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第83話 国王の「裁定」と、エリオットの胃痛の行方

 謁見の間は奇妙な熱気と混沌に包まれていた。

 文化人貴族たちが「哲学的な壺」の解釈を巡って議論を戦わせ、軍人貴族たちが「それよりも武勇が重要だ」と頷き合う。

 その前代未聞の光景を玉座の国王は、こみ上げる笑いを必死でこらえながら静かに見つめていた。


「うおっほん」


 やがて彼が一つ軽く咳払いをすると、その場は水を打ったように静まり返った。

 全ての視線が玉座へと注がれる。

 ヴァルモン領の「評価」が下される瞬間だった。


「……まことに愉快な余興であった」


 国王は穏やかな、しかし有無を言わせぬ響きでそう切り出した。


「まず宰相コンラートよ。貴君らが献上したその品々、見事であった。穀物は豊かに実り、工芸品は質実剛健。ヴァルモン領が復興の道を着実に歩んでいることがよく分かった。その勤勉さ、朕は確かに評価する」


 その言葉にコンラートは感極まったように深々と頭を下げた。

 謁見の間の保守的な貴族たちも、その評価には納得したように頷いている。


「そしてヴァルデン将軍よ。そなたの言う通りだ」


 国王は次に軍務大臣の方を向いた。


「朕も報告は受けておる。ゼノン卿が卑劣な襲撃者の企みを事前に見抜き、これを鮮やかに粉砕したこと。領地の平和を自らの力で守り抜くその武威と、王国への揺るぎない忠誠心、まことに天晴れである。これもまた高く評価する」


 リアムはその言葉に誇らしげに胸を張った。

 軍人貴族たちが満足げな表情を浮かべる。

 そして最後に、国王は問題の「穴の空いた壺」へとその視線を移した。

 その瞳には隠しきれない、面白そうな光が宿っている。


「……さて。この『哲学的な壺』だが……」


 国王は言葉を切り、にやりと笑った。


「フェルディナント子爵の言う通り、まことに『独創的』で、そして若々しい『情熱』に満ち溢れておるな。ゼノン卿のそのほとばしる精神は我が王国の若き貴族たちの良き手本となろう!」


 国王はその奇妙さを「若さゆえの情熱」という、誰もが否定できない当たり障りのない言葉で見事に表現してみせた。


「この『問いかける壺』は子爵の言う通り、王立アカデミーの『珍品陳列室』に名誉ある場所を与え、後世の学者たちの良き研究対象としようではないか」


 その裁定は完璧だった。

 壺の芸術性を肯定も否定もせず、ただ「面白い若者の面白い趣味」として丁重に、しかし無害な場所へと封じ込めたのだ。

 フェルディナント子爵は自分の意見が採用されたと喜び、保守的な貴族たちはあんなものが王宮に飾られずに済んだと安堵し、軍人たちはそもそも壺に興味がない。

 誰もがこの裁定に納得した。

 国王は最後に総括するように宣言した。


「すなわち、ヴァルモン領主ゼノン・ファン・ヴァルモンは、領地を豊かにし兵を強くし、そして実に『面白き精神』を持つ、朕が誇るべき忠実な臣下である! 皆も異論はあるまいな!」

「「「ははーっ!」」」


 謁見の間の全ての者が一斉に頭を垂れた。

 そして国王はとどめの一手を放った。


「ゼノン卿のこの度の忠義とガーランド男爵を退けた功に報いるため、そしてそのさらなる発展を奨励し、財政回復の一助として今後五年、ヴァルモン領が王家に納める税を半減させることをここに布告する!」

「なっ……!?」


 今度こそエリオットも驚きの声を上げそうになった。

 税の半減。

 それはヴァルモン領の財政にとって、これ以上ないほどの「褒賞」だった。


 監察官エリオットはその一部始終をもはや夢の中にいるような気分で見つめていた。

 最悪の事態……王宮での物笑いの種となり領地の威信が失墜するという彼の予測は完全に外れた。

 それどころかヴァルモン領は、かつてないほどの評価と実利を手にしてしまった。

 彼はついに悟った。


 (……そうか。これがヴァルモン領の本当の『力』なのか……)


 ゼノン領主の常人には理解不能な「天啓」と、我々家臣団がそれを必死で取り繕う「実践」。

 そして領民たちが育んだ「武勇伝」。

 それらが奇妙な形で混ざり合い、誰にもその正体を掴ませない。


 「理解不能」だからこそ相手は目に見える「成果」……すなわち豊かな作物や強い兵士といった、分かりやすい部分だけで評価するしかない。

 そしてその「成果」を生み出しているのは、紛れもなく自分たち現場の人間の日々の努力だ。

 ゼノン領主の存在そのものが全ての矛盾を飲み込み、そしてなぜか良い結果だけを濾過する、巨大で不可解な「装置」として機能している……。


 エリオットはふっと息を吐いた。

 その息はいつもの諦めのため息ではなかった。

 長年彼を苦しめ続けてきた胃の痛み。

 それが今、すうっと引いていくような不思議な感覚。


 痛みは消えたわけではない。

 だがその痛みの「質」が変わったのだ。

 それはもはや絶望や不安の痛みではない。

 あまりにも壮大で、あまりにも滑稽なこの「物語」の登場人物である自分自身を、どこか客観的に面白がっているような……そんな諦観と、ほんの少しの好奇心が混じった新たな種類の慢性的な痛みだった。


 謁見は終わった。

 使節団は王都の誰もが「あの面白い領主の」と噂する中、多大な成果と新たな評価を手に屋敷へと引き上げていく。

 コンラートとリアムは興奮冷めやらぬ様子で、主君への報告をどうするか熱心に話し合っている。

 エリオットはその隣でただ静かに空を見上げていた。


(……さて。このあり得ないほどの『大成功』を、あの我らが領主様は一体どう受け止められるのだろうか……)


 彼の新たな胃痛の種は、もう次の場所にしっかりと芽吹いていた。

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