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第6話 監察官がやってきた

 ヴァルモン領で起こりつつある変化の噂は、風に乗って王都アステルにも届いていた。


 悪名高き先代ヴァルモン卿の急死。

 そして、その後を継いだ若き息子による、予想外の統治。

 治安の改善、商業の回復の兆し……。

 にわかには信じがたい報告に、国王陛下の側近たちは眉をひそめていた。


「ヴァルモン領、か。あの悪徳領主の息子が、まともな政治をしているとは到底思えんが……」

「あるいは、父の死を好機と見た家臣団が実権を握り、改革を進めているのかもしれませんな」

「いずれにせよ、放置はできまい。一度、我々の目で直接確かめる必要がありましょう」


 評議の結果、一人の監察官がヴァルモン領へ派遣されることが決定した。

 表向きは、若き新領主ゼノンへの激励と、領内の状況確認。

 しかし、その真の目的は、ヴァルモン領の実態を探り、王国の安定にとって脅威とならないかを見極めることにあった。


 白羽の矢が立ったのは、エリオット・フォン・クラウゼンという若き文官だった。

 年は二十代半ばと若いが、非常に有能で頭脳明晰、そして何より公正さと強い正義感で知られる人物だ。


 彼は、いかなる不正も見逃さず、貴族であろうと容赦なく断罪することで、一部からは煙たがられながらも、国王からの信頼は厚かった。

 エリオットは、ヴァルモン領に関する過去の報告書を読み込み、強い警戒心と疑念を抱きながら、王都を発った。


「王都より、監察官様がご到着なされました!」


 その報せは、ヴァルモン城に緊張をもたらした。

 コンラートは、胃を押さえながらも気を引き締める。


(王都からの監察官……! これは、ゼノン様の素晴らしい統治を、中央にお披露目する絶好の機会! 決して粗相があってはならぬ)


 リアムも、やや緊張した面持ちで控えている。


(監察官殿に、ゼノン様の偉大さをしっかりと見ていただかねば!)


 一方、監察官来訪の報を受けたゼノンは、あからさまに顔をしかめた。


「ちっ……面倒な奴が来たものだ」


 王都からの役人。

 父も、こういう役人の相手には苦労していたのを覚えている。


(父上なら、こういう時どうしたかな……? ああ、そうだ!)


 ゼノンの脳裏に、父が悪どい笑みを浮かべて金貨の袋を受け取る(あるいは渡す)姿が蘇った。


(賄賂だ! 父上はいつも、面倒な役人は金で黙らせていた! よし、私もそうしよう!)


 ゼノンは、父の「高等な政治手腕」を真似る決意を固めた。


 監察官エリオットは、ヴァルモン城の広間で、新領主ゼノンと対面した。

 想像していたよりもずっと若い。

 しかし、その態度は妙に尊大で、どこか芝居がかっているようにも見える。


(これが、あの悪徳領主の息子か……。見た目だけは一丁前だが、果たして……)


 エリオットは、鋭い観察眼でゼノンを見定める。


「遠路ご苦労であったな、監察官殿。私がこのヴァルモン領の領主、ゼノン・ファン・ヴァルモンである」


 ゼノンは、父の口調を真似て挨拶する。

 コンラートとリアムは、その堂々たる(と彼らには見える)態度に、心の中で喝采を送っていた。


 歓迎の宴が設けられた。

 質素だが心のこもった(とコンラートが指示した)料理が並ぶ。


 ゼノンは、この宴の席こそが「賄賂」を渡す絶好の機会だと考えていた。

 問題は、何を、どうやって渡すかだ。

 父は金貨の袋を使っていたが、今のヴァルモン領の金庫にそんなものはない。


(ううむ……。父上なら、こういう時どう切り抜けたのだ……? そうだ、確か父上は『誠意を見せろ』とか言っていたな。『誠意』……つまり、心のこもった贈り物か?)


 ゼノンは、宴の途中でやおら立ち上がると、エリオットに近づいた。

 そして、懐から何かを取り出す。

 それは、先日、領内の視察(という名の父の真似)の際に見つけた、奇妙な形をした光る石ころだった。

 ゼノンはそれを「珍しいものだ」と気に入り、こっそり持ち帰っていたのだ。


「監察官殿。これは、我が領地で採れた『誠意』の印だ。受け取られるが良い」


 ゼノンは、その石ころを、威厳たっぷりに(しかしどこか不器用に)エリオットに差し出した。


「……はあ?」


 エリオットは、目の前に差し出された石ころと、ゼノンの真剣な(ように見える)顔を交互に見て、完全に困惑した。


(なんだこれは? 石……? これが賄賂だとでも? まさか……。いや、この若さ、この態度……あるいは、本当にこれが彼なりの『誠意』なのか? 地方貴族の、素朴なもてなし……ということか? それとも、何か別の意味が……? 私の清廉さを試している、とか?)


 エリオットは、ゼノンの意図を測りかね、混乱した。

 賄賂にしてはあまりにも稚拙で、的外れだ。

 しかし、その真っ直ぐな(ように見える)瞳を見ると、悪意があるようにも思えない。


「……ご厚意、痛み入ります。ですが、職務中に個人的な贈り物は受け取れませんので」


 エリオットは、丁重に、しかしきっぱりと断った。


 ゼノンは内心で焦った。


(なっ……!? 受け取らぬだと? 私の『誠意』が足りなかったのか? それとも、もっと高価なものでないとダメなのか? くっ……父上なら、どうやって……)


 賄賂作戦の失敗に、ゼノンは軽くパニックになる。


 コンラートとリアムは、そのやり取りをハラハラしながら見守っていたが、エリオットが断ったのを見て、別の解釈をした。


(おお……若様は、あえて監察官殿の清廉さを試されたのだな! そして監察官殿も見事にそれに応えられた! なんと高尚なやり取りだ!)


 二人は、主君と監察官の「腹の探り合い」に感心しきりだった。


 翌日。

 エリオットは領内の視察を開始した。

 彼は、報告書にあったような荒廃した領地を想像していた。

 しかし、実際に目にした光景は、彼の予想を裏切るものだった。

 街道は、完璧ではないものの、以前の報告書にあったような酷い状態ではなく、最低限の整備がされている。

 街道沿いの宿場町には、少ないながらも活気が戻りつつあり、商人たちの姿も見える。

 そして何より、領民たちの表情に、絶望の色だけではなく、微かな希望のようなものが感じられるのだ。


(これは……どういうことだ? 報告とまるで違う……)


 視察中、エリオットはコンラートやリアムから、ゼノンの「深謀遠慮」に満ちた統治について、熱っぽく語られた。


「若様は、一見厳しいお言葉を発せられますが、その実、常に領民のことを第一に考えておられます」

「若様の深遠なるお考えには、我々家臣も常に驚かされております!」


 彼らの語るゼノン像は、エリオットが事前に持っていた「悪徳領主の息子」のイメージとはかけ離れていた。


 さらに、偶然立ち寄ったパン屋で、店主のリリアからも話を聞く機会があった。


「新しい領主様ですか? とっても怖いですけど……でも、騎士様が盗賊を退治してくれたり、畑仕事を手伝ってくれたり……きっと、本当は優しいお方なんだと思います!」


 純粋な瞳で語る少女の言葉に、エリオットはますます混乱した。


(悪徳領主の息子が、なぜ領民から慕われている? 家臣も心酔しているように見える。領地も、僅かだが改善の兆しがある……。一体、何が起こっているのだ? 私の知らない、何か特別な事情があるのか? それとも……このゼノン・ファン・ヴァルモンという少年は、本当に稀有な才能を持った、類稀なる領主なのだろうか……?)


 エリオットは、短い視察期間では結論を出すことができなかった。

 彼は、ひとまず王都には「ヴァルモン領は、新領主の下で安定を取り戻しつつある。詳細は、追って報告する」という当たり障りのない報告書を送ることに決めた。

 そして、この不可解な若き領主と、その領地の実態をさらに詳しく調査するため、しばらくヴァルモン領に滞在することを申し出たのだった。


 その決定を聞いたゼノンは、ほっと胸を撫で下ろした。


(ふう……やはり私の『誠意』(石ころ)が効いたようだな。これで王都への報告も良いものになるだろう。実に簡単だ!)


 彼は、自分の賄賂作戦が成功したと、完全に勘違いしていた。


 コンラートとリアムは、監察官の滞在延長を、ゼノンの偉大さの証明だと受け取った。


「監察官殿も、若様の素晴らしい統治をもっと学びたいと思われたのだろう!」

「さすがはゼノン様!」


 二人は、ますます主君への尊敬の念を深めるのだった。


 こうして、堅物の監察官エリオットは、勘違いが渦巻くヴァルモン領に、しばらく腰を据えることになった。

 彼の存在は、この奇妙な領地に、新たな波乱を呼び込むことになるのかもしれない……。

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稀有な才能を持った、類稀なる臣下達。
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