第46話 外交官アイゼンミュラー、理解を放棄する
ヴァルモン城の広間は、領主ゼノン・ファン・ヴァルモンによる「ヴァルモン・アート・アタック」の熱気に(一方的に)包まれていた。
ゼノンは自ら「至宝その2(金ピカ謎オブジェ)」を手に、その「未完成の美」と「記念碑との連続性」、そして「無限の可能性」について身振り手振りを交え、朗々と熱弁を振るっている。
傍らでは顔面蒼白のルドルフ少年が、領主の言葉に合わせてかろうじて頷いている。
宰相コンラートと騎士リアムは、主君の「圧倒的な芸術による威圧」に感涙を抑えるのに必死だ。
その異様な光景を、グーデンブルク王国の使節長カウント・アイゼンミュラーは眉間に深い皺を刻み、こめかみをピクピクさせながら見つめていた。
彼の長年の外交官としての経験、そして数々の修羅場を潜り抜けてきた自負が目の前で繰り広げられる理解不能な状況によって、粉々に打ち砕かれようとしていた。
(……この若造は一体何を言っているのだ? 未完成の美? 無限の可能性? これが我がグーデンブルクへの返答だとでもいうのか? いや、そもそもこれは芸術なのか? ただの悪趣味なガラクタにしか見えんが……)
アイゼンミュラーは必死で冷静さを保とうと努めた。
ヴァルモン領の急な発展の裏には何か秘密があるはずだ。
借金問題、ボルコフの件……。それらを追及すれば必ずや弱みを握れると踏んでいた。
しかし目の前の若き領主は、そんなこちらの思惑などお構いなしにひたすら意味不明な芸術論(?)と自作の哲学ポエム(?)をまくし立ててくる。
「……そして、この『何もない空間』こそが! 我がヴァルモン領の、いや、この私の! 無限の創造性と何ものにも縛られぬ自由な精神を体現しておるのだ! 貴様のような古い価値観に凝り固まった者には、到底理解できまいがな!」
ゼノンは改装されたばかりのシンプルすぎる執務室――もちろんアイゼンミュラーも「視察」させられた――を指さし、得意げに言い放った。
アイゼンミュラーはもう、どこから突っ込んでいいのかすら分からなかった。
(ただのがらんとした部屋ではないか……。いや、素材だけは無駄に良さそうだが……)
彼はこれまで様々なタイプの君主や貴族と渡り合ってきた。
狡猾な者、強欲な者、無能な者、残忍な者……。
しかしこれほどまでに「理解不能」な相手は初めてだった。
正気でこれをやっているのか? それとも全て計算ずくの高度な陽動か何かか? もしそうだとすればその目的は一体何なのだ? あるいはこの若者は本当に、心の底から自分のこの奇行が「素晴らしい芸術」であり「有効な外交戦略」だと信じ込んでいる純粋な「狂人」なのか……?
アイゼンミュラーの額からついに一筋の汗が流れ落ちた。
彼の鉄面皮がわずかに引きつっている。
ボルコフから事前に得ていた情報は確かにヴァルモン領の脆弱性を示唆していた。
しかしこの領主自身の「予測不可能性」という最大のファクターが完全に抜け落ちていた。
こんな相手に常識的な恫喝や駆け引きが通用するはずがない。
下手に刺激すれば何をしでかすか分からない。
まるで底なし沼に足を踏み入れようとしているような得体の知れない恐怖を感じ始めていた。
(……駄目だ。これ以上この男と関わるのは危険すぎる。我がグーデンブルクの威信にかけて、このような狂人の相手をする必要はない。いや、むしろ関わらないことこそが国益に繋がるかもしれん……)
アイゼンミュラーはついに全ての理解と交渉を放棄することを決意した。
彼はゼノンの熱弁を遮るように、わざとらしく大きく咳払いをした。
「……ゼノン閣下。その……貴領のまことに独創的で奥深い『文化水準の高さ』、しかと拝見つかまつった」
アイゼンミュラーの声はどこか虚ろだった。
「我が王にはこのヴァルモン領が、極めて『個性的』な領主閣下の下まことに『ユニーク』な発展を遂げつつあると、ありのままにご報告申し上げる所存。……つきましては先日の我が国からの『懸念事項』については、現時点ではこれ以上の追求は『不要』との判断に至った、と、そうお伝えしても差し支えあるまい」
その言葉は事実上の「要求撤回」であり「一時休戦」の申し出だった。
しかしその口調には敗北感とも、あるいは単なる疲労困憊ともつかない奇妙な響きが込められていた。
ゼノンはその言葉を聞いてニヤリと笑った。
(ふふん! どうだ! やはり私の芸術と哲学の前にグーデンブルクの使者も、ついに屈服したようだな! 「追求は不要」だと? 当然よ! 私の偉大さを前にしてもはや何も言うことはあるまい!)
彼は自分の「ヴァルモン・アート・アタック」が見事に敵を粉砕したのだと、完全に勝利宣言をした気でいた。
「うむ! 物分かりが良くて結構! ならば早々に立ち去るが良い! そして貴様らの王にも伝えるのだ! 我がヴァルモン領の芸術と哲学を決して侮るな、と!」
ゼノンは勝ち誇ったように言い放った。
アイゼンミュラーはもはや何も言い返す気力もなく、ただ深々と、しかしどこかやつれた様子で一礼すると部下たちと共に足早に広間を後にした。その背中はまるで悪夢から逃れるかのように狼狽しているようにさえ見えた。
監察官エリオットはその一部始終を信じられない思いで見つめていた。
(……本当に帰ってしまった……。あのアイゼンミュラーがゼノン閣下の意味不明な芸術論に本当に屈したというのか……? いや、屈したというよりはあまりのことに戦意を喪失したと言うべきか……。まさかこんな結末が待っていようとは……)
コンラートとリアムはそんなエリオットの困惑など露知らず顔を見合わせ、主君の「常人には理解できぬ、しかし圧倒的な勝利」にただただ感涙にむせんでいた。
「おお……ゼノン様……!」
「さすがは我が君!」
こうしてヴァルモン領を襲った最大の危機(?)は、領主ゼノンの「ヴァルモン・アート・アタック」という前代未聞の奇策によって誰も予想しなかった形で、そして誰もその本質を理解しないまま幕を閉じた。
強国グーデンブルクの使者はヴァルモン領の「狂気」を目の当たりにし、すごすごと退散したのである。
日間&週間&月間コメディランキングで1位になりました。
ありがとうございます!
この勢いで四半期1位も目指したいので、是非まだの読者様は、お気に入り登録と☆☆☆☆☆評価をおねがいいたします。
更新のモチベーションアップに繋がります。