第38話 交易の成果と次なる一手
ヴァルモン領と隣領バルツァー領との間で開始された試験的な交易は、最初の取引を終え、その結果がヴァルモン城にもたらされることになった。
先日、両領の境界近くの町で行われた交易市から、宰相コンラートと監察官エリオット、そしてギルドの代表者たちが、やや興奮した面持ちで帰還したのだ。
「ゼノン様! ただ今戻りました!」
コンラートは、執務室で退屈そうにしていたゼノンの前に進み出て、晴れやかな表情で報告を始めた。
「先日行われましたバルツァー領との交易市、大成功でございました!」
「ほう、成功とな」
ゼノンは、特に驚いた様子もなく、鷹揚に頷いた。
彼の中では、自分の威光の下で行われる交易が成功するのは、当然のことだった。
「はい! 我がヴァルモン領職人ギルドが製作した家具や陶器、革製品などが、バルツァー領の商人たちから、その品質の高さを大変評価されまして! 持ち込んだ品は、ほぼ完売! さらに、今後の継続的な取引の申し出もございました!」
コンラートは、実際に得られた利益と、持ち帰ったバルツァー領の産品(ゼノンが買い占めた布地以外の、まともな交易品)をゼノンの前に示した。
「これは……!」
さすがのゼノンも、目の前に積まれた銀貨の袋を見て、少しだけ目を見開いた。
彼がこれまで「税」として見てきたものとは違う、具体的な「利益」という形での富だ。
(ふむ……。交易というのも、なかなか儲かるものなのだな。父上も、だから熱心に商人どもと付き合っておられたのか……)
彼は、父の行動原理を、またしても都合よく「利益を生むための高等な戦略」と解釈した。
「これも全て、ゼノン様が、バルツァー卿の使者に対して、毅然とした態度で交渉に臨まれ、我が領の『格』を示されたおかげにございます! あの時のゼノン様の外交手腕がなければ、これほどの成果は得られませんでした!」
コンラートは、ゼノンのただ尊大だっただけの態度を、見事な外交交渉の結果だと絶賛した。
「う、うむ。当然であろう。私の手腕にかかれば、これくらいはな」
ゼノンは、内心では(外交……? 私はただ布地を買えと……まあ良い)と思いつつも、満更でもない表情で、コンラートの称賛を受け入れた。
自分の知らないところで物事が進み、結果的に利益が出た。
領主としては、それで良いのだ、と彼は考える。
隣で報告を聞いていたリアムは、目を潤ませていた。
「素晴らしい……! ゼノン様のご威光は、ついに領外にまで及び、富をもたらした! そして、その富を、さらなる領地の発展へと繋げようとされている! ああ、なんという名君!」
エリオットは、冷静に取引の結果を分析していた。
ギルド製品の品質が評価されたのは喜ばしい。
得られた利益も、領地の財政にとっては僅かだが助けになるだろう。
ゼノンが衝動買いした布地の代金を差し引いても、黒字にはなっている。
(問題は、この成功体験が、あの領主に、さらなる勘違いと暴走を引き起こさせないか、だな……)
エリオットの懸念は、的中した。
ゼノンは、目の前の銀貨の袋を眺めながら、新たなアイデアを思いついたのだ。
(父上は、得た富を、ただ蓄えるだけではなかった。それを『投資』し、さらなる富を生み出そうとされていた! そうだ、この利益も、ただ持っているだけでは意味がない! これを元手に、さらに大きな『儲け』を生み出すのだ!)
父が実際には、得た富をギャンブルや怪しげな投機という名の詐欺被害に注ぎ込んでいただけなのだが、ゼノンの記憶の中では、それは「積極的な投資活動」として美化されている。
「コンラートよ! この銀貨、ただ持っておってはつまらんな!」
ゼノンは、新たな指令を下した。
「これを元手に、何か『儲かる話』に投資するのだ! 父上がよく言っておられた、『一攫千金』というやつだ! 何か良い話はないのか!?」
「と、投資……!? い、一攫千金、でございますか!?」
コンラートは、顔面蒼白になった。
またしても、領主の危険な思いつきだ。
先代が「一攫千金」に手を出して、どれだけの借金を抱え込んだことか……。
(い、いかん! これだけは阻止せねば! しかし、若様の『投資』への意欲……これも、領地を発展させようというお気持ちの表れのはず……! ならば!)
コンラートは、必死に代替案を考えた。
「若様! まことに素晴らしいお考えです! 『投資』こそ、富を増やす要諦! しかし、ハイリスクな『一攫千金』よりも、まずは、堅実な『投資』から始められてはいかがでしょう?」
「堅実な投資?」
ゼノンは、眉をひそめた。
父は、もっと派手にやっていた気がするが……。
「はい! 例えば、今回の交易で得た利益を、職人ギルドの『設備投資』に充てるのです! より良い道具や、新しい技術を導入するための資金とするのです! そうすれば、ギルドはさらに質の高い製品を生み出し、交易による利益も増え、結果的に、領地全体が豊かになります! これぞ、最も確実で、将来性のある『投資』かと存じます!」
コンラートは、ゼノンの「投資」という言葉を利用し、ギルドへの設備投資という、極めてまっとうで、かつ領地の発展に繋がる提案へとすり替えた。
「……ギルドへの、設備投資……?」
ゼノンは、その言葉の意味を半分も理解していなかったが、「投資」という響きと、「利益が増える」という部分に、少しだけ興味を引かれた。
父も、職人たちに何かを与えて、働かせていたような気もする……。
(まあ、私が儲かるなら、それでも良いか……?)
「……ふん。まあ、貴様がそう言うなら、試してみるのも良かろう。だが、必ず『儲け』を出すのだぞ! もし失敗したら、タダでは済まさんからな!」
ゼノンは、いつもの脅し文句を付け加えながらも、コンラートの提案を許可した。
コンラートは、胸を撫で下ろした。
領主による怪しげな投機という最大の危機は、回避された。
そして、ギルドへの設備投資という、素晴らしい機会を得ることができた。
リアムは、主君の「決断」に、またしても感服していた。
「若様は、目先の利益に惑わされず、長期的な視点で、領地の産業基盤への『投資』をお決めになった! なんと賢明なご判断!」
エリオットは、その一部始終を見てもはや達観の境地だった。
(……一攫千金が、設備投資に化けたか。コンラート殿の機転、恐るべし……。まあ、結果的に、ギルドが強化されるなら、結構なことだ。この領地では、常に結果が全て、ということらしい……)
こうして、初めての交易で得られた利益は、領主の「一攫千金」の野望から守られ、職人ギルドの未来への「投資」へと姿を変えることになった。
ギルドの職人たちは、領主からの「期待」に応えるべく、新たな設備導入に向けて、意欲を燃やし始めるのだった。
ゼノンは、自分の「投資」が、具体的にどういう形で「儲け」を生むのか、全く理解しないまま、今日も領主としての手腕を発揮できたと、満足げに過ごすのだった。