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第49話 エリオットの報告書と、王都の当惑

「天啓のゼノン様・外交的大勝利&豊穣感謝祭」の熱狂もようやく落ち着き、ヴァルモン領にいつものどこか奇妙な日常が戻りつつあった。


 領主ゼノンは、例の「問い」の種を心の隅に押しやり、再び偉大なる父上への信頼と、自分の「天啓」による統治への自信を表面上は取り戻していた。

 宰相コンラートと騎士リアムはそんなゼノン様を日々称賛し、領内は平和を享受している。


 しかし、一人、多忙な日々を送る男がいた。

 王都からの監察官、エリオット・フォン・クラウゼンである。

 彼の机の上には、グーデンブルク王国使節長カウント・アイゼンミュラーとの一件に関する、王都への正式な報告書が書きかけのまま置かれていた。


(……さて、どう記述したものか……)


 エリオットは、ペンを手に深くため息をついた。

 事実をありのままに書けば、王都の重臣たちはおそらく彼の正気を疑うだろう。

 「ヴァルモン領主ゼノン閣下は、自作の芸術論と哲学ポエムを披露し、強国グーデンブルクの使節を精神的に圧倒、これを退却せしめた」などと誰が信じるというのだ。


 かといって詳細を伏せ、ただ「外交交渉によりグーデンブルクの要求を退けた」とだけ書けば、それはそれで不自然であり、ゼノン領主の「特異性」という重要な情報が抜け落ちてしまう。


(ゼノン閣下の行動は確かに常軌を逸している。しかし、結果としてグーデンブルクの圧力が弱まったのも事実……。そして領内が(表面的には)安定し、僅かながらも発展の兆しを見せていることも……)


 エリオットは、数日間頭を悩ませた末、ついに報告書を完成させた。

 それは事実を可能な限り客観的に記述しつつも、ゼノン領主の「極めて独創的かつ予測不可能な統治スタイル」と、それが「現時点においては、奇妙な均衡を保ちつつ、領地の安定に寄与しているように見受けられる」といった、慎重かつ曖昧な表現を多用したものとなった。


 もちろん、アイゼンミュラーが具体的に何に「屈した」のかについては、ヴァルモン領の「独自の文化と哲学による、高度な外交的応酬」といった、読んだ者の想像力に任せるような言葉で濁しておいた。


 報告書は、王都へ最も信頼できる伝令によって送られた。

 そして数週間後、その報告書は王都アステルの王宮、国王陛下の側近たちが集う評議の場で真剣な――そして、困惑に満ちた――議論の的となっていた。


「……エリオット卿の報告だが……諸君どう思うかね?」


 国王の筆頭秘書官である老練な公爵が、他の側近たちに問いかけた。

 彼の顔には深い疲労と、理解不能なものに対する戸惑いが浮かんでいる。


「はっ……。その、ヴァルモン領主ゼノン卿が、グーデンブルクのアイゼンミュラー伯を『独自の文化と哲学』で退けた、と……。にわかには信じがたい内容ではございますが……」

「うむ。アイゼンミュラー伯といえば、グーデンブルクでも指折りの切れ者。その彼が十六歳の若造に、それも『芸術論』でやり込められたとでも言うのかね?」

「しかし、エリオット卿は嘘を弄するような男ではありますまい。彼のことだ、見たままを可能な限り正確に報告してきたのでしょう」


 側近たちは口々に意見を述べるが、誰も明確な結論には至らない。

 ヴァルモン領の状況は、彼らの常識や経験則では到底測りかねるものだった。


「先代ヴァルモン卿の悪政は確かに目に余るものがあった。その息子がこれほど短期間に領地を立て直し、あまつさえグーデンブルクのような強国を結果的にとはいえ退けるとは……。あるいはエリオット卿の言う通り、あの若き領主には我々の理解を超えた何か特別な『何か』があるのかもしれんな……」


 一人の将軍が腕を組みながら唸った。


「『天啓』、でしたかな? 領民は、彼をそう呼んで称えているとか……。ふむ、確かに常人には理解できぬ『天啓』でもなければ、この状況は説明がつかぬかもしれぬ」


 王宮の奥深く、玉座に座る壮年の国王は側近たちの議論を黙って聞いていたが、やがておもむろに口を開いた。


「……面白いではないか」

「へ、陛下……?」


「そのゼノンとかいう若造。父とは似ても似つかぬやり方で結果を出している、と。それも我々の誰もが予想だにしなかった方法でな。グーデンブルクが手を引いたというのも興味深い。あのアイゼンミュラーがだ」


 国王の口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「よかろう。エリオットには引き続きヴァルモン領の監視と、ゼノン卿の『興味深い』統治の報告を続けさせよ。ただし、現時点では王都から余計な干渉はせぬこと。あの領地が今後どのように『発展』していくのか、しばらくは静かに見守るとしようではないか。……もちろん、我が王国に不利益をもたらすような動きがあれば、その時は別だがな」


 国王の鶴の一声でヴァルモン領に対する王都の方針は、「当面の静観と、エリオットによる継続的な監視」と決定された。

 それは、エリオットが最も望んでい――そして、おそらくヴァルモン領にとっても最善の――結論だったかもしれない。


 数日後、エリオットの元に王都からの返書が届いた。

 そこには彼の報告を了承した旨と、引き続き任務に励むようという簡潔な指示だけが記されていた。

 特にゼノン領主の「特異性」に対する言及や、追加の指示はなかった。


(……まあこんなものか。王都もこの領地の扱いに困っている、ということだろうな)


 エリオットは安堵の息をつくと同時に、新たな決意を固めた。

 領主ゼノンの行動は理解不能だが、この領地が少しでも良い方向へ向かうよう、自分にできることを力の限り続けていくしかないと。

 彼のヴァルモン領での「監察」は、もはや当初の目的を大きく逸脱し、一種の「領地再生請負人」のような様相を呈し始めていたが、彼自身はまだそのことに気づいていない。

 いや、あるいは、気づかないふりをしているのかもしれない。


 ヴァルモン領の未来は依然として五里霧中。

 しかし、その霧の中を多くの勘違いと、一握りの善意と、そして領主の「天啓(?)」が、奇妙なバランスで進んでいくのだった。

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