第7話 最高のもてなし(のつもり)
王都からの監察官、エリオット・フォン・クラウゼンがヴァルモン領に滞在し始めてから、数日が過ぎた。
彼は精力的に領内を視察し、家臣や領民から話を聞き、そして何よりも不可解な存在である若き領主、ゼノン・ファン・ヴァルモンを注意深く観察していた。
しかし、観察すればするほど、エリオットの混乱は深まるばかりだった。
尊大で幼稚な言動を見せたかと思えば、その結果として領内が良い方向に向かっているように見える。
家臣は彼を「深謀遠慮の持ち主」と称え、領民は「厳しいが頼りになる」と語る。
(一体、このゼノンという少年は何者なのだ……? 私の報告書は、どう書けば良いというのだ……?)
エリオットは、自室で報告書の草案を前に、何度目か分からない溜息をついた。
一方、宰相のコンラートは、エリオットの存在に神経をすり減らしながらも、日々の業務に忙殺されていた。
監察官に帳簿の提出などを求められるたびに、先代が残した負債や、現在の苦しい財政状況が露見しないかと冷や汗をかく。
しかし同時に、(若様の偉大さを示す好機だ)とも考えており、エリオットに対しては常に丁寧に対応し、ゼノンの「功績」(とコンラートが信じているもの)をさりげなくアピールすることも忘れなかった。
リアムは、監察官の滞在中も変わらず、ゼノンへの忠誠心に燃え、日々(勘違いの)職務に励んでいた。
そんな中、当のゼノンはと言えば、エリオットの存在を少々鬱陶しく感じ始めていた。
(あの監察官、まだ居座っているのか。父上ならば、とっくに追い払うか、あるいは完全に手なずけていただろうに……。私のやり方が甘いのか?)
ゼノンは、父の偉大さを思い返し、自分の未熟さを痛感する。
(そうだ。父上は客人の『もてなし』にも抜かりがなかった。特に、王都からの役人など、重要な人物に対しては最高の『もてなし』をしていたはずだ。それが足りなかったのだ!)
ゼノンは、父に倣った「究極のもてなし」で、エリオットを懐柔する(あるいは、その気にさせる)ことを決意した。
「コンラート!」
ゼノンは宰相を呼びつける。
「あの監察官をもてなすぞ! 父上がそうされていたように、最高の食事を用意させよ! 領内で一番腕の良い料理人を呼ぶのだ!」
コンラートは、ゼノンの言葉に少し驚いた。
普段、食事に関しては質素(というより無頓着)なゼノンが、自らもてなしを口にするとは珍しい。
(おお……若様は、監察官殿に対して、そこまで気を遣っておられたのか。外交儀礼として、当然のことではあるが……感服いたす)
コンラートは、ゼノンの(と彼が解釈した)細やかな配慮に感心しつつ、すぐに料理人の手配に取り掛かった。
彼が「領内で一番腕が良い」として推薦したのは、城下町の片隅で小さな食堂を営む、老婆の料理人だった。
派手さはないが、地元の食材を使い、滋味深く、心温まる料理を作ることで評判の人物だ。
(若様のことだ、きっと華美な贅沢ではなく、真心のこもった料理こそが最高のもてなしだとお考えなのだろう)
コンラートは、またしても完璧な(勘違い)解釈を下していた。
その夜。
エリオットは、ゼノン主催の晩餐に招かれた。
彼は、先日の石ころ事件もあり、今度はどんな奇行が飛び出すのかと身構えていた。
しかし、テーブルに並べられたのは、予想に反して非常に素朴な料理だった。
見た目は地味だが、どれも丁寧に作られており、口にすると、滋味深い味わいが広がった。
特に、季節の野菜を使ったスープは絶品だった。
「どうだ、監察官殿。これが我がヴァルモン領、最高の料理だ。存分に味わうが良い」
ゼノンは、胸を張って料理を勧める。
内心では(これが父上の言っていた『最高』の味なのか……? もっとこう、脂っこくて、香辛料が効いているものかと思っていたが……)と疑問符が飛び交っていたが、領主に選ばれた料理人が作ったのだから、これが正解なのだろう、と思い込むことにした。
エリオットは、素朴ながらも心のこもった料理に、素直に感銘を受けていた。
(素晴らしい……。派手な宮廷料理とは違うが、素材の味が生きており、作り手の温かみが伝わってくるようだ。このような食事を常日頃から……いや、客人にさえ出すとは。この若き領主は、見かけによらず質実剛健な精神の持ち主なのかもしれないな)
エリオットは、ゼノンに対する評価を、また少し修正する必要性を感じた。
食事の後、ゼノンはさらなる「もてなし」を計画していた。
父が夜な夜な、腹心や有力者たちと「密談」をしていたことを思い出したのだ。
(父上は、重要な客人を自室に招き、酒を酌み交わしながら、国の未来について熱く語り合っていた……はずだ。よし、私も監察官殿と『語り合う』としよう!)
父の密談が、実際には悪巧みや下世話な噂話、賭博などが中心だったことなど、純粋(?)なゼノンは知らない。
「監察官殿。今宵は特別だ。私の部屋で、二人きりで『語り合う』時間を与えよう。ついて参れ」
夜も更けた頃、ゼノンはエリオットを自室へと誘った。
(二人きりで……? 何を企んでいる? 脅しか、買収か、それとも何か秘密を打ち明けようとでもいうのか?)
エリオットは最大限に警戒しながら、ゼノンの後に続いた。
質素な領主の自室に通され、粗末な椅子に腰かけるよう促される。
しかし、ゼノンが語り始めたのは、エリオットの予想とは全く異なる内容だった。
「我がヴァルモン家はな、古来より武勇に優れた家系での……曽祖父の代には、隣国の侵攻を単騎で食い止めたという伝説もあるのだ!」
(父上がよく自慢していた話だ。少し盛っているかもしれんが)
「私が領主になってからというもの、領内の治安は劇的に改善し、商業も活性化しつつある! これも全て、私の指導の賜物よ!」
(コンラートやリアムがそう言っていたから間違いない)
「ところで監察官殿、監察官というのは、王都でどれほどの『力』を持っているのだ? 父上はよく『王都の連中は力で黙らせるに限る』と言っていたが……」
(父上は具体的にどうやったのだろう? やはり金か?)
ゼノンは、自分が知っている限りの「父上の偉大さ」や、自分の「素晴らしい統治」について、一方的に語り続けた。
時折、エリオットに的外れな質問を投げかけるが、答えを待たずにまた自分の話に戻ってしまう。
エリオットは、最初は警戒していたが、次第に拍子抜けし、そして最終的には呆れに近い感情を抱いていた。
(……この若者は、本当に何も考えていないのではないか? ただ、父の受け売りと、自分の手柄話(それも部下の報告を鵜呑みにしただけのような)を自慢したいだけなのか? これが、あの家臣たちが『深謀遠慮』と称える領主の姿……?)
理解不能だった。
悪意は感じられない。
しかし、領主としての知性や思慮深さも感じられない。
だが、現実に領地は少しずつ良くなっているように見える。
(あるいは……この純粋さ、この無知さこそが、逆に家臣たちの忠誠心を引き出し、領地を良い方向へ導いているというのか……? そんな馬鹿な……)
エリオットの混乱は、極限に達していた。
結局、その夜の「密談」は何の成果もなく(ゼノンにとっては「語り合ってやった」という満足感があったが)、エリオットは疲れ果てて自室に戻った。
コンラートとリアムは、ゼノンが夜遅くまでエリオットと「語り合っていた」ことを知り、大いに満足していた。
「若様は、監察官殿との親交を深められ、ヴァルモン領の未来について熱く語り合われたのだろう」
「きっと監察官殿も、若様のお人柄と、そのお考えの深さに感銘を受けられたに違いない!」
二人の主君への信頼度は、またしても上昇した。
エリオットは、眠れぬ夜を過ごした。
ゼノン・ファン・ヴァルモン。
悪徳領主の息子か、稀代の名君か、それともただの幸運な道化か。
どの仮説も、しっくりこない。
(こうなれば……もっと長期間、腰を据えて観察するしかないか)
彼は、この奇妙で不可解な領主の真実を見極めるまで、ヴァルモン領を離れるわけにはいかないと、固く決意するのだった。
一方のゼノンは、自分の完璧な「もてなし」に大満足で、その夜はぐっすりと眠った。