第十八話:伝説の一日、そして影との邂逅
帝聖学園文化祭、当日。
朝の澄んだ空気は、開場前から生徒たちの熱気と期待で満たされていた。各クラスや部活動が最後の準備に追われる中、一年A組の教室の前には、既に信じられないほどの長さの行列が形成されていた。
「おい、マジかよ……まだ開場前だぞ」
「噂の『秘密の庭園』ってやつだろ? 神崎がプロデュースしたっていう」
「整理券、もう無くなるんじゃないか?」
行列に並ぶ生徒たちの会話が、俺たちの作り上げた伝説の始まりを告げていた。
教室――いや、「秘密の庭園」の中で、俺は最終チェックを行っていた。司令塔として、インカムを装着し、各セクションに指示を飛ばす。
「厨房、スイーツの準備は完璧か? 飴細工の湿気対策を怠るな」
「フロア、アロマの香りが強すぎる。少し換気して、最適な濃度に調整しろ」
「照明、入場ゲートのライトをあと5%だけ絞って、期待感を煽るんだ」
俺の指示は、プロの現場監督そのものだ。クラスメイトたちは、緊張した面持ちながらも、完璧な連携で動いている。
そして、開場のベルが鳴り響いた。
扉が、ゆっくりと開かれる。
最初に入場した客――生徒や保護者たち――は、教室を一歩踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
「……すごい……」
「ここ、本当に教室なの……?」
幻想的な空間、美しい音楽、心地よいせせらぎの音、そして魅惑的な花の香り。五感の全てが、非日常の世界へと誘われる。
「ようこそ、『秘密の庭園』へ。彷徨い込んだあなたを、心より歓迎いたします」
フロア担当の生徒たちが、俺が指導した完璧な笑顔と所作で、客を席へと案内していく。そのエースとして輝いているのが、橘葵だった。
「こちらへどうぞ、迷い人さま」
普段の快活さとは違う、少しミステリアスな雰囲気を纏った葵の接客は、客の心を鷲掴みにしていた。彼女自身、この非日常の役柄を心から楽しんでいるようだ。その笑顔は、自信に満ち、輝いていた。
提供されるメニューは、次々と客のスマートフォンに収められ、リアルタイムでSNSにアップされていく。
『帝聖学園1-Aのカフェ、レベルが異次元すぎる! #秘密の庭園 #神崎蓮プロデュース』
『妖精の涙、本当に色が変わった! 魔法みたい!』
『森の宝石、美味しすぎて泣いた……。これはもう芸術作品』
ハッシュタグは瞬く間にトレンド入りし、噂はさらに拡大していく。行列は、一日中途切れることがなかった。
***
昼過ぎ、客足が少し落ち着いたタイミングで、高嶺椿が生徒会長としての視察にやってきた。彼女は、一般客と同じように列に並び、席へと案内されていた。
「……本当に、やってのけたのね」
俺が彼女のテーブルに近づくと、椿は感嘆のため息をつきながら呟いた。その表情には、呆れと、それを遥かに上回る賞賛の色が浮かんでいる。
「言っただろう、最高のステージを見せてやると」
「ええ、完敗だわ。これは、もはや高校の文化祭のレベルではない。一つの完成された事業よ。あなたの才能は……本当に、底が知れないわね」
彼女は、運ばれてきた「森の宝石」を一口食べると、驚きに目を見開いた。
「……美味しい……。ただ派手なだけじゃない、計算され尽くした味……」
「楽しんでもらえたようで何よりだ、生徒会長」
「ええ。……でも、忘れないで。これだけの才能は、多くの人を惹きつけるけど、同時に多くの敵も作る。あなたの戦いは、まだ終わっていないはずよ」
彼女は、俺の目をじっと見つめ、静かに釘を刺した。彼女なりの、心配の表れなのだろう。
椿が去った後、今度は白鳥栞が、一人で静かにやってきた。彼女は、庭園の隅にある、まるで彼女のために用意されたかのような落ち着いた席に座り、嬉しそうに店内を見回していた。
俺は、厨房から特別なハーブティーを淹れて、彼女の元へ運んだ。
「これは……?」
「君への、ささやかな礼だ。この庭園のコンセプトに、魂を吹き込んでくれたのは君だからな」
「……そんな」
栞は、頬を赤らめ、はにかむように俯いた。
「……この場所は、本当に、秘密の庭園みたいですね。神崎君と……私が、物語を紡いだ……」
彼女の言葉は、誰にも聞こえないような小さな声だったが、俺の耳にはっきりと届いた。俺たちの間に流れる、穏やかで、特別な空気。それは、この喧騒の中にあって、唯一の安らぎだった。
***
夕方。
交代で休憩を取るため、俺はカフェの喧騒から少し離れ、中庭のベンチに座っていた。文化祭の賑やかな声が、心地よいBGMのように聞こえる。
ふと、視線を上げた先。木々の陰になった通路で、見慣れた後ろ姿が目に入った。父、神崎龍一郎だ。彼は、息子の文化祭を見に来たのだろうか。
だが、その隣に立つ人物を見て、俺は息を呑んだ。
古風で、上質な着物を隙なく着こなした、初老の男。その佇まいは、ただ者ではないことを示している。表情は厳しく、父と何かを真剣に話し込んでいるようだった。
父もまた、いつもの大企業のトップとしての顔ではなく、もっと張り詰めた、裏の顔をしていた。
(……あの男は、誰だ?)
椿から得た情報、栞の解析で見えた「古くから存在するプレイヤー」の影。それらが、脳裏で結びつく。
父は、俺の視線に気づいた。そして、ゆっくりとこちらを向き、鋭い目で俺を射抜いた。その目は、雄弁に語っていた。
『まだ、首を突っ込むな』
無言の圧力。それは、俺の知らないところで、世界のゲームが今も進行しているという、何よりの証拠だった。
父と謎の男は、すぐにその場を立ち去り、雑踏の中へと消えていった。
俺は、しばらくその場から動けなかった。
手に入れたはずの「青春」の温かさ。そのすぐ隣で、冷徹な世界の現実が、静かに息づいている。
俺が今いるこの穏やかな場所は、決して永続するものではない。それは、俺が戦い、守り抜かなければ手に入らないものなのかもしれない。
(……面白い。ますます、面白くなってきたじゃないか)
沸き上がるのは、恐怖ではない。むしろ、闘志だ。
この日常も、世界の裏側も、全てを手に入れてこそ、俺の「好き放題」は完成する。
***
文化祭は、二日間とも記録的な大盛況のうちに幕を閉じた。
一年A組の「秘密の庭園」は、来場者数、売上、そして何より、人々の記憶に残るインパクトにおいて、帝聖学園の歴史に燦然と輝く「伝説」として刻まれた。
打ち上げの教室。
クラスメイトたちは、達成感と疲労感に満ちた、最高の笑顔を浮かべていた。
「神崎! 本当にありがとう!」
「お前のおかげで、最高の思い出ができたよ!」
誰かが叫んだのをきっかけに、俺は男子生徒たちに担ぎ上げられ、宙を舞った。胴上げだ。前世ではもちろん、この人生でも初めての経験だった。
「わっしょい! わっしょい!」
熱狂の輪の中心で、俺は少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、悪くない気分だった。
その光景を、輪の外から、橘葵が、少しだけ潤んだ瞳で見つめている。その表情は、寂しさのようでもあり、誇らしさのようでもあり、そして、手の届かない存在への切なさのようでもあった。
夜、一人になった俺は、静まり返った自室の窓から、煌びやかな夜景を見下ろしていた。
文化祭の成功の余韻と、仲間たちとの一体感。それは、確かに温かく、心地よいものだった。
だが、同時に、昼間に見た父と謎の男の姿が、脳裏から離れない。
(手に入れた日常を、謳歌するだけじゃ足りない)
この温かい場所を守るためには、その外にある冷たい世界と、いずれ向き合わなければならない。
父の警告。栞が見つけた「カオス」の影。椿がもたらした情報。
ピースは、少しずつ揃いつつある。
俺は、フッと笑みを漏らした。
「さて、文化祭も終わった」
次なる舞台は、どこにしようか。
学園生活をさらに謳歌するのもいい。あるいは、少しだけ、世界の裏側に手を伸ばしてみるのも面白いかもしれない。
「次は何をして、この退屈な世界を驚かせてやろうか」
俺の独白は、静かな夜の闇に吸い込まれていった。
キングのショーは、まだ終わらない。
むしろ、本当の幕は、今上がったばかりなのかもしれない。
そう確信しながら、俺は新たなチェス盤に、最初の駒を置くイメージを、頭の中に描いていた。
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