候補生たちの1日
7月20日。曲芸飛行の訓練を始めてからすでに半月ほどが経過した。
その日、颯はいつも以上に入念に身だしなみを整えた。
下宿のロビーに降りるとパイロット候補生や勲子たちと一緒に、カメラを担いだ男性とマイクを持つ女性の姿があった。
それを見て、『パイロット候補生一日密着取材』の当日が来たことを実感する。
「おはようございます」
颯は気合を入れて自分から挨拶に行く。思ったよりも声は出てくれた。
「おはよーございます。アナウンサーの大浦天璃です、よろしくお願いします」
大浦は時差の影響を感じさせないハキハキとした口調で話した。
日本人としては堀が深く、当然のように目立ち鼻立ちがはっきりしている。何よりその表情から態度、話し方のすべてが自信に満ちている。
間近で表舞台に立つ人間の姿を見て、颯は少しだけ気圧されてしまった。
「こちらはカメラマンの十亀です、それから――」
それから、撮影スタッフたちを紹介していく。
一通り挨拶が終わると、颯はスタッフルームの前にいる勲子に手招きされた。
「今日はみんなメイクさんにおめかししてもらうわよ」
そういう勲子も普段よりも心なしか化粧に気合が入っている。
「……そこまでするんですか。事前に美容院には行ってますけど……」
「当然でしょ。みんなだって綺麗に映りたいでしょ?」
颯はすでにセットアップの済んでいるらしい入鹿と弥勒の方を見た。
入鹿はばっちりと青色の髪を逆立てていた。プロの力もあって配信時に自分でメイクをしているときよりも決まっている。
弥勒もいい男振りが際立っていたが、普段から身だしなみは完璧なのでそれほどギャップはない。
颯は期待を込めてちらりと任の方を見た。
驚いたことにトレードマークの無精ひげは剃られていて、髪には寝ぐせ一つなくワックスで固められている。いつ見てもくたびれている作業服も新調されてしまっている。
「戻して。こんなの猪狩任じゃない……」
「その反応を見れただけで、気合いを入れてきた甲斐があったってもんだよ」
任はそう言いながらやけに白い歯を見せて笑った。
「こいつは自主的にお洒落してきただけで、別に出演予定とかないわよ」
「……力の入れどころがおかしすぎる」
颯はその様子に脱力し、かえってこの状況を楽しもうと前向きな気分になった。
「どうせなら、アイシャドウとか入れてもらおうかな……」
「――ふー、緊張したー」
そのとき、スタッフルームのドアが開き、馴染みのある声が聞こえた。
颯は振り返って雪兎の顔を見て言葉を失った。
先ほど見たアナウンサーの衝撃が吹き飛ぶほどの美人がそこにいた。
色の違うアイブロウによって普段以上に眉毛が力強く、元々印象的な目元もラメでさり気なく強調されている。白い肌は明るさが増し陰影がくっきりとしたことで、素材の良さが引き立てられている。
「か、かわいい~っ!」
最初にそう叫んだのは勲子だった。颯はそれに感謝して便乗するように賞賛を口にする。
「すっごい美人。いい感じじゃん」
「あ、ありがと」
照れて横を向くのも、いじらしくて抱きしめたくなる。
颯は自分の消極的な姿勢を恥じて、横に並んで恥じない人間になろうと決めた。
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数分後、順番待ちを終えて次々と候補生たちのメイクが終わり、撮影の打ち合わせが始まった。
「天気もいいということで、今日は普段通り訓練スケジュールをなぞってください。これがタイムスケジュールです」
早速、普段通りとは程遠い予定の確認が始まった。
「時間もないので、早速朝の撮影を始めますね」
まずは朝食を全員でとる部分の撮影、それからシェフへの取材が行られるようだった。
颯たち候補生たちの食事は『藤咲重工』の雇ったシェフと、そのアシスタントによって三色栄養バランスやアレルギーを配慮して作られている。……が、颯たちは勝手に間食を取ったりしている。流石に外食をするときは連絡を入れているが。
颯たちの出番は早々に終わり、すぐさまシェフへの取材が始まった。
シェフはアスリートの食事についての持論を長々と語り、颯たちはそれを興味深く聞いていた。
「その……いつも、ありがとうございます」
撮影の終わりと同時に、誰からともなくお礼が飛んだ。
続いて候補生たちはランニングを行うことになった。
普段は飛行スケジュールの関係で、全員で走ったり授業を受けたりすることはまずない。
アナウンサーの大浦は道行く人たちにも取材を行った。
その中には、よく早朝のランニング中にすれ違う人々もいた。
「いつも彼らは頑張ってるよ。ほんと、自分が若かったころを思い出すよ。私が若い頃はアメフトにお熱でね。というのもチアリーダーの幼馴染が――……」
「犬の散歩をしてると、明らかにジョギングではない速度で走ってる若者たちがいて、最初は何ごとかと思ったんです。それで女の子に話し掛けて見たら、びっくり! まさか、エアレースのパイロット候補生だなんてね! わたし、ラスベガスに彼氏と観に行ったことあるんで驚いちゃった」
颯はこんな風に吹き替えされるのだろうと思いながら、普段見る名前も知らない人たちの意外な一面を知った。
ランニングを終えると、フライトスクールの教室を借りた座学へと移った。
教官のクリスは普段と変わらない格好だが、着飾る必要さえないほどその出で立ちには有無を言わさぬ迫力がある。
「曲芸飛行の訓練は全部で20段階に分かれています」
クリスは番組向けの説明を始めた。
「候補生たちは教官とのマンツーマンレッスンの中で、習熟度を高め、1段階ごとに認定試験を受けて合格すれば次の段階へと移ります。例えば、第1段階はレース本番でも使うエクストラの操縦への適応です。練習機のセスナとは――……」
これらの話は当然、颯たちは周知の事実だ。
候補生たちは毎日、自分が今20段階のうちどの位置にいるのか、他の候補生と比べた進捗はどうなのか……。そういったプレッシャーの中で練習をしている。
「こうやって課題をクリアしていき、候補生たちには適性試験までにすべての課題をクリアしてもらいます」
「9月末までに20段階すべてをですか?」
大浦はリストを実際に見て息を呑んだ。
「ええ、もちろんです。これらの基礎動作、技の1つでもかけていては模擬レースは行えませんからね」
「……間に合います?」
リストには各候補生たちの訓練の進捗も併記されている。
もちろん、大浦に指摘されるまでもなく、颯たちもその危機感は持っている。
現在一番進みの早い貴弘ですら、20段階のうちまだ7段階目、ループ系の技の練習を終えて、ロール系(機体の縦回転)の技の練習に取り掛かったばかりだ。
レースには程遠い。
「問題ありません。何より15段階目以降は危険度の高い、低空飛行の練習となるので、それまでに完璧に基礎を身に着けてもらわなければならないので……」
「そうですか。失礼しました」
この日は『ロール』系統の技の理論や操縦方法を、映像資料を見ながら学んだ。
この技に限らず、候補生たちは大半のことをすでにゲーム内で学んでいるが、実践するうえでの注意点やコツなどを現役パイロットから教われるのは代えがたい経験だった。
それから、ようやく撮影は実際の飛行練習へと移った。
とはいえ、機体は三体、飛行場から機体とともに出発できるのは3人だけだ。
その3人は進捗度で決めることになった。
「黒鳥と同じ教官ってだけで、こんな憂き目にあうなんてっ!」
入鹿は目立つチャンスを逃して憤慨している。
無理もない。
各担当教官ごと(つまり普段使っている機体ごと)に1人ずつを選抜している形となっており、貴弘以外の五人は六段階目で同列なので、この決め方で割りを食ってるのは入鹿だけだ。
颯と弥勒、雪兎と初奈は平等にじゃんけんで操縦者を決め、結果弥勒と初奈が勝った。
「悪いね、颯君」
「無欲の勝利だよ~」
「この2人はともかく、私は目立ちたがり屋じゃないのに……」
颯たちは3人が飛行場を飛び立つシーンをカメラで撮影するのを後ろで眺め、その後撮影班と一緒に練習場である飛行場跡地へと移動した。
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移動中、大浦の希望もあり、大浦は候補生と同じ車に乗ることとなった。
席は雪兎の隣で、前列に座る颯や入鹿とも話せる距離になった。
「どうせなら、カメラ回しませんか?」
入鹿がこれはチャンスだとばかりに大浦に提案する。
「ごめんね、十亀くんたちいないしそれはできないなー。それに実はオフレコで聞きたいことがあったからさ……」
「え、なんですか?」
「君たち、この中に気になる子とかいるの?」
車内に静寂が落ちる。
颯は爆弾が落とされて固まってしまう。雪兎の方が見えない。
「な、なに言ってるんですか! やめてくださいよ、あるわけないじゃないですか」
雪兎の反応が飛んできた硝子の破片のように心に刺さる。
「……だってよ」
入鹿が小声でこっちに呟いてくる。こちらの顔も見たくない。
「――っていうのは冗談だったんだけど。なんかごめん」
大浦は気まずそうに平謝りする。
雪兎はホッとしたようにため息をついた。
「で、こっちが本題なんだけど。実はわたし、アナウンサー辞めようかなって迷っててさあ」
今度こそ、車内に長い沈黙が降りた。
「……えーと、それをどうして私たちに?」
雪兎のもっとも過ぎる質問に大浦は大きくため息をついた。
先程までの自信に満ちて、背筋の伸びた人物とは別人のようだった。
「無関係だからこそ話せることってあると思わない?」
「分からなくはないですけど、どうしてまた?」
颯は困惑しながらも話を聞く態勢に入った。
「配信者になる方法が知りたいから聞いてきたなら、相談に乗るぜ。というか、こっちからコラボを頼みたいくらいだ」
「……いや、もう芸能が無理かなって。アナウンサーって半分、会社員だけど芸能人みたいなもんで、才能が求められる世界なんだよねー。周りの人間、信じられないくらい頭も顔もよくって……」
……お前がそれを言うのか。
颯は黙って話を聞いたが、おそらく雪兎と入鹿も同じことを思ってる確信があった。
「大浦さんも美人ですよ」
「ありがとう。でも、雪兎ちゃんの方が美人だと思う」
颯は心の中で頷いた。
「ただ、競争が激しくてさ、わたし、それも無理かもってなった。相手を蹴落としてまで上がる精神力がないっていうか……努力不足と言われればそれまでだけどね。でも、そうやって自分を奮い立たせるときこそ、才能があるって自信が必要になると思わない?」
「……そうかもしれませんね」
「この取材を来る前、君たちの経歴を調べさせてもらったんだ。そしたら、わたしなんかよりずっと頭のいい人とかいて、その状況からこの世界に飛び込めるんだって驚いちゃって。ここに残ってる候補生たちみんな、それだけの潜在能力を持ってるってことなんだなって」
きっと、大方弥勒や貴弘、雪兎の学歴を見たのだろう。と颯は察しがついた。
入鹿も動画配信者で有名人だ。
そうなると残る二人も凄いと感じるのも無理はない。
「だから、アスリートである君たちに自分の才能への向かい合い方とか、競争意識の磨き方とか聞いてみたくてさ」
大浦が予想以上に真剣なニュアンスなので、颯は本気で考えてみることにした。
才能やら努力やら、そんな言葉は競争の世界に身を投じてから飽きるほどに聞いてきた。
あるいは、そのずっと前から……。
「前提として、私たちと大浦さんとでは置かれてる状況が違います」
雪兎が一番最初にその問いに答え始めた。
「私たちはまだアマチュアで、大浦さんはプロです。プロの世界に実際に身を置いて他人との差を実感した大浦さんの経験を、否定するだけの材料を私はまだ持ってません。才能に関しても、まだこの段階では分からないとしか答えられません。それはプロとして競い始める舞台に立って、ようやく顕著に表れるものだと思ってるから――」
颯もそれには同意だった。
まだ、自分たちは才能の有無が分かるほどの段階にない。
ゲームはともかく、本物の機体を操縦し始めてからからの時間はたかが知れてる。
ただ、このプロジェクトに参加して才能を測られる舞台に立てる程度の才能はある、という事実は認めなければいけない。
望んでいながらここに立てなかった人間が、山ほどいるのは知っているのだから……。
「競争意識に関しては、私は過去の失敗のおかげで強い方だと思います。少なくとも強くありたいと思っています。他人を蹴落とす覚悟があるかは分からないけど、自分の中にある何かを削る覚悟はある。そう思い込んで、意図的に自分の気持ちを奮い立たせてる部分はあります」
雪兎らしい、とても強い答えだった。
自分の考えていたことも忘れて、思わず聞きこんでしまうほどには。
「俺は才能とかどうでもいいと思う方だぜ」
続いて、入鹿が雪兎の話が終わったと判断して話し始める。
「やりたいならやればいいし、辞めたいなら辞めればいい。つーか、辞めてやりたいこととかあんの?」
「いや、特にはまだ……。ただ就職はし直さないといけないんで」
「はっ、そうだよな。あんたが才能ないとか言い出した理由、分かった気がするぜ」
「お、おい……」
颯は嫌な予感がして止めに入ったが、入鹿は容赦なく続けた。
「これまでろくに負けたことなかったんだろ。勝ちたい勝負には全部勝ってきた。でも、入社してからは周りが天才だらけで自分が埋もれるもんだから、自尊心折られて、競争心ないとか言い始めてるんだ」
「入鹿、適当言いすぎだから」
「い、いえ。その通りかもしれません」
剥き身の言葉で切られて、大浦は胸を押さえてしまった。
「俺の答えは最初に言った通り、やりたいならやればいいし、辞めたいなら辞めればいい。そこに余計なもん付け足すから訳わかんなくなるんだ」
入鹿はそう言って自論を締めくくった。
「でも、仕事辞めるって大ごとだよ。生活あるんだから」
「そんなん、自分が生活水準下げたくないってだけの話だろ」
そんなことは入鹿だから言えることだ、と俺は思ってしまう。
実際に生活も世間体も気にしない選択ができる人間などほとんどいない。
入鹿が強いだけだ。
雪兎とは違う方向だが確かな芯を持っている。
「俺は……」
そのとき、颯の口が自然と動いていた。
二人の話を聞いていて、何かのスイッチが入ってしまった。
その場の全員の注目が集まり、自然と静かになる。
「天才側の人間だから、大浦さんの気持ちは分かりません」
口をついて出たのはいつものような大言壮語、ただしそこに嘘はなかった。
「そう信じられるのは、俺がこのことだけは続けてきたからだと思う。無から自信は生まれない。結局、自分が信じてやり通してきたことにしか、人は自信を持てない」
自分でも考えていなかった言葉がスラスラ出てくる。
颯は自分が内心でそう思っていたのだと、口にしてから気付いた。
「才能とか努力とか、そういう抽象的な言葉は好きなじゃい。才能は他人を足を引くことを正当化するために使われるし、努力は他人を上から抑えつけることを正当化するために使われる。抽象的だから、芯を突いてなくても正しく聞こえてしまう」
いつだって思っていた。
この言葉を使われるときは、決まって誰かが自分を守るときだ。
慰めるため、労うために使われることなんてほとんどない。
だから、俺は――。
「だからこそ。俺はそういう言葉に負けたくなくて、自分は天才だと、自分の背中を押すために使ってます」
颯は喋りすぎたと思い至って顔を上げた。
沈黙を受けて顔が熱くなる。
だが、予想外に入鹿や雪兎は笑顔を浮かべており、大浦は呆気にとられて目を見開いている。
「いいね。そういう解釈、俺は好きだぜ」
「……そうだね。私も負けてられないな」
パチンという音が聞こえたと思うと、大浦が赤くなった顔を上げた。
「今、眠っていたアナウンサーとしての血が騒ぎました」
大浦の目に力が戻っており、背筋が自然と伸びていた。
もしかして、これまでのは全て演技だったのか? と颯が思うほどの豹変だ。
「やっぱ、アスリートだなあ。皆さん、あとでカメラの前でもう一度回答してください!」
「それはちょっと……」
きっと、改めて意識して話すと格好悪くなるだろう。
颯はその確信があったので、今の言葉は自分の胸にしまっておくことにした。
▲ ▼ ▲
フライトが終わり、全ての練習の行程を終えると、大浦たちは早速別の取材のためにロサンゼルスを発つことになった。
「珍しいですね。予定になかったインタビューまで行うなんて」
空港を歩いている最中、十亀が大浦に声を掛ける。
「なんか当てられちゃってさ。特に……あの……矢浪くん」
「へえ、インタビューは何か力んでる感じでしたけどね。ビッグマウスというか、普通の少年が無理して頑張ってる感じがしましたよ」
颯自身が危惧した通り、確かに、インタビュー時の颯は少し空回り気味だった。
「そうなんだよ。候補生の経歴を見たとき、本人には言わなかったけど矢浪くんだけが平凡に思えた」
優等生や専門学生、動画配信者に囲まれたゲームが上手いだけの青年。
第一印象は場違い、どうして候補生に選ばれたのか分からない、だった。
「だから、より刺さったんだよねー……」
「……分からなくはないですね。結局、人間、下剋上に弱いからですかね」
「そうなんだけど、それだけじゃないんだよー」
大浦はもどかしい気持ちになったが、あの場に十亀はいなかったのだから仕方ないと諦めた。
「ははは。でも、元気になったならよかった」
「うん! 心機一転、これきっかけにスポーツアナ目指そうかな」
競争は激しいけど……。
大浦は候補生たちのことを思い返し、残ったその弱音を飲み込むことにした。
今度会うのは9月の適正審査になるだろう。
そのとき、彼らがどれだけ成長しているのか。それに負けないように、自分もやれるだけ足掻きたいと思った。




