第41話 凱旋と忍び寄る新たな視線
数日後、バルツァー領へ派遣された使節団がヴァルモン領へ帰還した。
一行を出迎えたのは、領主ゼノン・ファン・ヴァルモンその人であった。
彼は、執務室で「威厳ある待機」をするのに飽き、自ら城門まで足を運び、使節団の「凱旋」を出迎えた。父ならば決してしなかったであろう行動である。
もちろん、彼の中では、これは「成功を収めた忠臣たちを、領主自らが労う」という、偉大な父の姿を再現するつもりだった。
「うむ、ご苦労であったな、コンラート、エリオット、そしてリアムよ! ルドルフも、よくやった!」
ゼノンは、馬から降りたコンラートたちを、尊大な態度で見下ろしながら言った。
その表情は自信に満ち溢れている。
「して、結果はどうであった? バルツァーの者どもは、我がヴァルモン領の偉大さと、私の芸術センスの高さにひれ伏したであろうな?」
宰相コンラートは旅の疲れも見せず、晴れやかな笑顔で進み出た。
「はっ! ゼノン様! この度の使節は、ゼノン様のご威光と深遠なるお導きにより、大成功でございました!」
「ほう、大成功とな!」
ゼノンは満足げに頷く。やはり自分の読み通りだ。
「バルツァー卿は、我がヴァルモン領との友好を心から望んでおり、持ち込んだギルドの製品群……特に、ゼノン様が『ヴァルモン・スタイル』の神髄としてお認めになった、あのルドルフ君の『無限なる友情の萌芽』には、言葉を失うほど感銘を受けておられました!」
コンラートは、バルツァー領での実際の反応を巧みに脚色し、ゼノンが最も喜ぶであろう形で報告した。
実際には実用的な品々が好評だったのだが、そこはあえて強調しないのがコンラート流の処世術である。
「特に、あのオブジェの『未完成』な部分と『シンプルな直線』の融合こそ、ヴァルモン領の無限の発展性と、バルツァー領との揺るぎない未来への絆を象徴している、と絶賛しておられましたぞ!」
「ふ、ふははは! そうであろう、そうであろう! やはり、真の芸術を理解できる者には、私の哲学が通じるのだ!」
ゼノンは高らかに笑った。
自分のセンスが国境を越えて認められたと、完全に勘違いしている。
リアムも興奮気味に言葉を継いだ。
「はい! バルツァー卿の側近たちも、口々に『このような独創的な芸術は見たことがない』『ゼノン様の統治されるヴァルモン領の文化水準の高さ、恐るべし』と称賛しておりました!」
「うむ、うむ! 良い心がけだ!」
ゼノンはますます気を良くする。
ルドルフは隣で顔を真っ赤にして俯いていた。
(僕のあれが、そんな大絶賛……? 本当に……?)と、信じられない思いだった。
監察官エリオットだけが、そのやり取りを冷静な、そしてやや疲れた表情で見守っていた。
(……コンラート殿の報告は、もはや創作の域だな。まあ、領主が機嫌を良くし、実務的な交易協定の締結と街道整備が進むのであれば、それで良いのかもしれんが……)
「つきましては、ゼノン様」
コンラートはさらに提案した。
「この度の外交的成功と豊作を祝い、そして何より、ゼノン様の偉大なるご統治を領民に示すため、盛大なる『凱旋と豊穣の祝祭』を執り行ってみてはいかがでしょう!?」
「祝祭だと!?」
ゼノンの目が輝いた。
父も何かにつけて宴を開き、その権勢を誇示していた。
それこそ領主の特権であり、威厳の象徴だ。
「良いではないか、コンラート! すぐに準備に取り掛かれ! 我がヴァルモン領の豊かさと、私の寛大さを、領民どもに、そして周辺諸国に見せつけてやるのだ!」
「ははーっ!」
コンラートとリアムは力強く応えた。
こうして、ヴァルモン領では、領主の「外交的大勝利(?)」を祝うための盛大な祭りの準備が開始されることになった。
城下は久しぶりのお祭り騒ぎへの期待で活気に満ち溢れ始める。
その喧騒の裏で、監察官エリオットは一人、執務室でバルツァー領で得た情報を整理し、分析していた。
バルツァー領の宰相が漏らした、「王都中央や、さらにその先の……いくつかの大国も、貴領の動向に静かな関心を寄せ始めている」という言葉。
それは単なる外交辞令や牽制の言葉ではなかったように、エリオットには思えた。
彼は、ヴァルモン領に来てから築き上げた僅かな情報網を使い、王都の旧知の文官や交易ルートを持つ商人などに、それとなく探りを入れた。
そして数日後。
エリオットの元に、一つの情報がもたらされた。
「……やはり、か」
エリオットは密書を読み終え、重い溜息をつく。
その情報によれば、ヴァルモン領の北方に位置し、近年急速に勢力を拡大している大国「グーデンブルク王国」が、ヴァルモン領の「奇妙な安定」と「豊作」、そして「隣領との交易開始」といった情報を掴み、強い関心という名の警戒と、あるいは領土的野心を抱き始めているという。
グーデンブルク王国は強大な軍事力を背景に、周辺の小領主たちを次々と支配下に収めている、野心的な国家として知られていた。
彼らは、秩序の乱れた領地や弱体化した領地を見つけては、巧みな外交と、時には武力をもって併合していく、という噂も絶えない。
(ヴァルモン領の、この奇妙な『成功』が、かえって新たな火種を呼び込もうとしている……? あの領主が、グーデンブルクのような老獪な相手に、いつもの勘違いと思い込みで通用するとは到底思えん……)
エリオットの背筋に冷たい汗が流れた。
ヴァルモン領は今、領主の勘違いによって、かつてないほどの(表面的な)繁栄を謳歌しようとしている。
しかし、その足元には、静かに、しかし確実に、新たな脅威が忍び寄ってきているのかもしれない。
祝祭の準備に沸く城下の喧騒とは裏腹に、エリオットの心には重い影が差し始めていた。