第36話 執務室改装とミニマリズム(?)
若き「天才芸術家(?)」ルドルフに一任された、領主ゼノンの執務室改装プロジェクトは、静かに、しかし着実に、そして関係者の多大なる苦悩と共に進行していた。
プロジェクトの中心人物であるルドルフは、監察官エリオットからの助言を胸に、領主の支離滅裂な要求を、可能な限り「聞こえの良い」方向……すなわち、「最高級の素材」を「最高の技術」で「シンプル」に仕上げる、という方向で解釈し、作業を進めていた。
彼は、ギルド長のゲルトや、他の熟練職人たちの協力を得ながら、デザインと素材選びに没頭した。
ヴァルモン領の森の奥深くから切り出された、杢目の美しい巨大な一枚板。
石切り場で発見された、磨くと深い輝きを放つ希少な黒曜石。
ルドルフは、これらの「最高の素材」を使い、自身の持つ石工としての技術、そして協力してくれる木工師たちの技術を結集して、執務室の家具や内装を作り上げていった。
作業が進むにつれて、執務室の様子は徐々に変わり始めた。
壁は、特殊な漆喰で塗り替えられ、落ち着いた雰囲気を醸し出す。
床には、寸分の狂いもなく磨き上げられた石板が敷き詰められた。
そして、部屋の中央には、巨大な一枚板から作られた、重厚でありながらも一切の装飾がない、シンプルな執務机が置かれ、壁際には、黒曜石を削り出して作られた、ミニマルなデザインの本棚が設置された。
それは、ゼノンが当初要求した「豪華絢爛」「煌びやか」とは、まったく正反対の空間だった。
金も、宝石も、ドラゴンの彫刻も、どこにもない。
あるのは、最高級の素材が持つ本来の美しさと、それを最大限に引き出す職人たちの確かな技術、そして、極限まで削ぎ落とされたシンプルさだけだ。
それは、現代で言うところの「ミニマリズム」や「わびさび」に通じるような、ある種の静謐な美しさを湛えていた。
もちろん、ルドルフや他の職人たちに、そのような高尚な芸術思想があったわけではない。
彼らはただ、領主の無茶振りを何とか回避しつつ、「シンプル」というキーワードだけを頼りに、自分たちの技術でできる最高の仕事をした結果、偶然にもそのような空間を生み出してしまったのだ。
「……これで、大丈夫だろうか……」
改装がほぼ完了した執務室を見渡し、ルドルフは不安げに呟いた。
自分たちが作り上げた空間は、確かに美しい。
素材も技術も、最高のものを使った自信がある。
しかし、これが、あの領主様の求める「威厳」や「無限の可能性」に繋がるのだろうか?
むしろ、「地味だ!」と一蹴されるのではないか……。
ゲルトや他の職人たちも、同様の不安を抱えていた。
そんな不安が最高潮に達した頃、領主ゼノンが、例によって「進捗状況の視察」にやってきた。
リアムを伴い、改装された執務室に足を踏み入れたゼノンは、一瞬、言葉を失った。
「…………」
彼の目の前に広がっていたのは、予想していた金ピカで宝石だらけの空間とは、似ても似つかない、静かで、落ち着いた、あまりにもシンプルな部屋だった。
(な……なんだ、これは……!?)
ゼノンは、眉をひそめた。
金はどこだ? 宝石は? 私の勇ましい姿は? ドラゴンの彫刻は?
何もないではないか!
ただ、だだっ広い空間に、地味な机と棚が置いてあるだけ……。
(ルドルフめ……! 私の命令を、無視しおったな!?)
怒りがこみ上げてきた。
今すぐ、この手抜き工事を糾弾し、厳罰に処してやろう、と。
しかし、その時、彼の脳裏に、いつかの父の言葉が都合よく蘇ってきた。
(父上は言っていた……。『真の強者とは、多くを語らず、その存在感だけで相手を圧倒するものだ』と……。そして、『派手な装飾に頼るのは、自信のない弱者のすることだ』とも……!)
ゼノンは、目の前のシンプルな空間と、父の言葉を、強引に結びつけた。
(そうだ! この、何もなさ……! この、静けさ……! これこそが、真の『威厳』の現れなのではないか!? 派手な装飾などなくとも、最高級の素材と、それを支配する私の『存在感』だけで、十分なのだ! むしろ、このシンプルさこそが、私の『無限の可能性』……何色にも染まっていない、これから私が自由に描き出す未来を、最も雄弁に物語っている!!)
ゼノンの勘違いは、もはや芸術の域を超え、哲学の領域にまで達しようとしていた。
彼は、このミニマルな空間こそが、自分の深遠な哲学を完璧に体現した、究極のデザインだと、完全に思い込んだのだ。
「……ふ、ふはは……! 素晴らしい! ルドルフよ! 見事だ! 実に見事だぞ!!」
ゼノンは、前回と同じように、突然、高らかに笑い出した。
その場にいたルドルフ、ゲルト、他の職人たち、そしてリアムまでもが、その予想外すぎる反応に、完全に凍り付く。
「これだ! これこそが、真の『領主の執務室』だ! この、多くを語らぬ威厳! この、無限の可能性を感じさせる空間! 貴様は、私の考えを、完璧に理解しておる! いや、私の想像を超えてきた!」
ゼノンは、ルドルフの肩をバンバン叩きながら、手放しで絶賛した。
「え……? あ……? は、はぁ……???」
ルドルフは、何が何だか分からないまま、ただただ呆然と領主を見上げていた。
(多くを語らぬ威厳……? 僕、ただシンプルにしただけなんだけど……?)
リアムは、すぐに主君の言葉の「真意」を都合良く理解した。
「おお! なるほど! 派手さだけが威厳ではない! この静謐さ、この素材の力強さこそが、真の王者の風格! ゼノン様のお考えの深さ、そしてルドルフ君の才能、恐れ入りました!」
彼は、新たな感動に打ち震えていた。
後でこの話を聞いたコンラートも深く頷いた。
「ほう……執務室を、あえてシンプルに……。これは、『質実剛健』を旨とし、華美を戒めるという、若様の高潔な精神の表れですな。それでいて、最高級の素材を使うことで、決して貧相には見せない……。なんと計算され尽くした空間演出……!」
エリオットは、完成した執務室を見て、そしてゼノンがそれを絶賛したという報告を聞き、もはや笑うしかなかった。
(……勘違いが、一周回って、まともな結果を生み出してしまった……。いや、まともなのか? この空間は……。だが、少なくとも金ピカ悪趣味部屋よりは、はるかにマシだ……。結果オーライということにしておくか……)
彼は、もはやこの領地で起こる出来事の論理的な分析を、完全に放棄することに決めたようだった。
こうして領主ゼノンの執務室は、最高級の素材と技術で作られた極めてシンプルで、ある意味では非常に美しい、そして、領主の意図とは全く関係のない空間へと生まれ変わった。
それは、「若き名君(?)ゼノン様の高潔さと深遠なる哲学を体現した部屋」として、家臣たちの間で語り継がれることになるのだった。
ルドルフは、相変わらず困惑しながらも、「天才芸術家」としての名声を本人の意思とは無関係にさらに高めていくのだった。