表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIR ACE  作者: 静水映
PHASE2
11/18

ファースト・フライト

 10時間のフライトを経て、旅客機はロサンゼルス国際空港に到着した。

 日差しは強く、まだ寒さの残っている東京に比べたら大分暑い。4月12日の夕方に出て、同日の昼に着くというのは奇妙な感覚だ。

 入国手続きを済ませ、荷物を受け取った一行を空港で1人の日本人男性が出迎えた。年齢は50代半ばくらい、肌は日に焼けていて、胸に『グッドエア』とローマ字で書かれた紺色のシャツを着ている。

 勲子は挨拶を済ませると、候補生に向けて男性を紹介した。


「彼は丹治たんじさん、これからお世話になるフライトスクールの職員の方です」


「皆さんどうも。いつも日本人留学生向けに仕事をしています。私はエアロバティックスに関しては触った程度ですが、パイロット免許を取るまでは教官として教える予定です。困ったことがあったら遠慮なく相談してください」


 物腰は柔らかいが、頼りになりそうな人物だった。


「お久しぶりです。クリスは?」


 任は候補生たちが挨拶を済ませると、丹治と握手をしながら聞いた。


「ああ。クリスティナなら彼らを歓迎する支度をしている。オーウェンとサイラスも一緒に」


「あー。分かりました」


 任はそれだけで、丹治の言いたいことを理解したようだった。

 一行を乗せたバスは、ロサンゼルス国際空港を出て、フライトスクールのある空港へと移動を始めた。


「なんか、広いね。アメリカ……!」


「そうだなー。規模がでかい」


 初奈の漠然とした感想に颯が心底同意する。

 ハイウェイを抜けると、そこからは開放的なサン・ディエゴ・フリーウェイを走る。

 青い空の下、時折背の高いヤシの木が見えた。


 バスは30分ほどで目的地の空港に着いた。

 フライトスクール『ロサンゼルス・グッドエア』は空港敷地内にあり、バスを出ると早速社長が一行を出迎えた。


「ヨーコソ! 未来ノチャンピョン!」


 トーマス・ターナーは恰幅のいい初老の男性だった。

 勲子から聞くことろによると、ターナーはエアレースの熱狂的なファンで、企画に積極に協力してくれた恩人らしい。現在、主催である『ブルーカウ』のキャップを被っているところからも、その信奉ぶりが伺える。ターナーの意向により『グッドエア』はスポンサーとして訓練費を安くしてくれるだけでなく、近くにある宿泊施設の手配まで行ってくれたとか。


 ターナーは各種の手続きよりも先に、飛行場に案内してくれた。


「日本語、丹治さんが教えたんですか?」


「ええ、まあ……」


 丹治は照れ笑いを浮かべながらも腕時計を見た。


「あと130秒……2分ほどお待ちください」


 丹治は飛行場に入ってすぐの場所で立ち止まると、颯たち候補生にそう告げた。

 何を待てというのかと思ったが、それはすぐに分かった。


「あっち、左の方から来るな」


 貴広が言うよりも早く、颯もその音に気付いていた。

 低いプロペラ音を響かせ、3機の飛行機――3色のエクストラ300が、颯たちの目の前を白いスモークを焚きながら通り抜ける。

 動画やゲームにはない振動や風、迫力に颯は早くも圧倒される。

 低空を駆けるエクストラは旋回し、颯たちの正面奥、飛行場の中央で高度を上げていく。

 機体は更に垂直に上昇していった。

 3本の白線は遠くまで伸び、プロペラ音が遙か上空から届く。


「高い――」


 想像よりもずっと長い上昇時間の途中、雪兎が呟くのを聞いた。

 高高度まで到達すると、3機はスモークを切り、一瞬その場に停止する。そして僅かな沈黙の後、機首を翻し、地面に向けて降下し始めた。

 急降下、再び白いスモークが焚かれる。

 3機のエクストラは地面に近付くにつれて、等間隔に散開し、青空に美しい放物線を描く。


「ビューティフォゥ!」


 ターナーが真っ先に歓声を送り口笛を吹く。

 飛行場には颯たちの他にも見学する人たちがいて、周囲からは次々に拍手や歓声が巻き起こった。



          ▲   ▼   ▲   ▼   ▲



 3機のエクストラは、颯たちの目前にある滑走路を使い着陸した。

 中からパイロットたちが順々に姿を現す。

 まず、白いエクストラから現れたのはブロンドの白人女性。歳は三十代半ばくらい。長身で引き締まった体をしている。


「クリスティナ、久しぶり」


 クリスティナと呼ばれた女性は、勲子たちに笑顔を見せると一同の前に立った。


「こんにちは、新兵たち」


 かなり流暢な日本語で〝新兵〟と呼ばれ、颯は戸惑った。


「私はクリスティナ・ロス。――クリスと呼んで。今日から、君たちの教官を務める」


「クリスは空軍出身のエリートパイロットです。今は引退してエアロバティックスで活躍している。私と知り合いで、今回パイロット一名と練習用のエクストラを一機手配してくれた」


 続いて、若い二人のアメリカ人男性が現れた。


「二人も君たちのエアロバティックスのコーチだ。免許の取得も手伝ってくれるクリスと違って、本格的に関わり合いになるのはもう少し先だな」


 1人は白人で金髪、あごひげがお洒落で、明るい雰囲気で異様に華のある人物だった。

 1人は黒人で黒髪、黄金色の瞳と物静かな表情、彫刻のように整った顔立ちが印象的だ。

 クリスティナは2人を颯たちに向けて紹介する。


「サイラス・サンダース。主催のブルーカウからの推薦で、このプロジェクトに参加したパイロット。以前、州の曲芸飛行の大会で優勝した実績を持っている」


「よろしく、お願いします」


 サイラスは慣れない日本語で挨拶をして、軽く会釈をした。


「オーウェン・オルティース。私の空軍時代の後輩。今回のために、2年前からエアロバティックス選手になってもらった。だけど、技術に関しては私より上だ」


 オーウェンは静かに深くお辞儀をした。


「はっきり言って。新人が1からエアロバティックスを学ぶにおいて、恵まれ過ぎてるくらいの環境だ。でも、その分訓練は厳しく、1年間詰め込むことになる。覚悟するように」


「ちょっと、あまりプレッシャー掛けないで下さいよ」


 クリスのスパルタ発言に、同じ教官である丹治が苦笑いを浮かべる。


「じゃあ、俺。今日は帰っていいすか?」


 サイラスは欠伸をすると、クリスに向けて英語でそんなことを言った。


「おい、まだ――」


 オーウェンはサイラスの態度に少しむっとしたようだが、クリスはそれを手で制した。


「俺自身のトレーニングをしたいんで。今日の仕事はこれだけって約束でしょう?」


「分かった。7月からは頼むぞ。今日もよく来てくれた」


「気にしないで下さいよ。美人との仕事なら大歓迎だ」


 サイラスはクリスに甘い笑みを向けると、オーウェンを無視してメンバーに背を向けた。

 颯はなまじ英語が聞き取れる分、少しだけハラハラした。


「ライバル心を持つのはいいが、あまり事を荒立てるなよ。お前もありがとうな」


「……はい」


 オーウェンはクリスが肩を叩くと、素直に機嫌を直した。


「じゃあ、早速各種手続きを始めようか。TSAへの登録も今日中にしてしまいましょう」


 TSAとは、アメリカ国土安全保障省の運輸保安庁こと。……早い話が役所に登録手続きをしなければいけないということだ。パスポートの発行やビザの申請を含めて、海外で飛行訓練を始めるまでには、やらなければならないことが目白押しだ。

 それでも海外で資格を取って、訓練をするのは、単純にコスト面の問題だろう。

 颯も以前自力でパイロットになる方法を調べる際に、散々費用の問題にはぶち当たったので、それが仕方のない事情であることは分かっていた。



          ▲   ▼   ▲   ▼   ▲



 午後6時、下宿に着くと、各々の疲労を考えてその日は早めに解散となった。

 颯は着替えだけ出して荷物はキャリーケースごと放置して、就寝の準備を始めた。シャワーを浴びると、髪が乾き切るよりも早くベッドに仰向けになる。

 時差のせいで、比喩でもなく1日が長かった。

 目を閉じると昼に自宅を出てからのことが、ぐるぐると頭の中を巡っている。初めての海外旅行。テレビの取材。クリスたちのエアロバティックス。人生史上上位に残る事件が一気に展開された。

 だけど、一番印象的だったのは――。


(俺って、単純すぎるのかな……)


 機内で見た雪兎の照れた顔や、手の感触が、数分前のことのように思い出せる。

 どうも、受験で失敗して以来、惚れ安くて困る。

 バイト先で優しくしてくれた先輩。『AIR ACE』内で個人的なチャットした女性プレイヤー。――2人とも彼氏がいたが。思えば莉緒だってそうだ。高校が別になって以来、特に意識してなかったのに、エアレースの約束を持ち出された途端、心臓が高鳴った。


(まあ、落ち着け……)


 どのみち、雪兎とはこれからほぼ毎日顔を合わせることになる。

 颯は余計なことを考えるのを止めて、押し寄せてきた疲労に身を委ねようとした。

 それでも、颯はなかなか寝付くことができなかった。

 雪兎のことを考えて眠れないのならまだ良かったが、頭の中にあったのは機内で見た悪夢だった。記憶は数珠繋ぎに引き出され、以前の失敗の記憶まで呼び起こす。


(駄目だ)


 ここまで冴えてしまったら、もうどうにもならない。

 颯は電気を点けて、バッグから訓練に使う『セスナ152』のマニュアルを取り出した。

 ベッドに座り、マニュアルを1から読み直す。


(こうしてると、浪人生時代を思い出すな)


 作業に集中すると少しだけ心が落ち着いた。たとえ仮初めの希望でも、自分のためにやるべきことがあるのは幸福だ。

 颯は不安を眠気が覆い尽くすまでずっと、頭の中を知識で埋め尽くした。



          ▲   ▼   ▲   ▼   ▲



 飛行訓練初日、颯は雪兎と入れ替わりで初飛行ファーストフライトに挑むことになった。


「どうだった?」


「緊張したけど、楽しめたよ。『AIR ACE』のおかげで、操縦も意外にすんなり出来たし」


「おー。だったら、俺は離着陸までこなしてくるよ」


 雪兎は呆れて笑い、ラウンジに戻った。

 颯はクリスと共に彼女の所有するセスナの前まで移動した。


「始めるぞ」


 クリスの指導の元、颯は機内点検の手順を1つ1つこなしていった。


「迷いがないな。マニュアルを覚えているのか?」


「はい。今日まで時間があったので」


「そうか」


 クリスは顎に手を当てて、颯の点検する様子を黙って見つめていた。

 颯はチェックリストを片手にエレベーター(昇降舵)やアンテナの確認をしていく。クリスはその間、ほとんど口を挟まず、要所で注意を促すだけだった。


「よし、コックピットに座れ」


 颯が左、クリスは右のコックピットに座る。

 颯がシートベルトを締めると、クリスは手順を短い単語で指示していった。


「パーキング・ブレーキ」


「予備電源の確認」


「マスタースイッチをオン」


 矢継ぎ早に支持が飛ぶ。内部、外部点検がスムーズに出来た颯でも苦戦するほど、エンジン・スタートの手順は複雑だ。


「よし、キーを入れろ。イグニション・スイッチを回せ」


 プロペラが音を立てて回転を始める。


「ミクスチャーをフルリッチに押し込め」


 体に染みこむような振動に感動する暇もなく、颯はクリスの指示で手と頭を動かし続ける。夢のときのように簡単に動き出したりはしない。


「LONG BEACH GROUND(管制官)、Cessnaセスナ 1《ワン》1《ワン》CチャーリーLリマCチャーリー


 クリスが無線で管制官に連絡をする。

 発音が明確で、単語を区切るように丁寧に言うのは、颯にも分かるように配慮しているからだ。


《……11CLC、LONG BEACH GROUND GO AHEAD(用件をどうぞ)》


「CLC、――」


 クリスは地上滑走の許可を取り、颯にセスナを動かすように指示を出した。

 颯は恐る恐るパーキング・ブレーキを解除して、動き出して少しするとブレーキ・ペダルを踏んだ。


「いいぞ。ブレーキの確認を忘れなかったな。今日は風が弱い。コントロール・ホイール(操縦桿)には触れないように心掛けろ」


 颯はクリスの言う通り、両足のラダーペダルだけを頼りに機体の操縦を始めた。これも、『AIR ACE』でしたことのある操作だったが、やはり実際は感じる重量が違う。


「少し右を弱く。自動車の運転と一緒だ。遠くを見て修正しろ」


 颯は点検から十数分でランウェイの手前まで着いたが、体感では半日分の労力を使った。


「はあ、緊張した」


「何を安心している。これからだ、離着陸もするんだろう?」


「……えっ?」


 颯はクリスの真剣な顔を見て、背中に汗が滲んだ。


「あの、雪兎に言ったのは冗談ですよ?」


「私は本気で言っている。もちろん、1つでもミスをしたら私が引き継ぐ」


 颯は戸惑って返事が出来ない。

 訓練初日に離陸を行うなんて聞いたことがない。


「お前の目には現実に対しての怯えが見える。いくらハッタリをきかせようと、それを超えない限り、勝負の舞台には立てないぞ」


 クリスは颯の内なる不安を見抜いていた。


「1つ言えば。私もあのゲームをやっていたが、初心者向けのフライトシミュレーションとしては完璧なゲームだった。だから、お前なら大丈夫だ」


 クリスは颯を正面から見据えると〝その名前〟を呼んだ。


「――『スカイウルフ』、自信を持て」


 颯は覚悟を決めて、エンジンの回転数を上げた。


「分かりました」


「LONG BEACH TOWER、CLC、READY(準備完了)」


クリスは颯が点検を終えたのを待ち、管制官とのやり取りを再開する。


《CLC、WIND320 AT02、RUNWAY30 CLEARED FOR TAKE OFF(離陸を許可します)》


 颯は離陸許可が出たのを聞いて、左右を確認、ランウェイへとセスナを侵入させた。


「手順を言葉にしてから実行しろ」


 颯が滑走路に入って停止すると、クリスが最後の確認をした。


「エンジンをフルパワーで加速――」


 機体が動き始め、滑走路を疾走し始める。

 速度はみるみる上がっていく、周囲の色彩が混ざって掠れる。

 タイヤから伝わる振動が増すに連れ鼓動が高鳴るが、同時に恐怖心も消えていった。


「規定速度に達したら、コントロール・ホイールを上げる」


 速度が55ノット(約時速100キロ)を過ぎる。


「ピッチを調整しながら、真っ直ぐに上昇!」


 汗ばむ手でホイールをゆっくりと引くと、機体は宙へと浮く。――颯を乗せたセスナは、青空を切り裂いて少しずつ上昇し始めた。

 颯は街並みが遠ざかるにつれ、心を覆う黒い雲が晴れていくのを感じた。


「気を抜くな。――と言っても無理か」


 クリスは颯の表情を見て、訓練が始まってから初めて優しく微笑んだ。


「よくやった。ここからは私が引き継ぐ」


 颯は緊張が解けて、心地良い疲労に包まれるのを感じた。


(飛べた。飛べるじゃないか――)


 颯はこれから幾度となく見下すことになる風景を、心の中に焼き付けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ