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第42話 招かれざる客と第一部の幕引き

 ヴァルモン領は、領主ゼノン・ファン・ヴァルモンによる「外交的大勝利(?)」と二年連続の豊作を祝う、「凱旋と豊穣の祝祭」の準備でかつてないほどの熱気に包まれていた。


 城下の広場には屋台が立ち並び始め、飾り付けが施され、領民たちは来るべき祭りの日に胸を躍らせている。城内でもコンラートの指揮のもと、祝宴の準備が着々と進められていた。領主ゼノンはもちろご満悦である。自分の偉大さを内外に示す絶好の機会が訪れたのだから。


(ふふん、私の統治の下、ヴァルモン領はまさに黄金時代を迎えようとしておるわ! 父上もきっと天で誇らしく思ってくださるだろう!)


 ゼノンは自分の執務室で、一人悦に入っていた。

 彼が知らないのは、その祝祭の喧騒の裏で、監察官エリオットがただ一人、重い憂慮を抱えていたことだった。


 強国グーデンブルク王国の不穏な影……。

 その影は、ヴァルモン領のささやかな幸福を、静かに、しかし確実に脅かそうとしていた。


 そして祝祭を数日後に控えた、ある日の午後。

 その招かれざる客は、何の前触れもなくヴァルモン城の門前に姿を現した。


「グーデンブルク王国よりの正式な使節団、これに見参! ヴァルモン領主ゼノン閣下への謁見を願う!」


 門番からの緊急の知らせに、城内は一時騒然となった。

 グーデンブルク王国……その名は、コンラートやリアムにとっても無視できない重みを持っていた。

 近年、急速に勢力を拡大し、周辺諸国に威圧的な外交を展開しているという噂は、彼らの耳にも届いていた。


「……グーデンブルクだと?」


 報告を受けたゼノンは、一瞬眉をひそめた。

 知らない名前ではなかったが、なぜ今このタイミングで?


(ふん、我がヴァルモン領の繁栄の噂を聞きつけ、友好を結びに来たか? あるいは、私の威光に恐れをなして、貢物でも持ってきたのかもしれんな!)


 ゼノンはまたしても、自分の都合の良いように解釈した。

 彼はコンラートとリアム、そしてエリオットを伴い、いつものように尊大な態度で使節団を広間に迎え入れた。


 広間に通されたグーデンブルク王国の使節団は、少数ながらも歴戦の武官のような鋭い目つきの者たちで構成されていた。

 そして、その中心に立つ使節長と思しき男は、年の頃は五十代ほど。冷徹な爬虫類を思わせるような細い目と薄い唇が特徴的な、いかにも切れ者といった風貌の貴族だった。


 その男、名をカウント・アイゼンミュラーという。

 彼はゼノンを一瞥すると、深々と頭を下げるでもなく、ただ形式的な会釈をしただけで、低い、感情の読めない声で口上を述べた。


「ヴァルモン領主ゼノン閣下。我が王、グーデンブルク国王陛下の名代として参上つかまつった、アイゼンミュラーである。本日は、貴領の近年の目覚ましい『変化』について、我が陛下がいたくご関心をお持ちである旨、お伝えに上がった」


 その言葉には、バルツァー領の使者が見せたような友好や敬意といったものは、微塵も感じられない。

 むしろ、値踏みするような、あるいは威圧するような響きさえあった。


 ゼノンは、その無礼な態度にカチンときた。


(なんだこの男は? 私を誰だと思っておるのだ!)


「ふん! グーデンブルクの王も、ようやく私の偉大さに気づいたか! 結構なことだ! して、我が領の『変化』に感銘を受け、どのような『誠意』を見せに来たのだ? 貢物か? それとも友好の証としての宝石か?」


 ゼノンはいつものように父の真似をして、相手を見下すような言葉を投げかけた。

 しかし、アイゼンミュラーは顔色一つ変えない。


「『誠意』でございますか。それにつきましては、まず、貴領がいかなる『手段』をもってこの短期間に『豊作』を達成し、『交易』を拡大し、そして『軍備』を増強されたのか、詳しくお聞かせ願いたい。我が陛下は、近隣諸国の『不自然な』勢力拡大には、常に注意を払っておられるのでな」


 アイゼンミュラーの言葉は穏やかでありながらも、明確な『疑惑』と『圧力』を含んでいた。

 それは、ヴァルモン領の奇跡的な発展の裏に、何か不正な手段や、あるいはグーデンブルク王国にとって不都合な秘密があるのではないか、という探りだった。


 コンラートが、冷や汗をかきながら前に進み出た。


「ア、アイゼンミュラー閣下! それは誤解でございます! 我がヴァルモン領の発展はひとえに、領主ゼノン様の深遠なるご指導と、領民たちの勤勉さの賜物! 何らやましいところはございません!」

「ほう? 深遠なるご指導、ね……」


 アイゼンミュラーは薄ら笑いを浮かべ、ゼノンを改めて見た。

 その視線は、まるでゼノンの内面までも見透かそうとしているかのようだ。


 リアムが、主君への侮辱に憤然として声を上げた。


「無礼な! 我が君ゼノン様の偉大さが分からぬか! そのお言葉、グーデンブルク王国による我がヴァルモン領への内政干渉と受け取っても良いのだぞ!」

「内政干渉か。若き騎士殿は、随分と威勢が良いことですな」


 アイゼンミュラーはリアムの言葉を鼻で笑った。

 これまでの相手とは、明らかに格が違う。

 ゼノンのいつもの威圧も、コンラートの巧みな丸め込みも、リアムの勢い任せの反論も、この冷徹な外交官には全く通用しないように見えた。


 エリオットは最悪の事態を予感し、顔面蒼白になっていた。


(これほど早く、そしてこれほど直接的に来るとは……!)


 そしてアイゼンミュラーは、決定的な一言を放った。

 それはヴァルモン領の誰もが予想だにしなかった、そしてゼノンの足元を揺るがしかねない一言だった。


「ところでゼノン閣下。先代ヴァルモン卿が残された莫大な『借金』……その後の処理については、我が陛下も少々ご懸念をお持ちでしてな。特に我がグーデンブルクと懇意にしている幾つかの大商人や貴族への『対応』についてはいささか……強引な手法であったとか?」


 アイゼンミュラーは嫌みたらしい笑みを浮かべながら続ける。


「あるいは、未だ『清算』がお済みでないものが、貴領の現在の『ご立派な』事業の陰に隠されているのでは、と。最近、興味深い話も耳にしましてな。ヴァルモン領の財政に詳しい、元・有力な職人からの情報を……」


 アイゼンミュラーはそう言うと、意味ありげに口元を歪めた。

 その言葉はヴァルモン領の秘密……ゼノンが「踏み倒した」と豪語し、コンラートが必死で一部を処理したものの、未だ燻る負の遺産の核心を突くものだった。

 そしてボルコフの影をちらつかせ、ヴァルモン領の内情が筒抜けである可能性を示唆したのだ。


 ゼノンはアイゼンミュラーの言葉に、一瞬言葉を失った。

 父上の借金……。

 確かにコンラートから報告を受け、自分が「踏み倒せ」と命じたはずだ。それで全て解決したのではなかったのか?

 なぜこの男がそんなことを知っている?

 しかも、まるでまだ問題が残っているかのような……。

 そして元・有力な職人……?

 一体誰のことだ?


 ゼノンはボルコフの存在などとっくの昔に忘れ去っていた。

 そのことをボルコフ本人が知ったら、顔を真っ赤にして怒り狂ったに違いない。


 父上の偉大な統治に、そんな厄介な後始末が必要だったのか?

 自分の命令は、完璧ではなかったというのか?


 目の前の男の全てを見透かすような冷たい視線は、ゼノンの根拠のない自信と父への絶対的な信頼を、わずかに、しかし確実に揺るがせる。


 初めてゼノンの額に、一筋の冷や汗が浮かんだ。

 彼の脳裏には、偉大な父の幻影と目の前の現実の脅威が、混乱したまま交錯し始めていた。


 ヴァルモン領は最大の危機を迎えようとしている。

 その結末は、まだ誰にも分からない……。



 ――第一部・完――

これにて第一部完結です。


切りの良いところで「お気に入り(ブックマーク)」や★評価を入れていただけますと第二部更新のエネルギー源となりますのでよろしくお願いします。


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