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第63話 アカデミー開校!~最初の講義は「無限の可能性」~

 数週間後、ヴァルモン領の川沿いの森に、ついに「ヴァルモン・スタイル・アカデミー」の校舎が完成した。


 古い修道院の堅牢な石造りを活かしたその建物は、ルドルフの苦悩とギルドの職人たちの確かな技術、そして監察官エリオットの陰ながらの助言によって、どこか荘厳でありながら同時に奇妙な雰囲気を漂わせる唯一無二の学びの舎となっていた。

 実用的な構造の中になぜか左右非対称の玄関アーチや、壁に埋め込まれた磨かれた大理石の板など「ヴァルモン・スタイル」の痕跡が、申し訳程度にしかし確かに存在感を主張している。


 そして迎えた開校の日。

 アカデミーの最も大きな講堂には、その記念すべき第一期生となる風変わりな「学生」たちが集っていた。

 自称「放浪の哲学者」ヘーゲル、前衛彫刻家マリーナ、バルツァー領からの流行に敏感な若者たち、そしてただ面白そうだからという理由で参加したヴァルモン領の若者数名。

 彼らは期待と若干の不安が入り混じった表情でその瞬間を待っている。


 講堂の後方にはリリアに付き添われた孤児院の子供たちが「聴講生」として、緊張した面持ちで小さな椅子にちょこんと座っていた。

 彼らにとってここは初めて訪れる「学校」という場所だ。


 やがて講堂の扉が開き、領主ゼノン・ファン・ヴァルモンが宰相コンラート、騎士リアム、監察官エリオット、そして「芸術顧問」兼「アカデミー総監督(?)」のルドルフを伴い厳かに入場してきた。

 ゼノンは講堂の前に設けられた教壇に立つと、集まった学生たちを満足げに見渡し、そして深く咳払いをした。

 いよいよ「天啓の領主」による記念すべき第一回講義の始まりである。


「諸君、よくぞ集まった!」


 ゼノンの声が静まり返った講堂に響き渡る。


「本日、ここに我がヴァルモン・スタイル・アカデミーの開校を宣言する! このアカデミーはただ知識を学ぶ場ではない! 我が『天啓』に触れ、真の『哲学』と『芸術』の神髄を探究し、旧時代のくだらぬ価値観を打ち破る革命の拠点となるであろう!」


 ゼノンは父が演説する時のように大げさな身振りを交えながら、高らかに語り始めた。


「では最初の講義を始めよう。テーマは『無限の可能性について』だ!」


 彼はリアムに合図し、城門前に建てられた記念碑の巨大なスケッチを黒板代わりに掲げさせた。


「見よ、この柱を! なぜこの柱は偉大なのか? それはただの棒だからではない! この柱には何も刻まれておらぬ! この『無』こそがこれから私が、そして貴様らが描き出す無限の未来そのものを象徴しておるのだ!」

「おお……! 『無』こそが『無限』……!」


 最前列に座っていた哲学者ヘーゲルが感極まったように呟き、猛烈な勢いで羊皮紙にメモを取り始めた。


「そうだ! そして我が執務室の『多くを語らぬ威厳』! あの何もない空間こそが真の強者の精神を示す! さらに我が『至宝その2』に見られる『未完成の美』! 完璧ではないからこそそこには成長の余地、すなわち『可能性』が残されているのだ! そして『天啓リサイクル』! ガラクタから価値を生み出す破壊と再生の哲学! これら全てが『ヴァルモン・スタイル』なのである!」


 ゼノンの講義は、彼がこれまで勘違いしてきた「哲学」のキーワードを脈絡なくただ情熱的に繋ぎ合わせただけの支離滅裂なものだった。

 しかしそれを聞く学生たちの反応は様々だった。


 ヘーゲル:「なるほど! 存在と無、完成と未完成、破壊と再生! 全ては弁証法的に統合される! ゼノン閣下の哲学はまさしくヘラクレイトスの『万物は流転する』の思想を芸術的に昇華させたものだ!」

 マリーナ:「そうよ! 未完成こそが最高の完成形! 私の芸術は間違っていなかった!」

 バルツァーの若者:「なんだかよく分からないけど、すごいことを言っている気がする! これがヴァルモンの最先端か!」


 学生たちはゼノンの言葉をそれぞれの専門分野や興味に合わせて(勝手に)解釈し、やがて彼らの間で「いや、それは現象学的アプローチだ!」「いいや、構造主義的な視点から見れば…」などと、さらに難解で誰にも理解できない議論が始まってしまった。


 その後方に座る孤児たちはただただぽかんとしていた。

 一人の少年が隣の少年に小声で尋ねる。


「……なあ、棒がどうしたって?」

「さあ……? でも静かにしてないとリリア姉ちゃんに怒られるぞ……」


 彼らはとりあえずあくびを噛み殺し、背筋を伸ばして座っている練習をするしかなかった。


 コンラートとリアムはそんなカオスな状況を「なんと活発な議論だ!」「ゼノン様の講義が若き才能たちの知性をかくも刺激しているとは!」と、いつものように感動の面持ちで見守っている。

 ルドルフは自分の描いたシンプルな柱の絵が、なぜか「存在論」とか「構造主義」とかいう話に発展していることにもはや恐怖さえ感じていた。


 そして講堂の隅でエリオットは静かに、そして深く天を仰いだ。


 (……これがアカデミーの船出……。いや、これは船出というより難破か……? 国家予算を使って一体何が始まってしまったんだ……)


 彼の胃はまた一つ、新たな種類の痛みを覚え始めていた。

 領主ゼノンの「天啓」によって産声を上げたヴァルモン・スタイル・アカデミー。

 その前途には多くの波乱と、そしてさらなる勘違いが待ち受けていることだけは間違いなさそうだった。

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