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第4話 借金なんて踏み倒せ!

 城の書庫の片隅。

 宰相コンラートは、目の前に積み上げられた羊皮紙の束……すなわち、先代領主が残した莫大な借金を示す借用書の山を前に、深い溜息をついていた。


 その額は、到底、現在のヴァルモン領の財政状況で返せるものではない。

 悪徳商人や、素性の知れない金貸し、さらには他領の貴族からのものまである。

 どれも法外な利息が付けられており、先代がいかに無計画に、そして自らの欲望のためだけに借金を重ねていたかが窺える。


(このままでは……ヴァルモン領は破産する。いや、それだけでは済まぬかもしれん。借金のカタに、領地そのものが奪われかねん……)


 コンラートの胃は、ここ数日、経験したことのないほどの激痛に苛まれていた。

 眠れぬ夜が続き、彼の顔には深い疲労の色が刻まれている。


 しかし、悩んでいても始まらない。

 この事実は、新領主であるゼノン様に報告せねばならぬ。


 だが、どう伝えれば良いものか。

 先代……ゼノン様が「偉大な父」と信じて疑わない人物の、恥ずべき負の遺産。

 これを正直に伝えれば、若き領主の心は折れてしまうのではないか?

 あるいは、逆上されてしまうのではないか?

 コンラートは重い足取りで、ゼノンの執務室へと向かった。


「……借金、だと?」


 コンラートから報告を受けたゼノンは、眉をひそめた。

 木箱に入れられた借用書の束を一瞥し、その天文学的な総額を聞かされると、さすがに驚きの色を隠せない。


(父上が、これほどの借りを……? いったい何のために……?)


 コンラートは、ゼノンの反応を恐る恐る見守る。


(やはり、衝撃を受けられたか……。無理もない……)


 しかし、次の瞬間、ゼノンの口から出た言葉は、コンラートの予想を遥かに超えるものだった。


「……なるほどな! そうか、そういうことか!」


 ゼノンは、何かを閃いたようにポンと手を打った。


「父上がこれだけの『借り』を作ることができたということは、それだけ我がヴァルモン家に『信用』があったということではないか! これは負債などではない! 父上が築き上げられた、ヴァルモン家の『力』の一部なのだ!」

「は……はぁ……? 『力』、でございますか……?」


 コンラートは呆気に取られて聞き返した。

 借金を「力」や「信用」と捉えるとは、どういう思考回路なのだろうか。


「そうだとも!」


 ゼノンは自信満々に胸を張る。


「これだけの金を動かすことができた、父上の偉大さの証左よ! 問題は、父上がこの『力』を、これからどう使うおつもりだったのか、ということだ……」


 ゼノンは腕を組み、真剣な表情で考え込む。


(あるいは、これは父上が私に残された試練なのかもしれん! この『力』を御してみよ、と! よし、ならば受けて立とうではないか!)


 ゼノンの中で、借金問題は、父からの壮大な挑戦へと昇華されていた。


 コンラートは、ゼノンのその(勘違いによる)前向きすぎる態度に、言葉を失った。

 胃の痛みも、一瞬忘れるほどの衝撃だ。


(若様は……この絶望的な状況を前にしても、なお……! なんという胆力、なんという視野の広さ! これは単なる強がりではない。きっと、この莫大な負債すらも利用し、領地を再興させるための、何かとてつもない策を既にお持ちなのだ! そうか……先代の負の遺産を清算することこそが、真の領地改革の始まりだと、若様はお考えなのだ!)


 コンラートの目には、尊敬と、そして新たな希望の光が宿り始めていた。


(そうだ、私が絶望している場合ではない。若様のお考えを、私が実現せねば!)


「して、ゼノン様。この……『力』を、我々はどう用いるべきでしょうか?」


 コンラートは、決意を込めて尋ねた。


 ゼノンは、ふむ、と顎に手を当てる。

 父上なら、どうしただろうか?

 あの偉大なる父上なら、こんな借金、どう扱っただろうか?

 答えは、すぐに出た。


(そうだ! 父上のような力ある偉大な領主ならば、こんなもの、踏み倒すに決まっている! 弱者に媚びへつらって金を返すなど、父上の美学に反するはずだ!)


「決まっているだろう、コンラートよ」


 ゼノンは、悪どい笑みを(自分では父そっくりの威厳ある笑みのつもりで)浮かべた。


「こんなもの、返済する必要などない! ヴァルモン家の、いや、領主たる私の威光をもって、すべて踏み倒してくれるわ!」

「ふ、踏み倒す……!?」


 さすがのコンラートも、その直接的な言葉には血の気が引いた。

 いくら若様の深謀遠慮(と彼が信じているもの)があるとしても、真正面から踏み倒し宣言などすれば、それこそ戦争になりかねない。


「そうだ、踏み倒しだ! 父上ならそうされたはずだ!」


 ゼノンは言い切る。


「だが、ただ踏み倒すだけでは芸がないな……。そうだ、リアム!」

「はっ!」


 控えていたリアムが、すぐさま前に出る。


「お前、確か剣の腕は立つのであったな?」

「はっ! ゼノン様のお役に立てるならば!」

「よろしい。ならば、その借用書の中から、特に態度の悪そうな債権者のリストを作れ。そして、私の名代として、その者たちの元へ行ってこい」

「……はっ。名代として、何をお伝えすれば?」

「ふん……」


 ゼノンは考える。

 父ならどう言うか。


「『ヴァルモン領主ゼノンは、貴様らのような者からの借りを返すつもりはない。身の程をわきまえよ』とでも伝えてやれ。ああ、そうだ。もし相手が逆らうようなら……分かっているな? お前の剣で、少々『お灸を据えて』やっても構わんぞ」


 ゼノンは、父がよくやっていたような「力による脅し」を指示したつもりだった。


「!! か、かしこまりました! ゼノン様のご命令とあらば、このリアム、必ずや!」


 リアムは、ゼノンの(とんでもない)命令に、一瞬ためらいつつも、その真意を(もちろん勘違いして)解釈した。

(ゼノン様は、悪質な債権者に対して、毅然とした態度で臨めと仰っているのだ! 武力も辞さないという強い意志を示すことで、相手に譲歩を迫る……高度な交渉術だ! よし!)


 コンラートは、リアムが本当に相手を斬りかねない勢いなのに内心冷や汗をかきつつも、ゼノンの言葉を必死に(良い方向に)解釈しようと努めた。


(若様は、踏み倒すと言いつつも、まずは交渉のテーブルにつかせようとされているのだな。相手の出方を探り、弱みを見つけ、そこを突いて有利な条件を引き出す……。リアム殿には、そのための『圧力』をかける役目を……。なんと計算され尽くした策だ……)


 コンラートは、借用書を一枚一枚丹念に調べ始めた。

 すると、予想通り、悪徳商人からの借金には、法外な利息や、契約そのものに不備があるものが多数見つかった。


(これならば……! 若様の仰る通り、正当な理由をもって支払いを拒否、あるいは大幅な減額を要求できる!)


 コンラートは、借用書の不備を盾に、粘り強い交渉を開始した。


 一方、リアムはリストアップされた債権者の元へ、騎士数名を連れて乗り込んでいった。

 彼はゼノンの言葉通り、「領主ゼノン様は、貴殿のこれまでの不当な行いに対し、非常にお怒りである!」と(脅しのつもりで)伝えた。

 しかし、先だって隣領から訪れた使者が持ち帰った報告もあり、周辺では既に「ゼノン=若いが油断ならぬやり手」という評判が広まりつつあった。


 債権者たちは、ゼノン本人ではなく、その側近であるリアムが武装して現れたことにまず恐怖し、さらに「不当な行い」という言葉に(思い当たる節がありすぎて)動揺した。

 彼らは、ゼノンが自分たちの悪事を全て把握しており、本気で潰しにかかってきたのだと早合点したのだ。


「も、申し訳ございません! ど、どうかゼノン様のお怒りをお鎮めください!」

「利息は結構です! いえ、元本も一部お返ししますので!」

「ど、どうか穏便に……!」


 リアムが剣を抜くまでもなく、債権者たちは次々と譲歩し、中には借用書を破り捨てて逃げ帰る者まで現れた。

 リアムは、相手があまりにもあっさりと引き下がったことに拍子抜けしつつも、「これも全てゼノン様の威光のおかげだ!」と、さらにゼノンへの忠誠を深めた。


 数日後。

 コンラートとリアムからの報告を受けたゼノンは、ご満悦だった。


「ふははは! 見たか! やはり父上のやり方(踏み倒し)は正しかったのだ! 力ある領主の前では、商人どもなど赤子の手をひねるようなものよ!」


 ゼノンは、自分の「威厳」が完全に通用したと確信した。


 コンラートは、ゼノンの「交渉術(?)」によって、予想以上の成果……特に悪質な借金が大幅に整理されたことに、驚きと畏敬の念を抱いていた。


(若様の読みは、これほどまでに深かったのか……。恐るべきお方だ……)


 リアムは、自分がゼノンの役に立てたことに、純粋な喜びを感じていた。


 こうして、ヴァルモン領を破滅の淵に追いやるはずだった莫大な借金の一部は、ゼノンの勘違いと、それをさらに勘違いした家臣たちの活躍によって、期せずして整理されることとなった。


 しかし、それでもなお、残された借金の額は依然として大きい。

 領地財政の根本的な問題が解決したわけではなかった。

 コンラートの胃痛は、まだしばらく続きそうである……。

本日はここまで。


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