第十七話:秘密の庭園の作り方 - 俺色に染まれ、青春
文化祭の準備が本格化し、一年A組は帝聖学園の中で最も熱い場所と化していた。俺、神崎蓮の描いた壮大な設計図を現実のものとするため、クラス全員が一つの目標に向かって走り始めていたのだ。
その日の放課後、主戦場は家庭科室に移っていた。カフェの目玉メニューであるスイーツの試作と調理練習のためだ。集まったのは、調理担当に立候補した女子生徒たちと、補佐役の橘葵、そして総監督である俺。
「いいか、今日のテーマは『森の宝石』。見た目の美しさと、味の繊細さ、両方を完璧に両立させる。妥協は一切許さない」
俺は、シェフコート代わりに清潔な白衣を羽織り、調理台の前に立った。その手際の良さは、もはや高校生の調理実習のレベルを遥かに超えていた。
「まず、飴細工のドーム。グラニュー糖と水を正確に計量し、160℃まで加熱する。温度計がない? 必要ない。鍋の中の泡の大きさ、粘度、そして立ち上る香りの変化で、完璧なタイミングを判断する」
俺は、まるで長年の経験を持つパティシエのように、滑らかな動作で飴を煮詰めていく。その無駄のない動きと、自信に満ちた解説に、女子生徒たちはうっとりと見惚れていた。
「す、すごい……神崎君、なんでそんなことまで知ってるの……?」
葵が、感嘆の声を漏らす。彼女は、エプロン姿で俺の隣に立ち、懸命にメモを取っていた。
「知っているんじゃない。理解しているんだ。全ての事象には、法則と理論がある。料理も、科学の一分野に過ぎない」
言いながら、黄金色に輝く飴をゆっくりと型に流し込み、半球状の美しいドームを次々と作り上げていく。その光景は、まるで魔法のようだ。
次に、ドームの中に閉じ込めるムースとフルーツの準備。
「ムースの口溶けは、空気の含有量で決まる。メレンゲを立てる時の手首のスナップ、混ぜ込む時のヘラの角度、全てに意味がある。見て覚えろ」
俺が実演すると、驚くほどきめ細やかで、艶やかなムースが出来上がった。
生徒たちも、俺の指導の下、恐る恐る作業を始める。最初はぎこちなかった手つきも、俺が一人一人の動きを的確に修正し、コツを言語化して教えることで、見る見るうちに上達していった。
「そうじゃない、手首の返しが硬い。もっとしなやかに」
「フルーツのカットサイズが不揃いだ。美は細部に宿る」
俺の指導は厳しいが、的確で分かりやすい。生徒たちは、必死に食らいつき、自分の技術が向上していくのを実感して、目を輝かせていた。
「できた……! 私にも、こんな綺麗なムースが作れた……!」
一人の女子生徒が、歓喜の声を上げる。その手の中には、俺が作ったものと遜色ない、見事なムースがあった。
「当然だ。俺のプロデュースを信じてついてくれば、誰だって一流になれる」
俺がにやりと笑うと、調理室は、達成感と、俺への絶対的な信頼感に満ちた熱気に包まれた。
葵は、そんな俺の姿を、少し離れた場所から眩しそうに見つめていた。その瞳には、尊敬と、憧れと、そして何か別の、もっと甘い感情が混じり始めているように見えた。
***
一方、教室では男子生徒たちを中心に、内装工事が着々と進んでいた。
俺が作成した詳細な設計図と工程表に従い、壁にはレンガ風のシートが貼られ、床にはアンティーク調のウッドパネルが敷き詰められていく。天井からは、本物の蔦やフェイクグリーンが吊るされ、教室は日ごとに「秘密の庭園」へと姿を変えていった。
「神崎の設計図、ヤバすぎるだろ……。ミリ単位で全部計算されてやがる……」
「釘一本打つ位置まで指定されてるから、迷いようがねえな」
男子生徒たちは、最初は俺の完璧すぎる指示に面食らっていたが、次第にその凄さを理解し、一種の快感を覚えながら作業に没頭していた。巨大なプラモデルを組み立てるような、あるいは、難解なパズルを解き明かすような面白さが、そこにはあった。
俺は、調理室と教室を行き来しながら、全体の進捗を管理し、的確な指示を飛ばす。
「そこの照明の角度、あと3度下に。光が木漏れ日のように床に落ちるように調整しろ」
「壁の蔦の絡ませ方が不自然だ。もっとランダムに、有機的なラインを意識してくれ」
俺の美的センスと空間認識能力は、プロのインテリアデザイナーにも匹敵する。クラスメイトたちは、俺の指示に従うたびに、教室が魔法のように美しくなっていくのを目の当たりにし、もはや俺を神か何かのように崇め始めていた。
***
夜も更け、ほとんどの生徒が帰宅した後の教室。
俺と葵、そして数人の有志だけが残り、黙々と作業を続けていた。静かな教室に、工具の音と、小さな話し声だけが響く。
「……はい、コーヒー」
不意に、教室の入り口から凛とした声が聞こえた。見ると、生徒会長の高嶺椿が、コンビニのコーヒーカップをいくつか手に持って立っていた。
「差し入れよ。夜遅くまでご苦労様」
「これは、生徒会長様直々の労いか。光栄だな」
俺が軽口で返すと、椿はふんと鼻を鳴らした。
「勘違いしないで。生徒会長として、管轄下の生徒の健康管理をするのは当然の義務よ。……それに、少し、様子が気になっただけ」
彼女は、驚くほど様変わりした教室を見回し、感嘆のため息をついた。
「……本当に、やってのけるつもりなのね。この、馬鹿げた計画を」
「馬鹿げた、とは心外だな。最高の、と言ってほしい」
「ふふ……そうね。最高の、馬かげた計画、かしら」
珍しく、椿が楽しそうに笑った。夜の教室という特別な空間が、彼女の普段の鎧を少しだけ緩ませているのかもしれない。
他の生徒たちがコーヒーを受け取って休憩に入る中、俺と椿は、窓際で二人きりになった。
「あなた、楽しそうね」
椿が、静かに言った。
「そう見えるか?」
「ええ。世界の裏側で暗躍している時よりも、ずっと……。まるで、水を得た魚のようだわ」
「まあな。世界を相手にするのも悪くないが、クラス全員で一つのものを作り上げる、というのも、存外に面白いものだ」
俺は、作業に没頭するクラスメイトたちの姿に目をやった。彼らの顔には、疲れと共に、充実感が浮かんでいる。
「……あなたのそういうところ、少し意外だわ。もっと、冷徹で、自己中心的な人間だと思っていたから」
椿の声は、どこか優しさを帯びていた。
「俺は、俺が面白いと思うことをするだけだ。それが、たまたま今は、これだというだけの話さ」
「……そう。なら、私も、この『お祭り』の結末を、楽しみにさせてもらうわ」
椿は、コーヒーカップを俺に手渡すと、「あまり、根を詰めすぎないように」と言い残し、去っていった。その横顔は、夜の光の中で、いつもより柔らかく見えた。
***
文化祭の前日。
ついに、一年A組の「秘密の庭園」は、完成した。
教室の扉を開けると、そこはもう、無機質な教室ではなかった。
薄暗い空間に木漏れ日のような光が差し込み、壁や天井は緑の蔦で覆われている。アンティークなテーブルと椅子が点在し、空間の中心には、せせらぎの音を立てる小さな噴水(もちろん、俺の自作だ)まで設置されている。ほのかに漂うハーブと花の香りが、幻想的な雰囲気をさらに高めていた。
「……できた……」
「俺たちが、これを……」
完成した光景を前に、クラス全員が言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。そして、誰からともなく、大きな拍手が巻き起こった。それは、これまでの苦労が報われた瞬間であり、最高の達成感を分かち合う、歓喜の音だった。
俺は、プロデューサーとして、その光景を満足げに眺めていた。
(悪くない。いや、最高だ)
この一体感、この熱気。これこそが、俺が味わってみたかった「青春」というものなのだろう。
「神崎君……!」
隣にいた葵が、感極まった様子で俺を見上げてきた。その瞳は、涙で潤んでいる。
「……ありがとう! こんな、すごい経験させてくれて……! 私、このクラスで、本当に良かった……!」
彼女の言葉は、ここにいる全員の気持ちを代弁していた。
俺は、そんな彼女の頭に、ぽんと軽く手を置いた。
「礼を言うのはまだ早い。本番は、明日からだ。最高のステージで、最高の思い出を作ろうじゃないか」
「……うん!」
葵は、顔を真っ赤にしながらも、力強く頷いた。
その時、ポケットに入れていたスマートフォンが、静かに一度だけ振動した。
画面に表示されたのは、父・神崎龍一郎からの短いメッセージ。
『浮かれすぎるな。水面は静かだが、水面下では流れが変わっている』
世界の裏側は、俺が目を離している間にも、静かに、しかし確実に動き続けている。
だが、今の俺は、それを脅威とは感じなかった。
(上等じゃないか)
俺は、メッセージを一瞥すると、フッと口元だけで笑った。
そして、目の前に広がる、仲間たちと作り上げた美しい「庭園」を見回す。
「さて、まずは明日の祭りを楽しもうか」
俺の小さな呟きは、クラスメイトたちの歓声の中に、静かに溶けていった。
世界の真実と、目の前の青春。その両方を手に入れてこそ、俺の「好き放題」は完成する。
伝説の文化祭の幕開けまで、あとわずか。
最高のショータイムが、もうすぐ始まる。