第64話 意外な才能の開花?
ヴァルモン・スタイル・アカデミーが開校してから数日が過ぎた。
その「講義」は領主ゼノンの初回講義を皮切りに、自称「哲学者」ヘーゲルによる「無の価値とその実存的応用」や、前衛彫刻家マリーナによる「未完成こそが究極の様式美である理由」といった、極めて難解で実生活の役には全く立たないテーマで連日繰り広げられていた。
集まった変わり者の「学生」たちはそれを真剣な顔で聞き、さらに意味不明な議論を戦わせて奇妙な熱気に包まれている。
しかし講堂の後方でその様子をじっと聞かされている「聴講生」の孤児たちにとっては、それは退屈極まりない苦痛の時間でしかなかった。
最初は珍しい場所にいられるだけで楽しかった子供たちも、さすがに連日の抽象的な話には飽き飽きしていた。
居眠りをする子、こっそり隣の子とふざけ合う子、ただただぼんやりと窓の外を眺める子……。
そんな子供たちの様子に付き添っていたリリアは心を痛めていた。
(せっかく領主様が学ぶ機会を与えてくださったのに……。これではあの子たちのためにならないわ。それに領主様のご期待を裏切ることにもなってしまうかもしれない……)
リリアは何か良い方法はないかと考えた。
高尚な哲学は分からなくても、子供たちが何かを手で作り出す喜びや技術を学ぶ楽しさを知ることができれば、それはきっと将来の役に立つはずだ。
意を決したリリアはアカデミーの「芸術顧問」であるルドルフのもとを訪れた。
ルドルフはアカデミーでは特に役割もなく(ゼノンに時折意味不明な質問をされる以外は)、工房で自分の石工の修行に打ち込んでいることが多かった。
「ルドルフ君、少し相談があるの」
「リリアさん、どうしたの?」
リリアはアカデミーでの子供たちの様子と自分の考えを正直にルドルフに打ち明けた。
講義についていけない子供たちのために、何か手仕事のような「課外活動」をさせてあげられないだろうかと。
「課外活動……ですか」
「ええ。ルドルフ君は石を削るのがとても上手でしょう? 例えば子供たちに安全な道具の使い方とか、簡単な木彫りのやり方とか教えてあげてはもらえないかしら? 材料はあの『天啓リサイクル』で出た木の端材とかを使えば……」
ルドルフはリリアの提案に少し驚いたが、すぐにその意図を理解した。
彼自身もあのアカデミーの非現実的な講義には疑問を感じていた。
そして何より同じ孤児院出身の彼にとって、子供たちの未来を案じるリリアの気持ちは痛いほどよく分かった。
「……うん。僕でよければ手伝うよ。僕も難しい哲学より土や石をいじっている方がずっと好きだから」
ルドルフははにかみながらも力強く頷いた。
二人は早速、宰相コンラートに話を通した。
コンラートは「アカデミーでの実践教育! 素晴らしい! ゼノン様もきっとお喜びになるだろう!」とまたしても(勘違いして)快諾し、ギルドの倉庫からリサイクル用の端材を自由に使う許可を与えてくれた。
こうしてアカデミーの講義が終わった後の中庭の一角で、リリアとルドルフによるささやかな「課外活動」が始まった。
ルドルフは子供たちに小刀の安全な使い方や木の端材を削って簡単な形を作る方法を、根気強く丁寧に教えた。
リリアは織物職人から譲ってもらった布の切れ端を使って、人形の服の作り方や簡単な刺繍の仕方を女の子たちに教えた。
最初はおっかなびっくりだった子供たちも、自分の手で何かが形になっていく喜びにすぐに夢中になった。
そしてその中から意外な才能の芽がいくつか顔を出し始めた。
以前ゼノンに「変な顔のお兄ちゃん」と言った少年トマは、驚くほどの集中力で木彫りの動物を次々と作り出した。その形はまだ不格好だが、どこか生き生きとした躍動感がある。
おとなしい少女アンナは色彩感覚に優れており、トマが作った木彫りに草木から作った染料で美しい色を塗っていった。
他の子供たちもそれぞれ粘土をこねて面白い形の器を作ったり、布を編んで丈夫な紐を作ったりと、目を輝かせながら創作活動に没頭した。
監察官エリオットはある日偶然その光景を目にした。
講堂では相変わらず難解な哲学議論が繰り広げられているが、そのすぐ隣の中庭では子供たちが目を輝かせながら「ものづくり」に励んでいる。
その光景はあまりにも対照的で、そしてエリオットの目にはひどく感動的に映った。
(……これだ。これこそが本当の『教育』であり『未来への投資』ではないか……)
彼はリリアとルドルフの自発的な行動に深く感心した。
そしてゼノンが作った「アカデミー」という奇妙で予算の無駄遣いとしか思えなかった「箱」が、図らずもこのような実践的な学びの「器」として機能し始めていることに、皮肉だが確かな手応えを感じていた。
彼は何も言わず、ただギルドからより多くの端材や質の良い粘土が孤児院の「課外活動」に回されるよう、そっと手配することにした。
ゼノンが提唱した「天啓」は、本人が全く意図しない場所で全く違う形で、しかし確かにヴァルモン領の子供たちの未来を照らす小さな温かい光を灯し始めていた。
もちろんその事実を当のゼノン自身が知るのは、まだ少し先のことになる。
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