第33話 若き才能と領主の期待
隣領バルツァーとの外交交渉が表面上は順調に進み、城内の悪趣味な飾り付けにもゼノン以外には目が慣れ始めた頃。
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンは、日々の政務という名の書類へのサインと、家臣からの報告を聞き流すことにも飽き飽きしていた。
「ふむ……。何か面白いことはないのか……」
彼は執務室で、窓の外をぼんやりと眺めながら呟く。
視線の先には、あの「未来への希望の象徴」とされる石柱が見えた。
(何度見ても、あの柱は素晴らしい……。私の無限の可能性を、実に見事に表現しておる)
ゼノンは、改めて自分の美的センスと、それを理解し形にした職人の才能に感心した。
(そうだ! あの柱をデザインした若者がいたな。たしか……ルドルフ、とか言ったか。あの才能、埋もれさせておくのは惜しい! 父上ならば、有望な若者は積極的に『引き立て』、自分のために働かせたはずだ!)
父が実際には、自分に媚びへつらう者や、利用価値のある者だけを都合よく使っていただけなのだが、ゼノンの記憶の中では、それは「才能を見抜き、育てる」という、領主の重要な徳目としてインプットされている。
「コンラート! あの記念碑をデザインした石工見習いを、すぐに私の元へ連れてまいれ!」
「はっ! ルドルフ君でございますね。かしこまりました!」
コンラートは、ゼノンが若き才能に目をかけようとしていると解釈し、喜んで手配に向かった。
彼は、内心(おお、若様は、ついに人材育成にまでお考えが……! 素晴らしい!)と感動していた。
しばらくして、ルドルフが、緊張で顔をこわばらせながら、執務室へ連れてこられた。
彼は、ギルド長のゲルトから、「領主様がお呼びだ。くれぐれも粗相のないように」と、何度も言い含められてきた。
「……石工見習いのルドルフ、と申します。お、お呼びにより、参上いたしました」
ルドルフは、震える声で挨拶し、深く頭を下げた。
目の前の若き領主が、なぜ自分を呼び出したのか、見当もつかない。
何か、とんでもない失敗でもしてしまったのだろうか、と不安でいっぱいだった。
「うむ。ルドルフとか言ったな。顔を上げよ」
ゼノンは、父を真似た威厳のあるつもりの口調で言った。
「貴様のデザインした、あの記念碑……実に素晴らしかったぞ」
「え……あ、ありがとうございます……!」
予想外の褒め言葉に、ルドルフは驚き、そして少しだけ安堵した。
「あのシンプルな柱が、私の無限の可能性と、ヴァルモン領の輝かしい未来を、あれほどまでに深遠に表現しているとは……。貴様の才能、まさに非凡と言えよう!」
ゼノンは、自分の勘違い甚だしい解釈を、さも当然のように語り、ルドルフを絶賛した。
「む、無限の可能性……? か、輝かしい未来……?」
ルドルフは、きょとんとして聞き返した。
自分がデザインに込めたつもりの素朴な意味とは、かけ離れすぎている。
領主様は、一体何を言っているのだろうか?
ゼノンは、ルドルフの困惑した表情を、「私の深遠な考えについてこれず、恐縮しているのだな」といつものように都合よく解釈した。
「ふっ……。まあ、貴様にはまだ、私の考えの全てを理解するのは難しいかもしれんな。だが、その才能は認めよう」
彼は、鷹揚に頷くと、本題を切り出した。
「そこで、ルドルフよ。貴様に、新たな仕事を任せたい」
「は、はい! なんなりと!」
ルドルフは、領主の役に立てるかもしれないことに、緊張しながらも、少しだけ期待感を抱いた。
「うむ。実はな、先日、ギルドの連中が『特産品』なるものを試作しておったのだが……」
ゼノンは、先日見た、あの金ピカの謎の物体を思い出した。
あれは、素材のアイデアは良かったが、デザイン自体は、まだ洗練されていないように感じていた。
「あの、金色の……なんだ、水差しのような……。あれのデザインを、貴様に手直しさせたいのだ!」
「ええっ!? あ、あれを、僕が……ですか?」
ルドルフは、目を剥いた。
あの、ギルドの職人たちが領主の機嫌を取るためだけに半ばやけくそで作った、悪趣味極まりないオブジェのことを言っているのか?
あんなものを、自分が?
「そうだ。あの記念碑と同じ『哲学』をもって、あ
の作品を、さらに素晴らしいものへと昇華させるのだ! もちろん、金や宝石は、ふんだんに使って良いぞ! 私の威光を示すにふさわしい、最高の『芸術作品』を期待しておる!」
ゼノンは、悪趣味なオブジェの改良という、さらなる無茶振りを、満面の笑みでルドルフに命じた。
「……あ、あの……『同じ哲学』、と、仰いますと……?」
ルドルフは、震える声で尋ねた。
記念碑の「無限の可能性」とやらと、金ピカの悪趣味オブジェが、どう繋がるというのか、全く理解できない。
「む? だから、『無限の可能性』であり、『輝かしい未来』であり、そして『私の偉大さ』を表すということだ! 分からんか!?」
ゼノンは、少し苛立ったように答えた。
彼の頭の中では、全てが繋がっているつもりなのだ。
「は、はぁ……」
ルドルフは、もはや思考を放棄し、力なく返事をするしかなかった。
領主様の言うことは、やっぱりよく分からない……。
このやり取りを、少し離れた場所で聞いていたコンラートとリアムは、またしても主君の行動に感銘を受けていた。
コンラート:「おお……若様は、ルドルフ君の才能を高く評価され、さらに難しい課題を与えることで、彼を育てようとされているのだな! なんと素晴らしい人材育成術!」
リアム:「記念碑の哲学を、他の作品にも応用させるとは! 若様の目指す『ヴァルモン・スタイル』とでも言うべき、新たな芸術様式が、ここから生まれるのかもしれない! 末恐ろしいお方だ!」
二人の勘違いは、留まるところを知らない。
エリオットは、報告を受けて頭痛を覚えた。
(……記念碑の次は、あの金ピカか……。しかも、デザインしたのは、あの純朴そうな見習い少年……。彼は、一体どうすればいいのだ? ああ、また現場が混乱する……)
彼は、ルドルフ少年に、心からの同情を送ることしかできなかった。
「……期待しておるぞ、ルドルフ。何か必要なものがあれば、コンラートに言え」
ゼノンは、そう言い残すと、満足げに頷き、ルドルフを下がらせた。
ルドルフは、わけのわからない課題を押し付けられ、青ざめた顔で執務室を後にした。
彼の頭の中は、「無限の可能性」「金ピカ」「領主様の偉大さ」という、全く相容れないキーワードで、ぐちゃぐちゃになっていた。
果たして、ルドルフは、領主の期待という名の無茶振りに応え、新たな「芸術作品」を生み出すことができるのだろうか……?
ヴァルモン領の未来は、若き才能の苦悩と共に、今日もまた、奇妙な方向へと進んでいくのだった。