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第52話 そしてヴァルモン領は今日も(だいたい)平和です

 領主ゼノン・ファン・ヴァルモン直々の――そして、極めて迷惑な――ご命令により、「ヴァルモン・スタイル教本編纂総監督」という、身に余るというか、意味不明な大役を仰せつかった石工見習いのルドルフ少年。


 彼の苦悩の日々は、監察官エリオットの献身的な、そして胃の痛むようなサポートによって、なんとか形になりつつあった。


 エリオットはルドルフと共に、連日ギルドの片隅で「教本」の編纂作業に没頭した。

 その内容は、もちろんゼノンの言う「無限の可能性」やら「未完成の美」やら「多くを語らぬ威厳」といった抽象的で支離滅裂なキーワードをいかに当たり障りなく、かつそれっぽく見せるかという一点に集約されていた。


「ルドルフ君、ここの『領主様の天啓に満ちた眼差し』という表現は、もう少し『内なる輝きを見据える洞察』くらいに抑えておこう。具体的すぎるとかえって誤解を招く」

「は、はいエリオット様……」

「それから記念碑の項だが、『ただの棒に見えるかもしれないが、そこには宇宙の真理が…』というくだりはさすがに削除だ。代わりに、『究極のシンプルさこそが、万物の本質へと繋がる道を示す』くらいにしておこうか……」


 エリオットは、ルドルフが半ばパニック状態で書き連ねるゼノンの哲学ポエムの断片や、奇妙なデザイン画を冷静に、しかし必死で「解読」し、「無害化」してそして「それっぽく」編集していく。

 ルドルフも、エリオットの的確な――そして、自分を破滅から救ってくれる――指示に、涙ながらに従った。


 数週間後。

 ついに「ヴァルモン・スタイル教本 ~天啓の領主ゼノン閣下の深遠なる芸術哲学への誘い~」と名付けられた一冊の羊皮紙の束が完成した。

 その中身は、美しいカリグラフィで書かれた当たり障りのない美辞麗句と、ルドルフが描いたシンプルな幾何学模様(エリオットが「これなら、どんな深遠な意味も後付けできる」と判断したもの)の挿絵で構成された、読む者によっては「高尚な芸術論」にも「ただのポエム集」にも「何かの間違い」にも見える、実に不思議な書物となっていた。


 ゼノンは完成した教本を手に取り、一ページ一ページ満足げに――そして、おそらく一行も理解せずに――眺めた。


「うむ! 素晴らしい! 実に素晴らしい出来栄えだ。ルドルフよ、エリオットよ!」

 特に随所に散りばめられた「ゼノン閣下の天啓」「無限の可能性」「父祖より受け継がれしヴァルモン家の精神」といった、彼自身が過去に口走った(そして忘れていた)言葉の数々が、格調高く記されていることに彼はいたく感動した。


「これぞ我が『ヴァルモン・スタイル』の集大成! この教本があれば、我が領の崇高な文化は永遠に語り継がれるであろう! そして、いずれは世界がこの教本を手に、真の芸術とは何かを学ぶ日が来るのだ!」


 ゼノンは、自分の文化的大勝利を確信し、高らかに宣言した。

 コンラートとリアムはその言葉に深く頷き、主君の偉大さに改めて心酔していた。


 この「ヴァルモン・スタイル教本」は、早速バルツァー領からの使者クラウスの元へと、丁重に届けられた。

 クラウスは教本を手にすると、その難解な言葉とシンプルな図形に、ますます「ヴァルモン・スタイル」への興味と尊敬の念を深めた。


「おお! これぞまさに私が求めていたもの! この深遠さ、この奥ゆかしさ! ヴァルモン領主閣下の天才性、恐るべし!」


 彼は教本を至宝として本国へ持ち帰り、バルツァー領の芸術家たち――主に、流行に敏感な若い貴族たち――の間で、その「解読」と「実践」が一大ブームとなった。

 結果バルツァー領では、しばらくの間「未完成の美」を追求した結果、ただ作りかけにしか見えない彫刻や、「多くを語らぬ威厳」を目指した結果、ただのっぺりとした壁画などが次々と生み出されるという、奇妙な「芸術ルネサンス」が花開くことになる。

 もちろん、その珍妙な流行がヴァルモン領に何らかの利益をもたらすことは、今のところなさそうだった。


 エリオットはその噂を遠い目で聞きながら、ただ自分の胃がこれ以上悪くならないことだけを祈った。


 (……まあ、少なくともルドルフ君が文化大使として他国で恥をかく事態は避けられた。それだけでも良しとしなければ……)


 こうして、ヴァルモン領はまた一つ、大きな――そして、実にくだらない――騒動を乗り越えた。

 領主ゼノンは、自分の「天啓」と「文化指導力」にますます自信を深めている。

 ギルドは領主の無茶振りから一時的に解放され、地道な製品開発と技術向上に励んでいる。

 農業も順調で、孤児院の子供たちは元気に育ち、城の倉庫には十分な備蓄穀物がある。

 城門前の石柱は、今日も変わらず未来への希望を象徴して、ただ真っ直ぐに空を目指している。


 そう、ヴァルモン領は今日もだいたい平和である。


 領主の勘違いと家臣たちの超絶解釈と一人の監察官の胃痛、そして多くの人々の善意と努力によって、この奇妙な領地はゆっくりと、しかし確実にその日常を紡いでいく。

 次にどんな「天啓」がゼノンに舞い降り周囲を振り回すのか、それはまた少し先のお話……。


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