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第65話 「天啓」は畑から?~アカデミー農園の設立~

 ヴァルモン・スタイル・アカデミーが開校し、講堂では連日難解な哲学議論が繰り広げられ、中庭ではリリアとルドルフが主導する「課外活動」で子供たちのささやかな才能が芽吹き始めていた。

 一見するとゼノンの「天啓」によってヴァルモン領に新たな「知」と「技」の文化が花開きつつあるかのように見える。

 しかしその裏で監察官エリオットは、城の財政帳簿を前に一人静かに頭を抱えていた。


(……やはり、赤字だ)


 アカデミーの改修費用はルドルフの「天啓リサイクル」のおかげで、予想よりは安く済んだ。

 しかし集まった「学生」や「教員(?)」たちの食費や滞在費、そしてゼノンが「研究のためだ!」と気前よく許可する奇妙な芸術活動のための雑費……。

 それらは塵も積もれば山となり、ただでさえ厳しいヴァルモン領の財政をじわじわと圧迫し始めていた。

 何よりあのアカデミーは、今のところ一銭の利益も生み出していない。


(このままではいずれ破綻する。領主閣下はご自身の『天啓』が金銭という俗なものの上に成り立っていることなど、お考えにもならないだろう。何か手を打たねば……)


 エリオットは数日間思案を巡らせた。

 そして一つの妙案を思いつく。

 それはアカデミーの財政問題を解決しつつ、同時に彼が本来進めたかった領地改革をさらに一歩前進させるための一石二鳥の策だった。

 彼はまず宰相コンラートに話を通し、共にゼノンの元へと向かった。


「ゼノン様。先日来アカデミーの講義を拝聴しておりますが、まことに素晴らしい内容でございます。ヘーゲル殿の哲学、マリーナ殿の芸術論、そして何よりゼノン様ご自身の深遠なる『天啓』……。その知の探求には感服するばかりです」


 エリオットはまず心にもないお世辞で(しかし表情は真剣そのもので)ゼノンを持ち上げた。

 ゼノンはもちろん気を良くする。


「うむ。エリオットよ、貴様もようやく我がアカデミーの真の価値が分かってきたようだな」

「はっ。つきましてはゼノン様、一つご提案がございます」


 エリオットは本題を切り出した。


「アカデミーでの『理論』の探求は今や極まりつつあります。しかし真の哲学とはただ机上で語られるだけでなく、大地に根差し実践を通じてこそ完成するものではないでしょうか?」

「ほう? 実践、だと?」

「はい。例えば『無限の可能性』というテーマ。これを一本の種を大地に蒔き、それが芽吹き成長し、やがて豊かな実りとなる過程を、学生たちが自らの手で体験することでより深く理解できるのでは、と」


 エリオットの言葉は滑らかだった。


「つきましてはアカデミーの裏手にある休耕地を切り開き、『アカデミー農園』を設立することをご提案いたします。学生たちが自ら土を耕し作物を育てる。それにより彼らは『天啓』を、まさに大地から学ぶのです!」


 その言葉にゼノンの目がカッと見開かれた。

 アカデミー農園……! 天啓を大地から学ぶ……!

 なんと素晴らしい響きだろうか!


(そうだ! 父上もよく仰っていたではないか! 『真の力は大地にあり! 食えぬ者に国は治められん!』と! 学生どもに高尚な哲学だけでなく土いじりの尊さをも教える! これぞ文武両道ならぬ『文農両道』! 私の統治はまた一つ、新たなステージへと進化するのだ!)


「……エリオット! 貴様、実に素晴らしいことを言うではないか! その提案、採用だ!」


 ゼノンはエリオットの提案を、またしても自分の「天啓」の延長線上にあるものだと完璧に勘違いし、大喜びで許可を出した。


「よしコンラート! すぐに手配せよ! アカデミー農園を設立し、学生どもに我が『天啓農業』の神髄を学ばせるのだ!」

「ははーっ! かしこまりました! 哲学と農業の融合! これぞゼノン様ならではの深遠なる教育方針にございます!」


 コンラートはアカデミーの食費が少しでも浮くかもしれないという現実的な期待と、領主様の素晴らしいご英断への感動で力強く応えた。

 リアムは「おお! ついに知勇兼備ならぬ知農兼備の、最強の哲学者軍団が生まれるのですね!」と一人興奮していた。


 早速「アカデミー農園」計画は実行に移された。

 アカデミー裏の広大な休耕地が新たな「学びの場」として選定された。

 そして学生たちはアカデミーでの講義の一環として、農作業に従事することを命じられた。

 しかしその結果は、エリオットの予想通り、そしてある意味で予想以上に混沌としたものだった。


 哲学者のヘーゲルは鍬を手に「この鍬が土を耕すのか。あるいは土がこの鍬の存在を規定するのか……」などと哲学的な問いに悩み始め、全く仕事にならない。

 彫刻家のマリーナは「畑の畝はもっとこう、躍動感のあるアシンメトリーな曲線でなければ!」と主張し、農地を奇妙な芸術作品に変えようとする。

 バルツァー領の若者たちは「土汚れは最新の流行ではない」と言い、木陰で優雅にお茶を飲んでいる。


 もちろんそんな彼らだけで広大な農園が耕せるはずもなかった。

 しかしそれもエリオットの計算の内である。

 彼はコンラートと協力し、「学生たちの『哲学的指導』の下、領民たちが『実践』を学ぶ」という名目で、以前の農業改革で意欲を見せた農民たちを指導役兼、実質的な労働力として雇い入れたのだ。

 さらに孤児院の子供たちも「課外活動」の一環として、畑での簡単な手伝い(草むしりや水やりなど)に参加し、生き生きと働いている。


 結果としてアカデミー農園は、変わり者の学生たちが奇妙な言動を繰り返す傍らで、有能な農民たちと元気な子供たちによって着実に開墾されていった。

 そしてこの農園はヴァルモン領の新しい農法や作物を試すための、絶好の「大規模実験農場」として機能し始めることになる。


 ゼノンは時折その様子を視察に訪れては「うむ! 哲学と農業の見事な融合よ! 学生たちの表情も真理に近づき、輝いておるわ!」と大いに満足するのだった。

 彼には学生たちが全く働いておらず、その周りで農民たちが必死に汗を流している現実は見えていない)。


 こうしてヴァルモン・スタイル・アカデミーは、また一つ新たな「実践教育」の場を手に入れた。

 その畑から一体どんな「天啓」が芽吹くのか。

 それは実りの秋になってみなければ分からない。

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