第73話 献上品選定会議、紛糾す
国王陛下からの勅令を受け、ヴァルモン領主ゼノンは早速、王都への献上品を選定するための会議を招集した。
場所は彼の「多くを語らぬ威厳」を体現した、あのシンプルすぎる執務室である。
そこには宰相コンラート、騎士リアム、監察官エリオットといったいつもの家臣団に加え、ギルド長のゲルトと「芸術顧問」ルドルフ、そしてヴァルモン・スタイル・アカデミーが誇る「教授陣」、哲学者のヘーゲルと彫刻家のマリーナまでが顔を揃えていた。
部屋の空気は期待と不安、そして一部の者たちの奇妙な熱気で張り詰めている。
ゼノンは玉座にふんぞり返ると、満足げに一同を見渡し口を開いた。
「諸君、聞いたな! 国王陛下が我がヴァルモン領の『成果』を王都にて披露する機会を、直々にお与えくださった! これは我が『天啓』と『ヴァルモン・スタイル』が、ついに王国全土に認められた証である!」
ゼノンはそう高らかに宣言した。
「ついては、この栄誉ある機会に我々が献上すべき品々について、諸君らの忌憚なき意見を聞きたいと思う。国王陛下と王都の愚かな貴族どもに、我が領の真価を見せつける最高の品とは何か。申してみよ!」
その言葉を受け、最初に口火を切ったのはやはりこの男だった。
「ゼノン閣下! それにつきましては、もはや議論の余地もございません!」
哲学者のヘーゲルが目を爛々と輝かせながら進み出た。
「我がヴァルモン・スタイルの神髄を最も雄弁に、かつ最も哲学的に物語るもの……。それは先日バルツァー領より贈呈され、今やアカデミーの至宝として講堂に飾られております、あの『穴の空いた壺』をおいて他にありますまい!」
「いかにも!」
彫刻家のマリーナも力強く頷く。
「あの壺こそ機能を捨て去り、存在そのものを問いかける究極の芸術! 国王陛下もその『無』が内包する『無限の可能性』を前に、必ずや言葉を失うはずですわ!」
二人の「教授」は本気で、あの穴だらけの壺を国王への献上品として推薦した。
ゼノンはその意見に深く、そして満足げに頷いた。
「うむ。ヘーゲル、マリーナ、よくぞ申した。やはり貴様らには私の考えがよく分かっておる。あの壺こそ我がヴァルモン領の哲学を示す最高の品であろうな」
「お待ちくださいませ、ゼノン様!」
その時、これまで冷や汗をかきながら黙っていたギルド長のゲルトが、勇気を振り絞って口を開いた。
「その……『穴の空いた壺』が素晴らしい芸術品であることは重々承知しておりますが……。しかし王都の方々がその『深遠なる価値』をすぐにご理解いただけるとは……。むしろ我がギルドが総力を挙げて製作しております、こちらの実用的でかつ堅牢な作りの家具や陶器こそ、我が領の職人たちの『確かな技術力』を示す最良の献上品かと存じますが……」
ゲルトは震える手で、職人たちが作ったシンプルだが美しい椅子のスケッチを示した。
彼の背後でルドルフが、死にそうな顔で小さく頷いている。
すると今度はマリーナが、カッと目を見開いて反論した。
「なんですってゲルト! あなたまだそんな古い価値観に囚われているの!? ただ人が座れるだけの椅子に何の哲学があるというの! 芸術とは実用性を超えた先にこそ存在するのよ!」
「しかしマリーナ殿! 物がまず役に立たずして何が芸術か!」
「それが分からないから、あなたはただの職人なのよ!」
「な、なんだと!」
会議は完全に紛糾し始めた。
「芸術・哲学派」と「実用・技術派」が互いに一歩も譲らない。
リアムは「どちらも素晴らしい! ならば穴の空いた椅子を作っては!?」などと火に油を注ぐ発言をして、エリオットに足を踏まれている。
ゼノンはその様子を最初は面白そうに眺めていたが、やがて自分の「天啓」が家臣たちの間で割れていることに、少しだけ不機嫌になってきた。
「……静まれ!」
ゼノンの一喝に広間は再び静寂を取り戻す。
彼はゆっくりと立ち上がると、さも全てをまとめ上げる賢王であるかのように宣言した。
「……ふむ。諸君らの意見、どちらにも一理ある。私の『天啓』はあまりに多角的で深遠であるため、一つの側面からだけではその全てを語ることはできぬ、ということだろう」
彼はエリオットがなんとかこの場を収めるために必死でコンラートに耳打ちしていた「両方献上する」という妥協案を、さも自分の名案であるかのように語り始めた。
「よし、決めた! 我々は王都に『全て』を見せるのだ!」
「……全て、でございますか?」
コンラートが恐る恐る尋ねる。
「そうだ! ゲルトたちが言う実用的で質の良い家具や陶器、そしてアカデミー農園で採れた見事な作物! これらを『我が領の豊かさ』、すなわち『肉体』として献上する! そして同時に! あの『穴の空いた壺』やマリーナの新たな彫像、ヘーゲルの哲学論文を『我が領の哲学』、すなわち『精神』として献上するのだ!」
ゼノンは腕を組み、得意満面に言い放った。
「『肉体』と『精神』! 『実用』と『芸術』! その両方を見せつけることで国王陛下も我がヴァルモン領の、その計り知れない『奥深さ』を理解せざるを得なくなるであろう! ふははは! 我ながらなんと完璧な策か!」
そのあまりにも完璧な(そして支離滅裂な)結論に、誰ももはや反論することはできなかった。
「芸術・哲学派」は自分たちの作品が献上されることに満足し、「実用・技術派」は少なくともまともな品物も一緒に送れることに安堵した。
コンラートとリアムは主君の「全てを包み込む大局的なご判断」に、改めて感服していた。
エリオットはただ静かに目を閉じた。
(……始まった。地獄のパンドラの箱が、今、開かれる……)
こうして王都への献上品は「ヴァルモン領の豊かさを示す実用品」と、「ヴァルモン領の哲学を示す理解不能な芸術品」の、奇妙な二本立てで準備されることが決定した。
その準備の裏でヴァルモン領に新たな脅威が忍び寄りつつあることを、この時の彼らはまだ知らない。