第55話 ルドルフと「天啓リサイクル」の奇跡
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンが発布した「ヴァルモン領・質素倹約令」(ただし領主の贅沢は除く)は、ヴァルモン城内に静かな、しかし確実な混乱と機能不全をもたらしていた。
夜の廊下は、まるで肝試し会場のように薄暗く、役人たちは羊皮紙の切れ端に米粒のような文字を書き連ね、厨房では料理長が領主の豪華な食事とそれ以外の者の質素すぎる食事との間で、日々良心の呵責と戦っている。
もちろん備品の根本的な不足は何一つ解決されていなかった。
「……これでは、仕事になりませんな」
「灯油がこれでは夜の警備もままならぬ」
「この羊皮紙の切れ端では報告書の半分も書けませぬぞ……」
家臣たちの間からは隠し切れない不満の声が漏れ始めていた。
宰相コンラートはその状況に頭を抱えつつも、領主ゼノンに「やはり、もう少し予算を……」などとは、とても言い出せないでいた。
一度「天啓」を得て発布されたご命令を簡単に覆すわけにはいかないのだ。
そんな中、この奇妙な「質素倹約令」の思わぬ余波を最も直接的に受けていた人物の一人が、若き「宮廷芸術家(?)」ルドルフであった。
彼がゼノンから次に命じられるかもしれない「ヴァルモン・スタイル」の新たなオブジェや、あるいは執務室のさらなる「改良」のために石材や木材を確保しようとしても、倉庫番からは「倹約令が出ておりますので、新しい素材の搬出は領主様の特別な許可がない限り……」と、にべもなく断られる始末。
練習用の石の欠片すら自由に使えない状況だった。
(どうしよう……。これじゃあ領主様に何かを命じられても何も作れない……。それにギルドの皆も材料が足りなくて困っているみたいだ……)
ルドルフは工房の隅で途方に暮れていた。
彼の視線の先には、以前ゼノンの執務室改装の際に運び込まれたものの結局使われなかった石材の端材や、あるいは城の倉庫の奥に打ち捨てられていた先代の時代に作られた悪趣味で巨大な(そして、今はところどころ欠けている)大理石の彫像などが、埃をかぶって転がっている。
(……あれは先代様が作らせたっていう趣味の悪い置物……。誰も見向きもしないで邪魔者扱いされてるという……)
ふとルドルフの脳裏に監察官エリオットの言葉が蘇った。
以前オブジェのデザインに悩んでいた時、「未完成のように見せる」「シンプルな直線を取り入れる」といった助言をくれたあの時の言葉だ。
そして記念碑の「未来への可能性」、執務室の「多くを語らぬ威厳」、それらは全て領主ゼノンが「素晴らしい!」と絶賛したものだ。
(もしかしたら……。この誰もいらないって思ってるガラクタも……領主様の言う『ヴァルモン・スタイル』にすれば何かになるのかもしれない……?)
ルドルフはおそるおそる打ち捨てられていた彫像の欠片を手に取った。
それは磨けば美しい光沢を放ちそうな上質な大理石だった。
彼はその欠片を新しい鑿と槌で丁寧に、そしてシンプルに削り始めた。
余計な装飾はせず、ただ石が持つ本来の形と質感を活かすように。
そして仕上げにあの記念碑のような真っ直ぐな一本の線をそっと刻み込んでみた。
出来上がったのは手のひらサイズの美しい文鎮のようなものだった。
彼は他にも壊れた家具の木材を再利用してシンプルなペン立てを作ったり、錆びた金属の飾りを磨き直して素朴な燭台に作り替えたりした。
それらは全て高価な素材を使っているわけではないが、ルドルフの丁寧な手仕事と「ヴァルモン・スタイル(と彼が解釈したもの)」の精神が込められていた。
数日後。
領主ゼノンがいつものように「領内の視察(という名の城内散策)」をしていると、偶然ルドルフが工房の隅でそれらの「リサイクル作品」を並べているのを目にした。
「む? ルドルフではないか。そこでまた何か新しい『芸術』を生み出しておるのか?」
ゼノンは興味深そうに近づいてきた。
ルドルフはびくりとして立ち上がり、慌てて作品を隠そうとした。
「い、いえ、これは、その……ただの、ガラクタの再利用で……」
「ガラクタだと?」
ゼノンはルドルフが作った文鎮やペン立て、燭台を手に取り、まじまじと眺めた。
それらは確かに派手さはない。
金も宝石も使われていない。
しかし、そこにはあの執務室や記念碑に通じるある種の「静謐さ」と「力強さ」、そして「無限の可能性(と彼には見えた)」が感じられた。
特に素材の良さを活かしたシンプルな造形と、そこに刻まれた一本の直線が彼の「天啓」を強く刺激した。
(……そうだ! これだ! これこそ我が『質素倹約令』の精神、『ヴァルモン・スタイル』が高次元で融合した新たなる芸術形態ではないか!)
ゼノンの脳内でまたしても壮大な勘違いの火花が散った。
「ルドルフよ! 貴様またしても私の期待を超えてきたな! 素晴らしい! 実に素晴らしいぞ!」
「え……? す、素晴らしい、のですか……? こんなガラクタから作ったものが……?」
ルドルフは信じられないといった表情でゼノンを見上げた。
「ガラクタではない! これはまさに『天啓リサイクル』とでも言うべ、崇高な芸術活動だ! 打ち捨てられたものに新たな命と価値を吹き込む! そしてそこには我がヴァルモン・スタイルの精神が見事に息づいておる! 父上が常々仰っていた『物を大切にせよ。無駄なものなど何一つない』という深遠なる教えの実践でもあるな!」
(彼の父は、どちらかというと「気に入らなければ捨てろ。新しいものを買えば良い」というタイプだったが、ゼノンは都合よく記憶を改竄している)
ゼノンは、ルドルフのささやかなリサイクル活動を壮大な芸術運動であり、父の教えの実践であると完璧に誤解し、絶賛した。
「よし! この『天啓リサイクル』、我がヴァルモン領の新たな方針とする! ルドルフ、貴様は、このリサイクルアートの第一人者として他の職人どもにもその技術と精神を広めるのだ! 城内の備品不足など、この『天啓リサイクル』で全て解決してみせよ!」
「ええええっ!? ぼ、僕が、またですかぁ!?」
ルドルフの悲鳴に近い声が工房に響き渡った。
しかしその声は、ゼノンのご満悦な笑い声と、駆けつけたリアムの「さすがはゼノン様! ルドルフ君の隠れた才能をまたも見抜かれた!」という称賛の声にかき消された。
この話を聞いたコンラートは、(若様は、質素倹約令の本質を、このような形で示されたのか! 資源の有効活用と新たな価値創造! なんと深遠な……!)と感涙し、エリオットは、(……まあ、結果的に、備品不足が多少なりとも解消され、ゴミが減るなら、それで良いか……。もはや、何でもありだな、この領地は……)と、遠い目をしながら報告書に新たな項目を書き加えるのだった。
こうしてヴァルモン領の「質素倹約令」は、ルドルフの「天啓リサイクル」という、予想外の――そして、やはり勘違いに満ちた――形で、新たな局面を迎えることになった。
城内のガラクタが次々と奇妙な「芸術作品(兼・実用品?)」へと姿を変えていく日々が始まろうとしていた。