第51話 ヴァルモン・スタイル、国境を越える
隣領バルツァーの若き貴族クラウスが、ヴァルモン領の「最新文化」にいたく感銘を受け「ヴァルモン・スタイル概念図」を手に意気揚々と帰国してから数日。
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンは、これ以上ないほど上機嫌であった。
「ふははは! 見たか、コンラートよ、リアムよ! 我が『ヴァルモン・スタイル』の崇高さ、そして私の『天啓』は、ついに国境を越え他領の者たちの心をも捉え始めたのだ! これぞ文化による支配! 父上もきっとお喜びであろう!」
ゼノンは執務室で高らかに宣言した。
彼の頭の中では、既にヴァルモン・スタイルが大陸全土を席巻し、全ての芸術家が彼の「哲学」にひれ伏す光景が広がっている。
「まことにゼノン様のご慧眼、そしてそのお示しになられた『ヴァルモン・スタイル』の素晴らしさ、恐れ入るばかりでございます!」
「はい! クラウス殿も、ゼノン様の深遠なるお考えに心の底から感服しておられました! これぞ真の文化交流にございます!」
コンラートとリアムはいつものように主君を称賛し、その場の雰囲気をさらに盛り上げる。
彼らにとっても、領主の名声が――どのような形であれ――高まることは喜ばしいことに違いなかった。
しかし、ゼノンの「天啓」はこれで終わりではなかった。
「うむ。だが、クラウスのような若者が我が『ヴァルモン・スタイル』の真髄を、あの『概念図』一枚で完全に理解できたとは思えんな。やはり私の哲学を真に伝えるにはより直接的な指導が必要であろう」
ゼノンは腕を組み、真剣な表情で言い放った。
「そうだ! ルドルフ! 我が宮廷芸術家ルドルフをバルツァー領へ『文化大使』として派遣し、彼らに『ヴァルモン・スタイル』の真髄を直々に伝授させるのが良い!」
「「「なっ……!?」」」
その場にいたコンラート、リアム、そして偶然報告のために近くにいた監察官エリオットは同時に息をのんだ。
ルドルフを文化大使としてバルツァー領へ……?
この決定をギルド事務所で伝え聞いたルドルフ本人は、その場で真っ青になり、危うく倒れそうになった。
「ぼ、僕が……文化大使……? ば、バルツァー領へ……? そ、そんな無茶です! 僕にはそんな大役、とても……!」
ルドルフは涙目でギルド長のゲルトに訴えた。
彼にとって、「ヴァルモン・スタイル」とは、未だに理解不能な領主の気まぐれの産物であり、それを他人に「指導」するなどもってのほかだった。
しかも外国で、だ。
ゲルトも困り果てた表情でルドルフの肩を叩くしかない。
「ルドルフ君……気持ちは分かる。分かるが、これは領主様直々のご命令じゃ……」
他の職人たちもルドルフに同情的な視線を向けつつも、誰も領主の決定に異を唱える勇気はなかった。
むしろ一部の若い職人からは、「ルドルフ、すげえな! ついに国際デビューか!」などと的外れな称賛の声さえ上がっている。
この報せはすぐにエリオットとコンラートの間で、緊急の対策会議という名の、どうやって領主の暴走を止めるかの話し合いが開かれるきっかけとなった。
「コンラート殿、これはまずい。非常にまずいですよ」
エリオットは珍しく焦燥感を露わにしていた。
「ルドルフ君は確かに純粋で、ある種の才能はあるのかもしれないが、彼に『ヴァルモン・スタイル』なるものを他国で語らせれば、それこそ外交問題になりかねません! あの、金ピカのオブジェやシンプルすぎる執務室の『哲学』を、どう説明するというのですか!」
「う、うむ……。それは私も同感じゃ……。若様はルドルフ君の才能を高く評価しておられる故のご期待なのだろうが……」
コンラートも、さすがに今回のゼノンの命令にはいつもの「深遠なるお考え」という解釈が難しくなってきていた。ルドルフがバルツァー領でしどろもどろになりながら「無限の可能性」とか「未完成の美」とか語っている姿を想像するだけで胃が痛くなる。
「何か別の方法で若様のお気持ちを満たしつつ、ルドルフ君の派遣を回避する方法は……」
エリオットとコンラートは頭を突き合わせて知恵を絞った。
そしてエリオットが一つの提案をした。
「……コンラート殿。いっそこうしてはいかがでしょう。『ヴァルモン・スタイル』の神髄を、ルドルフ君の言葉ではなく、『書物』の形にしてバルツァー領へ贈呈する、と。領主閣下ご自身が編纂に関わられ、その深遠なる哲学を記した『教本』であれば、より多くの人々により正確にその素晴らしさが伝わる、と進言するのです」
エリオットの提案は、ルドルフを派遣する代わりに実体のない「ヴァルモン・スタイル」を、さらに実体のない「教本」という形に押し込め、それで場を収めようという、苦肉の策だった。
あわよくばその教本作りも、ルドルフと自分で当たり障りのない内容にまとめ上げ、被害を最小限に抑えようという魂胆である。
「教本……! なるほど! それならば、ルドルフ君を危険な(?)任務に就かせることもなく、かつゼノン様のお名前でヴァルモン領の文化の高さを形として示すことができる! エリオット殿さすがですな!」
コンラートはその提案に飛びついた。
早速、彼はゼノンの元へ赴き、エリオットの案をさも自分の名案であるかのように――そして、ゼノンの自尊心を最大限にくすぐるように――進言した。
「ゼノン様! ルドルフ君を文化大使として派遣されるというお考え、まことに素晴らしいのですが、彼一人の力ではゼノン様の深遠なる『ヴァルモン・スタイル』の全てを伝えるには限界がございましょう。つきましてはゼノン様ご自身のお言葉と、ルドルフ君の芸術的感性を結集させた『ヴァルモン・スタイル教本』を編纂し、それをバルツァー領へ贈呈するというのはいかがでしょうか! 書物であればより広く、永く、ゼノン様の偉大なる哲学が伝えられるかと!」
ゼノンはその言葉を聞いて目を輝かせた。
「教本だと!? 私の哲学を記した書物……! ふ、ふははは! コンラート、それだ! それこそ私の偉大さを後世に伝える最良の手段ではないか! よし、すぐに取り掛かれ! ルドルフを総監督とし、エリオットも補佐させよ! 最高の『ヴァルモン・スタイル教本』を作り上げるのだ!」
ゼノンは、文化大使派遣よりも、自分の名が記された「教本」の方がよほど自分の名誉になると大喜びで許可を出した。
こうして、ルドルフ少年は文化大使という国際的な受難からは免れたものの、今度は「ヴァルモン・スタイル教本編纂総監督」という、新たな(そして、さらに意味不明な)苦行を命じられることになったのだった。
エリオットは、とりあえずルドルフの海外派遣は阻止できたことに安堵しつつも、これから始まるであろう「教本編纂」という名の新たな茶番劇に、深いため息をつくしかなかった。
ヴァルモン・スタイルが国境を越える日はまだ少し先になりそうだが、その前途にはやはり大事故の予感しか漂っていなかった。
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