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第48話 祭りの後と、ゼノンの「問い」

「天啓のゼノン様・外交的大勝利&豊穣感謝祭」と銘打たれた祝祭は、ヴァルモン領始まって以来の規模で、数日間にわたり盛大に執り行われた。


 城下の広場には領民たちが集い、コンラートの計らいで振る舞われたパンや粥、そしてささやかな酒に舌鼓を打ち、楽師が奏でる陽気な音楽に合わせて踊り明かした。

 彼らが口々に称賛するのは、もちろん「天啓の領主」ゼノン様の偉大さである。


「ゼノン様のおかげで、今年も豊作だ!」

「恐ろしいグーデンブルクの使者も、ゼノン様のお力で追い払ってくださったそうだ!」

「ヴァルモン領にゼノン様あり! 我々は安泰だ!」


 領民たちの熱狂的な――そして、大部分が勘違いに基づいた――歓声は、城壁を越え、領主ゼノンの耳にも届いていた。

 ゼノンは、城のバルコニーから、父もよくやっていたようにその様子を眺め、満悦の表情を浮かべていた。


(ふふん、見よ! 我が領民どもが、私を称え、喜びに沸いておるわ! これぞ真の領主の姿! 父上が目指されたのも、きっとこのような光景だったに違いない!)


 彼は、自分の「芸術と哲学」が、外交的勝利だけでなく民衆の心をも掴んだのだと完全に信じ込んでいる。

 祝宴の席でも、家臣たちからの――いつも通りの――称賛の言葉を浴び、ゼノンは人生で最も輝かしい瞬間を味わっているかのように上機嫌だった。


 しかし、祭りの喧騒が過ぎ去り城内にいつもの静けさが戻った数日後の夜。

 ゼノンは、改装されたばかりのシンプルすぎる執務室で、一人、珍しく落ち着かない様子でいた。

 目の前には、エリオットが目を通すようにと置いていった、隣領バルツァーとの交易に関する報告書が積まれているが、全く頭に入ってこない。


 彼の脳裏に、ふとあのグーデンブルクの使節長、カウント・アイゼンミュラーの冷徹な目が蘇る。

 そして、彼が突き付けてきたいくつかの言葉。


(……父上の借金……。ボルコフとかいう裏切り者の情報……。なぜ、あの男はあんなことを知っていたのだ……?)


 ゼノンは、これまで自分の都合の良いように解釈し、あるいは力ずくでねじ伏せてきた問題を、アイゼンミュラーはまるで全てお見通しであるかのように冷静に、そして的確に指摘してきた。

 特に父の残した借金について、自分が「踏み倒せ!」と命じた後も、コンラートが何かと頭を悩ませていたような記憶がおぼろげながら蘇ってくる。


(コンラートは、全て解決したと言っていたような……。いや、何かごにょごにょと言葉を濁していたような気もする……。父上の偉大な統治にそんな面倒なものが残っていたというのか? そしてそれを解決するために、私は何か間違ったことを命じてしまったのか……?)


 ゼノンの胸に、これまで感じたことのない小さな棘のようなものが刺さった。

 それは、父への絶対的な信頼や、自分自身の万能感に対するほんのわずかな、しかし確かな「違和感」だった。

 彼は、その正体不明の感情にどう対処していいか分からない。

 父の教えの中には、このような場合の対処法はどこにも書かれていなかったように思う。


(……父上ならば、こんな時、どうされただろうか……?)


 いつものように父の偉大な姿を思い浮かべようとする。

 しかし、なぜかいつものように自信に満ちた父の姿ではなく、アイゼンミュラーの冷たい視線と、コンラートの苦労していそうな顔が交互に浮かんでは消える。


 ゼノンは無意識のうちに机の引き出しに手を伸ばした。

 そして奥にしまい込んでいたあの不格好な布人形を取り出す。

 リリアが落としていった子供たちの手作りの人形だ。

 歪んだ顔、取れかかったボタンの目……。

 彼は、それをぼんやりと眺めながらさらに考え込んだ。


(あのパン屋の娘……リリアとか言ったか。あいつはいつも私を見て、なぜか嬉しそうに笑う。孤児院の子供たちも私に懐いているように見える。父上は民を恐怖で支配しろと仰った。だが、あの者たちの顔には恐怖以外の何かがあるような気がする……。あれは一体何なのだ……?)


 ゼノンの頭の中は疑問符でいっぱいになった。

 彼はその疑問を誰かにぶつけてみたい衝動に駆られた。

 しかしリアムに聞いても、いつものように「ゼノン様は素晴らしい!」としか言わないだろう。

 エリオットは小難しくてよく分からない。


 翌日、ゼノンは珍しく自分からコンラートを執務室に呼び出した。


「……コンラートよ」

「はっ! ゼノン様、いかがなされましたか!」


 コンラートは、主君の珍しい呼び出しに緊張した面持ちで応える。


「その……父上は、その……領地経営で何か、こう……困ったことなどはなかったのであろうな?」


 ゼノンはできるだけさりげなく、しかしどこか探るような口調で尋ねた。

 それは彼なりの精一杯の「問い」だった。


 コンラートはその質問の意図を測りかね、一瞬、言葉に詰まった。

 しかし、すぐに(おお! 若様は、グーデンブルクの一件を経て、さらに深く、先代様の偉大なご治世について学ぼうとされているのだ! そして、その教訓を、今後のご自身の統治に活かそうと……! なんという向上心!)と、いつものように超絶ポジティブに解釈した。


「ゼノン様! 先代様のご治世は常に力強く、揺るぎないものでございました! 時には周辺諸侯からの些細なやっかみや、あるいは、えー……その、財政的な『ダイナミックな運用』に伴う一時的な『調整』が必要な場面もございましたが、それら全て先代様の圧倒的なご威光と、深遠なるお知恵によって見事に乗り越えられてこられました! 何もご心配には及びません!」


 コンラートは、先代の悪政と借金問題を見事なまでに美化し、ゼノンを安心させる――そして、自分の胃を守る――完璧な回答を述べた。


「……そうか。そうだよな。父上が困るなどということはあるはずがないな」


 ゼノンは、コンラートの言葉にあっさりと納得した(ように見えた)。

 彼の胸の小さな棘は、まだ残っているような気もしたが、とりあえずはいつもの「父上は偉大だ」という結論に落ち着くことができた。

 彼は再び自信を取り戻し、父のような「力ある偉大な領主」への道を邁進しようと決意を新たにする。


 しかし、ゼノンの心に芽生えたほんの小さな「問い」の種。

 それはまだ消えたわけではなかった。

 いつかそれが再び顔を出す日が来るのか、それともこのまま勘違いの土壌に埋もれてしまうのか……。

 それはまだ、誰にも分からない。

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