第70話 アカデミーの「卒業制作」と、父の肖像
職人ギルドでの「特別講義」が、大成功(という名の、大混乱)に終わってから数日。
領主ゼノンは自分の「領民総アカデミー化計画」が着実に成果を上げていることに、大変満足していた。
彼の頭の中では今頃、ヴァルモン領の全ての職人が哲学的な思索にふけりながら日々の仕事に励んでいるはずだった。
「うむ。理論と実践の融合は順調に進んでおるようだな」
ゼノンはコンラートからの(もちろん現実とはかけ離れた)報告を受け、ご満悦で頷いた。
そして彼はアカデミーの「第一学期」を締めくくる、新たな「天啓」を得た。
「コンラートよ! アカデミーの第一期生たちに『卒業制作』を課すことにする!」
「そ、卒業制作でございますか?」
「そうだ! 彼らが我がアカデミーで何を学び、何を得たのか。その成果を具体的な形で私に示させるのだ! これこそ教育の総仕上げであろう!」
ゼノンはこの「卒業制作」こそが、アカデミーの成功を内外に示す最高の機会だと考えた。
そして彼はそのテーマを告げた。
そのテーマは最近、彼の心の隅に小さな棘のように引っかかっていた、ある存在へと繋がるものだった。
「テーマは『偉大なる先代領主を称える』だ!」
ゼノンは高らかに宣言した。
アイゼンミュラーに指摘された父の「負の遺産」。
その記憶を払拭し自分自身の中で、改めて父の「偉大さ」を揺るぎないものにするために、彼はこのテーマを選んだのかもしれない。
このお題はすぐにアカデミーの「学生」たちに伝えられた。
彼らはそれぞれのやり方で、その難解なテーマに取り組み始めた。
哲学者のヘーゲルは「先代領主という『過去』が、いかにして現在のゼノン閣下という『未来』を規定したか」という、壮大で難解な論文を書き始めた。
彫刻家のマリーナは「父君の厳格さと、その内に秘めたる情熱」をテーマに、巨大な粘土塊と格闘し抽象的な彫像の制作に取り掛かった。
そしてこの話はアカデミーの中庭で開かれている「課外活動」にも伝えられた。
リリアはそのテーマを聞くと、一瞬表情を曇らせた。
先代領主様……。街の大人たちが今も顔をしかめて噂する、あの恐ろしいお方……。
しかし彼女はすぐに、にっこりと微笑んだ。
(……でも、ゼノン様はお父様をとっても尊敬していらっしゃる。それに、子供たちに怖いお話をする必要はないわ)
「みんな、素敵なテーマね。領主ゼノン様がとっても尊敬していらっしゃるお父様の絵を描きましょう」
彼女は孤児院の子供たちに画材(天啓リサイクルで生み出された木の炭や、草木染の絵の具)を配った。
「ゼノン様のお父様なのだからきっと、物語に出てくる王様みたいに、本当は民を思うとても立派で優しいお気持ちも持った方だったのよ。みんなが思う『一番立派で優しい王様』を想像して、描いてみてちょうだい」
リリアの言葉に子供たちはこくこくと頷き、思い思いに「優しくて立派な王様」の絵を描き始めた。
数日後。
アカデミーの講堂で「第一回・卒業制作発表会」が厳かに(そしてどこか珍妙な雰囲気で)執り行われた。
ゼノンは玉座から学生たちの「成果」を満足げに見守っている。
ヘーゲルの論文はあまりに難解で、ゼノンは最初の三行で聞くのをやめた。
マリーナの彫像は巨大で力強いが、それが本当に人間なのかどうかすら判別が難しい代物だった。
バルツァー領の若者たちは「先代領主の武勇」をテーマにしたという、奇妙な創作ダンスを披露した。
ゼノンはそれらの「成果」に悪くはないと思いつつも、何か物足りなさを感じていた。
自分の記憶の中の「偉大な父」の姿とはどこか違うのだ。
そして最後にリリアと孤児たちが、自分たちの作品をおずおずとゼノンの前に差し出した。
それは何枚もの、子供たちが描いた素朴な肖像画だった。
ゼノンはそれらの絵を一枚、一枚手に取った。
そして彼の動きがぴたりと止まった。
そこに描かれていたのは彼の記憶の中の父とは、全く似ても似つかぬ人物だった。
絵の中の「先代領主」は威圧的な表情ではなく、穏やかな笑みを浮かべている。
民に鞭を打つのではなく子供の頭を優しく撫でている。
宝石や金で飾り立てるのではなく、豊かな麦畑を背景に満足そうに佇んでいる。
それは子供たちがリリアの言葉を元に、一生懸命想像して描いた「優しくて立派な、理想の王様」の姿だった。
(……なんだ、これは……?)
ゼノンの胸がチクリと痛んだ。
(……父上はこんな顔はされなかった。父上はもっと厳しく……恐ろしいお方だったはずだ。それこそが『力』であり『偉大さ』なのだと、私は……)
その時、彼の脳裏にアイゼンミュラーの冷たい視線、コンラートの苦労した顔、そして目の前の子供たちの、一点の曇りもない純粋な瞳が同時に浮かんだ。
リリアがそっと口を開いた。
「子供たちは、ゼノン様が尊敬されるお父様の絵を一生懸命描きました。あの子たちにとって『偉大な領主様』のお父様とは、きっとこのように民を愛し優しく微笑んでくださるお方なのだと思います」
リリアの言葉はゼノンを責めるものではない。ただ子供たちの純粋な想いを代弁しただけだ。
しかしその悪意のない言葉が、ゼノンの心の最も固い部分を静かに、しかし確実に貫いた。
(……民を、愛す……?)
初めてゼノンの頭の中に父の教えとは全く異なる「領主のあり方」についての、明確な「問い」が生まれた。
父上のやり方だけが本当に唯一の「正解」だったのだろうか?
民から「こうあってほしい」と願われる姿と、父上が実際にそうであった姿。その間にあるあまりにも大きな隔たりに、彼はようやく気づき始めてしまったのかもしれない。
ゼノンは何も言わなかった。
ただ子供が描いた、穏やかに微笑む「父の肖像画」をじっと見つめている。
その表情はいつもの尊大さや、あるいは最近見せた混乱とも違う、誰も見たことのない何かを探し求めるような静かなものだった。
コンラートとリアムは主君のその沈黙に、「きっと亡き父君を偲び感動しておられるのだ」といつものように解釈した。
しかしエリオットだけはゼノンのその横顔に、これまでとは全く違うほんの微かな「変化の兆し」を確かに感じ取っていた。
ヴァルモン・スタイル・アカデミーの奇妙な「卒業制作」は、こうして領主ゼノンの心に小さく、しかし決して消えることのない一つの「問い」を残して幕を閉じたのだった。
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