第50話 バルツァー領からの珍客 ~「流行」の輸入?~
監察官エリオットからの報告書を受け取った王都中央が、ヴァルモン領に対して「当面の静観」という名の放置を決定してから、しばらくの時が流れた。
領内は、相変わらず領主ゼノンの「天啓」と家臣たちの「勘違い」によって、奇妙な安定を保っている。
グーデンブルク王国からの直接的な圧力も消え、ヴァルモン領には嵐の前の静けさとも、あるいはただの日常ともつかない穏やかな日々が続いていた。
そんなある日、隣領バルツァーから一人の使者がヴァルモン城を訪れた。
以前の実務的でやや堅物な使者とは異なり、今回の使者は年の頃二十歳前後、派手な装束に身を包み、どこか軽薄そうな笑みを浮かべた若い貴族だった。
聞けば、バルツァー卿の甥にあたる人物で、名をクラウスというらしい。
「おお、ヴァルモン領主ゼノン閣下! お噂はかねがね! この度、叔父バルツァーより両領のさらなる友好と、特に貴領の『最新文化』を学ぶべく使者として参りました!」
クラウスはゼノンを前にしても物怖じする様子もなく、むしろ好奇心に目を輝かせながら大げさな口調で挨拶した。
ゼノンは、その若者の自信に満ちた態度と、「最新文化を学ぶべく」という言葉に気を良くした。
(ふん、我がヴァルモン領の文化水準の高さ、そして私の噂はついに隣領の若者の心をも捉えたか! 良い心がけだ!)
「うむ、クラウスとやら遠路ご苦労であった。して、我が領の『最新文化』の何に興味があるのだ?」
ゼノンはいつものように尊大に、しかしどこか得意げに尋ねた。
「それはもちろん! かの強国グーデンブルクの使者を退けたという、ゼノン閣下が生み出された新たなる芸術様式、『ヴァルモン・スタイル』にございます!」
クラウスは芝居がかった仕草で胸に手を当て、熱っぽく語った。
どうやら、バルツァー領にはゼノンの「ヴァルモン・アート・アタック」が、さらに歪曲され、神格化された形で伝わっているらしい。
曰く、「ヴァルモン領主ゼノンは、常人には理解できぬ深遠なる芸術の力で大国の軍勢をも退ける『天啓』の持ち主」である、と。
「ほう、『ヴァルモン・スタイル』に興味があるとな! 貴様、なかなか見所があるではないか!」
ゼノンは、自分の創造した(つもりの)芸術様式が、これほどまでに評価されていることに満足感を隠せない。
彼は、早速クラウスを自慢の「ヴァルモン・スタイル空間」へと案内することにした。
まずは、あのシンプルすぎる執務室。
次に、城門前の記念碑(未来への希望の象徴の柱)。
そして、とどめは広間に飾られた「至宝その2」(金ピカ謎オブジェ)である。
ゼノンはそれぞれの作品(?)に込められた「深遠なる哲学」と「無限の可能性」について、ルドルフを傍らに立たせ――ルドルフは死にそうな顔をしているが――、得意満面で解説して聞かせた。
クラウスは、それらの「作品群」を前に最初はきょとんとしていたが、やがて目をキラキラと輝かせ始めた。
彼の美的感覚はゼノンのそれとは全く異なるはずなのだが、何かが彼の琴線に触れたらしい。
「おお……! なんと斬新な! この全てを削ぎ落としたシンプルさ! かと思えばこの悪趣味ギリギリの圧倒的なまでの金の輝き! そしてこの未完成な部分にこそ宿るという無限の可能性……! 素晴らしい! これぞ既成概念を打ち破る新しい時代の芸術ですぞ、ゼノン閣下!」
クラウスはゼノンの支離滅裂な説明と、目の前の奇妙なオブジェの数々を彼なりの解釈で「新しい時代の前衛芸術」として完璧(?)に理解したようだった。
特に、金ピカ謎オブジェの「未完成の美」というコンセプトに、彼はいたく感動したらしい。
「この『ヴァルモン・スタイル』、ぜひ我がバルツァー領にも持ち帰らせていただきたい! 我が領の旧態依然とした芸術界に新しい風を吹き込みますぞ!」
「うむ! 良い心がけだ! 我が『ヴァルモン・スタイル』はいずれ世界を席巻するであろうからな!」
ゼノンとクラウスは、お互いの勘違いに全く気づかないまま芸術論(?)で大いに意気投合した。
その様子を、宰相コンラートと騎士リアムはいつものように温かく(そして、誇らしげに)見守っていた。
コンラート:「おお……ゼノン様の『天啓』は、ついに国境を越え、他領の若き才能をも魅了し始めた……! ヴァルモン領の文化交流、新たな時代の幕開けですな!」
リアム:「さすがはゼノン様! そのお考えは常に我々の想像の遥か上を行く! クラウス殿もきっとゼノン様の偉大さに心服したに違いありません!」
監察官エリオットだけが、その光景を遠巻きに眺めながら新たな頭痛の種を抱えていた。
(ヴァルモン・スタイルが他領に……? 冗談ではないぞ……。あれはただの勘違いと悪趣味の産物だ……。それが『新しい流行』として広まったら一体どうなるのだ……? 考えただけでも恐ろしい……)
彼は、この新たな「文化交流」が将来どのような外交問題を引き起こすのか想像もしたくなかった。
数日後。
クラウスは、ゼノンから「ヴァルモン・スタイルの神髄」について伝授され、そしてルドルフが――エリオットの助けを借りて、当たり障りのないように――描いた「ヴァルモン・スタイル概念図」なるものを手に、意気揚々とバルツァー領へと帰っていった。
彼の目には「新しい芸術の旗手」としての野望が燃えていた。
ゼノンは、自分の「天啓」がついに他領にまで影響を与え始めたことに、この上ない満足感を覚えていた。
ヴァルモン領から発信される「新しい文化の波」が世界を席巻する日も近い、と彼は本気で信じている。
その波がただの珍騒動のさざ波なのか、それとも予想外の大波乱を呼ぶのか……。
それはまだ誰にも分からない。
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