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第5話 領主の檄は気合から

※本日は7時40頃、12時、18時更新予定

 先代が残した借金の一部が(ゼノンの意図とは全く違う形で)整理され、隣領からの無礼な使者も(ゼノンの勘違い恫喝によって)追い払われた。


 ゼノン・ファン・ヴァルモンは、領主としての自分の統治が極めて順調に進んでいると確信していた。

 書斎の椅子に深く腰掛け、彼は満足げに頷く。


(ふふん……。税の徴収、商業の管理、外交交渉、そして厄介な借金の整理……どれも父上の偉大なやり方に倣った結果、見事に成功している。私も、ようやく父上のような『力ある偉大な領主』に近づけてきたのではないかな?)


 もちろん、彼の知らないところで、宰相のコンラートが財政の帳尻を合わせるためにどれだけ苦労しているか、側近のリアムがどれだけ的外れな熱意で暴走しているか、そして領民たちが彼の行動をどれだけポジティブに誤解しているかなど、ゼノンは知る由もなかった。


 その頃、宰相執務室では、コンラートが新たな報告書を前に、再び重い溜息をついていた。

 借金問題は一歩前進(?)したものの、根本的な財政難は全く改善されていない。

 むしろ、街道整備や治安維持のための(コンラートが捻出した)費用が嵩み、状況はさらに厳しくなっている。

 そして、追い打ちをかけるように、新たな問題が持ち上がっていた。


「……凶作、でございますか」


 報告に来た農政担当の小役人の言葉に、コンラートの声が沈む。


「はい。まだ小規模ではございますが、この長雨の影響で、一部の畑で生育不良が見られます。このままですと、今年の収穫は例年を下回る可能性が……」


 コンラートの胃が、またしてもしくりと痛んだ。

 ただでさえ苦しい領民の生活を、さらに圧迫することになる。

 そしてそれは、領地全体の不安定化に繋がりかねない。


(これも……報告せねばなるまい。若様は、どうお考えになるだろうか……)


 ゼノンは、コンラートからの報告を受けると、不機嫌そうに眉を寄せた。


「なに? 収穫量が減るだと? 馬鹿な! それは領民どもが怠けているからではないのか!?」


 父ならばきっとそう言ったはずだ、とゼノンは考えた。

 父はよく、天候不順などを「農民の怠慢」のせいにしていた。


「い、いえ、若様。今年の長雨は例年にないほどでして……」


 役人が恐る恐る弁解しようとするが、ゼノンは聞く耳を持たない。


「言い訳は聞かぬ! 気合が足りんのだ、気合が! そもそも、領主たる私の領地で、作物が育たぬなどということがあってはならん!」


 ゼノンは父の口調を真似て、声を荒らげる。


(そうだ、父上なら、こんな時こそ領主の威厳を示すために、さらに厳しく接したはずだ!)


「良いか、コンラートよ! すぐに農民どもを集めよ! 私が直々に、檄を飛ばしてくれる!」


 コンラートは、ゼノンの反応に内心で溜息をつきつつも、またしても(都合の良い)解釈を始めていた。


(若様は、凶作という危機に対し、安易な同情や支援ではなく、まずは領民自身の力で乗り越えさせようとされているのだな。『気合』という言葉は方便で、これは領民の自立心を促すための、厳しいが故の『愛の鞭』なのでは……? あるいは、今すぐ下手に動揺を与えず、備蓄食糧を放出する最適な時期を見極めるための、時間稼ぎなのかもしれん……!)


「かしこまりました。すぐに手配いたします」


 コンラートは恭しく頭を下げた。


 リアムは、ゼノンの「気合が足りん!」という言葉に、別の意味で奮起していた。


(そうだ! 困難な時こそ、領民も我々家臣も、一丸となって領主様のご期待に応えねばならんのだ! ゼノン様は、我々ならこの危機を乗り越えられると、そう信じて発破をかけてくださっているのだ!)


 彼の単純で熱血な思考回路は、ゼノンの精神論を、領民と自分たちへの信頼のメッセージだと変換していた。


 数日後。

 ゼノンの命令通り、凶作の兆しが見える地域の農民たちが、村の広場に集められた。

 ゼノンは、父が民衆の前に立つ時のように、馬上から彼らを見下ろす。


「聞け、愚民ども!」


 ゼノンは、精一杯の威圧感を込めて呼びかけた。

 農民たちは、恐怖に身を縮こまらせる。


「今年の収穫量が減るなどという報告を受けた。言語道断である! それは貴様らの怠慢以外の何物でもない!」


 ゼノンは父の受け売りをそのまま口にする。

 具体的な農業知識など、彼には皆無だ。


「良いか! もっと働け! 死ぬ気で働け! それでも収穫量が減るようなことがあれば……その時は、どうなるか、分かっているな?」


 ゼノンは、父がよく使っていた脅し文句を真似て、農民たちを睨みつけた。


(ふふん、これで奴らも恐怖し、必死で働くであろう!)


 ゼノンの「檄」は、農民たちの恐怖を煽るだけだったが、その場にいたコンラートとリアムには、全く違って聞こえていた。


 コンラートは、ゼノンがわざわざ馬上で厳しい言葉を投げかける姿を見て、こう解釈していた。


(若様は、あえて厳しい態度を崩さず、領主としての威厳を示しつつも、自ら足を運んで領民を鼓舞されている……。これは、領民との一体感を醸成するための、高度なパフォーマンスなのだ……!)


 コンラートは、ゼノンが帰った後、すぐに村長や経験豊富な老農民たちを集め、「領主様も皆を心配しておられる。何か困っていること、必要な知恵はないか?」と、具体的な対策の聞き取りを始めた。(もちろん、ゼノンには内緒で)

 彼は、先代の時代には無視されていた、古くからの農業の知恵や工夫に注目した。


 一方、リアムはゼノンの「もっと働け!」という言葉を文字通り受け止め、さらに「領主様は我々を信じておられる!」という熱い思いに突き動かされていた。

 彼は、ゼノンが去った後、おもむろに剣を置き、上着を脱ぐと、泥まみれの畑に足を踏み入れた。


「皆の者! ゼノン様のご期待に応えるぞ! 私も手伝おう!」


 リアムは、騎士にあるまじき姿で、鍬を手に取り、農民たちと一緒に汗を流し始めたのだ。

 彼の並外れた体力と、実直な仕事ぶりは、人手不足に悩んでいた農民たちにとって、予想外の助けとなった。


 騎士様が自ら泥まみれになって働く姿は、農民たちの驚きを呼び、そして次第に、彼らの士気を高める効果さえ生み出した。


 宿場町のパン屋の娘、リリアも、実家が持つ小さな畑の様子を心配していた。

 父や母が、連日の雨と、領主様の厳しいお言葉に、元気をなくしているのを見て心を痛めていた。


 しかし、数日後、村に現れたコンラート様の部下という役人が、経験のあるお爺さんから教わったという、水はけを良くする工夫を教えてくれた。

 さらに、あの立派な騎士のリアム様が、毎日畑に来て、力仕事を手伝ってくれるようになった。

 その姿を見て、リリアの父も母も、そしてリリア自身も、少しずつ元気を取り戻していった。


「新しい領主様は、口は厳しいけれど、ちゃんと私たちのことを見てくれているのかもしれない……」


 リリアの中で、ゼノンへの尊敬と感謝の念は、誤解と共にさらに深まっていく。


 結果として、ゼノンの意図とは全く関係なく、ヴァルモン領では具体的な凶作対策が進められた。

 コンラートが集めた昔ながらの知恵や、リアムの予想外の労働力提供、そして何より、領民たちが「領主様が見てくれている(気がする)」と感じたことによる士気の向上が相まって、凶作による被害は最小限に抑えられそうな兆しが見えてきた。

 中には、これを機に新しい農法を試そうという動きさえ出始めた。


 ゼノンは、数日後に「農民たちが以前にも増して懸命に働いている」という報告を受け、大いに満足した。


「ふむ。やはり私の厳しい指導が効いたようだな。領民どもも、ようやく領主への敬意と恐怖を理解し、気合が入ったというわけか。実に結構なことだ」


 彼は、全てが自分の「威厳」の賜物だと信じて疑わなかった。


 コンラートは、被害が抑えられそうな状況に安堵しつつ、ゼノンの「深謀遠慮」に改めて感嘆していた。


(若様は、すべて計算済みだったのだ……。厳しい言葉で領民を発奮させ、裏では我々に具体的な対策を指示されていた……。なんと恐ろしいお方……いや、なんと領民思いのお方なのだろう……)


 彼は、ゼノンへの忠誠と尊敬を、誤解と共にさらに深めた。


 リアムは、泥まけになって働き、心地よい疲労感と共に充実感を覚えていた。


「ゼノン様のお役に立てて、本当に良かった!」


 彼の忠誠心は、ますます燃え上がるばかりだ。


 領民たちの間では、「ゼノン様は口は悪いし怖いが、いざという時には俺たちを見捨てない、頼りになるお方だ」という評判が、確かなものとして広まりつつあった。

 もちろん、その評判が、幾重にも重なった勘違いの上に成り立っているとは、誰も知らない。


 そして、コンラートの執務室の机の上には、依然としてヴァルモン領の厳しい財政状況を示す書類が、山積みになっているのだった……。


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