶ大通り。
通信塔の魔法陣が朝日に光り、制服姿の子どもたちが本を抱えて走っていく。
「……やっぱり、いい眺めですわね」
自分で作ったインフラを自分で褒めるのもどうかと思う。
けれど、これは別だ。
前世で没ネタにされたシステムたちが、ここではちゃんと息をしているのだから。
「お嬢様だ!」「公爵令嬢様が帰ってきた!」
掃き掃除をしていた少年が声を上げ、周りの子どもたちが一斉にこちらを向く。
「おかえりなさい、書き換え姫ー!」
書き換え姫。
領民の皆さまは、相変わらずセンスの良いあだ名をお持ちだ。
馬車が速度を落とすと、子どもたちが道の両側に並んだ。
「ただいま戻りましたわ」
窓を開けて手を振ると、ぱっと笑顔が広がる。
「聖女様なんかに負けないでくださーい!」
どこからか飛んだ無邪気な声に、アレクシスがじろりとこちらを見た。
「……心当たりは」
「『理不尽な台本は書き換えなさい』くらいは言った覚えがありますけれど」
子どもの解釈力、恐るべしですわ。
やがて公爵邸の門が見え、整列した使用人たちが頭を下げる。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
侍女長マリアンヌの声が響いた。
「皆さま、ご心配をおかけしました。
予定より少し早めに、無事追放されてまいりましたわ」
あちこちでくすくす笑いが起こる。
この空気が、何より嬉しい。
ここが、私のホームだ。
◇ ◇ ◇
夕刻。
私はさっそく執務室にこもり、地図と書類を広げていた。
「帰ってきて早々これか」
扉にもたれたアレクシスが、呆れたように言う。
「少しくらい休め」
「休んでいますわよ。資料と地図に囲まれて静かに考えるのが、一番の休息ですもの」
「それを休息と呼ぶのは君くらいだ」
ぶつぶつ言いながら、彼は私の向かいに立った。
「で、世界規模のデバッグとやらの状況は?」
「こんな感じですわ」
指を弾くと、半透明のログが視界に浮かび上がる。
・王都近郊 瘴気レベル 基準値より15%上昇
・魔物暴走イベント 発生フラグ生成
・聖女関連イベント 演出強化
「聖女様が、『盛り上がりそうだから』と敵を強化なさっているようですわね」
「そんな理由で世界をいじるな」
「読者の特権というやつですわ」
私は肩をすくめた。
「このまま好き放題やらせれば、いずれ世界そのものがクラッシュします。
だから、わたくしが正規パッチを当て直しますの」
「正規……?」
「要するに」
私はアレクシスを見た。
「聖女ルナリア様の違法MODを、元シナリオライターとして上書きして差し上げる、ということですわ」
アレクシスは、しばし黙り、そして頷く。
「分かった。領地も軍も、好きに使え。
ただし、倒れる前に寝ろ」
「交渉条件が厳しいですわね」
笑い合った、そのとき。
窓の外の空が、ざらりとノイズを走らせた。
色が一瞬だけずれ、すぐ元に戻る。
普通なら見逃してしまう、ほんのわずかな歪み。
Warning: 改変衝突の予兆を検出
推定改変者: 聖女ルナリア
影響範囲: 未解析
「……始まりましたわね」
私は警告ログを指先で払う。
追放も、婚約破棄も、悪役令嬢認定も。
全部、前座。
「さあ、ここからが本番ですわ」
世界崩壊フラグが立つ前に、全部折る。
原作者として。
そして、この世界で生きるリディア・ヴァレンスタインとして。
私は、ペン――いえ、この手に持った改稿権限を、ぎゅっと握り直した。
ここまでお読みいただきありがとうございます!追放されても諦めない悪役令嬢リディアの物語、少しでも「続きが気になる」と感じていただけたなら、評価やブックマークで応援してもらえると、とても励みになります。次回以降は聖女ルナリアとの本格バトル(?)も始まる予定ですので、ぜひお付き合いください!




