第28話 隣領からの使者、再び
ヴァルモン領から鍛冶屋ボルコフが姿を消してしばらく経ったが、領内はその不在に気づいている者も少なく、概ね平穏な日々が続いていた。
豊作による食料備蓄は十分で、職人ギルドは領主の悪趣味な「助言」に頭を悩ませながらも、何とか活動を続け、新しい農法も徐々にではあるが領内に浸透し始めていた。
そして、城門前の石柱は、すっかり領民にとって「未来の象徴」として親しまれるようになっていた。
こうしたヴァルモン領の変化……特に、豊作と、それに伴う領主主催(ということになっているの豊穣感謝の宴の噂は、隣接する領地にも伝わっていた。
中でも、かつて先代ヴァルモン卿と犬猿の仲であり、代替わり後の混乱に乗じて何か企んでいると噂された隣領の領主、バルツァー卿は、その噂に半信半疑ながらも、強い関心を寄せていた。
以前、彼が偵察目的で送り込んだ使者は、「新領主ゼノン、若いが侮りがたし」という報告を持ち帰ってきた。
その後、ヴァルモン領が安定を取り戻し、豊作に沸いているという。
これは、どういうことなのか?
あの悪徳領主の息子が、本当に領地を立て直しているというのか?
あるいは、何か裏があるのか?
バルツァー卿は、真偽を確かめ、そして可能であれば、この状況を利用するために、再びヴァルモン領へ使者を送ることにした。
今度の使者は、前回とは違い、より丁重な態度で、表向きは「豊作の祝いと、今後の友好関係の確認」を目的としていた。
「隣領、バルツァー卿よりの使者様が、ご到着なされました!」
その報せを受けたゼノンは、執務室でふんぞり返りながら、鼻を鳴らした。
「ほう、バルツァーのところからか。ふん、私の偉大さが、ようやくあの男にも理解できたようだな。よかろう、会ってやる」
彼は、前回の使者が自分の威厳に恐れおののいて帰っていったことを思い出し、今回も自分の力を見せつけてやろうと考えていた。
父上なら、こういう時、相手を値踏みするように、尊大に振る舞ったはずだ。
広間に通された使者は、年の頃は四十代半ば、物腰の柔らかそうな文官風の男だった。
彼は、深々と頭を下げ、丁寧な口上を述べた。
「ヴァルモン領主、ゼノン閣下におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。我が主、バルツァーは、貴領の近年ますますのご発展、特にこの度の豊作を、我がことのように喜んでおり、ささやかながらお祝いの品を持参いたしました。つきましては、今後とも、両家の友好関係を深めさせていただきたく……」
使者は、非常に丁重に、友好をアピールしてきた。
前回とは全く違う態度だ。
ゼノンは、内心(ふふん、やはり私の威光が効いておるわい)と満足しながらも、父ならば簡単に友好など結ばなかったことを思い出す。
父は常に疑り深く、相手の足元を見て、有利な条件を引き出そうとしたはずだ。
「……ふん。バルツァーも、ようやく私に媚びる気になったか」
ゼノンは、わざと相手を見下すような口調で言った。
「友好、だと? 結構な心がけだが、口先だけでは信用できんな。我がヴァルモン領と友好を結びたいというならば、それ相応の『誠意』を見せてもらわねばな。例えば……」
ゼノンは、父が悪徳商人や他の貴族から金品を巻き上げていたことを思い出し、同じように要求しようとした。
「例えば、貴様のところの……なんだ、あの、ええと……キラキラした石とか、そういうものをだな……」
しかし、具体的な「たかり方」を知らないゼノンは、言葉に詰まってしまった。
使者は、ゼノンの突然の要求に、一瞬、目を丸くしたが、すぐに表情を取り繕った。
(……なるほど。噂通り、この若き領主は、直接的で、良くも悪くも裏表がない性格なのかもしれないな。あるいは、これは我々の本気度を探るための、一種の揺さぶりか……?)
使者は、ゼノンの言葉を深読みしようと努めた。
その時、ゼノンの隣に控えていた宰相コンラートが、助け舟を出した。
「若様! バルツァー卿からの友好の申し出、誠にありがたいことではございませんか。キラキラした石……宝石などの贈り物も結構ですが、両領の真の友好を示すには、やはり、具体的な『協力関係』を築くことが肝要かと存じます」
コンラートは、ゼノンの「たかり」を、うまい具合に「具体的な協力関係の要求」へとすり替えた。
「例えば、最近我が領で設立されました職人ギルドの製品を、バルツァー卿の領内で販売させていただくとか、あるいは、両領合同で街道整備を行うなど……そのような『誠意』こそが、真の友好の証となるのでは?」
コンラートは、使者に向かって、穏やかに、しかし的確に提案した。
「ほう……? ギルド製品の販売……街道整備……」
使者は、コンラートの提案に興味を示した。
それは、バルツァー領にとっても利益のある、現実的な提案だ。
(この宰相……なかなかの切れ者だな。若き領主の意向を汲みつつ、具体的な交渉を進めようというのか)
ゼノンは、コンラートが何を言っているのか半分も理解していなかったが、自分の「宝石を寄越せ」という要求が、何やら立派な「協力関係」の話にすり替わり、しかも相手がそれに興味を示しているらしい状況に、(まあ、私の威光が通じたのなら、それで良いか)と、適当に頷いた。
「う、うむ。コンラートの言う通りだ! そのくらいの『誠意』は見せてもらわねば、友好など結べんぞ!」
ゼノンは、知ったかぶりをして、話を合わせた。
リアムは、その様子を見て、またしても感動していた。
「さすがはゼノン様! そしてコンラート閣下! 相手の申し出をただ受け入れるのではなく、逆にこちらから具体的な要求を突きつけ、主導権を握るとは! これぞ、ヴァルモン領の外交術!」
エリオットは、その一連のやり取りを、冷ややかな、そしてもはや慣れっこになった目で見守っていた。
(……始まった。領主が失言し、宰相がそれを捻じ曲げて好意的に解釈し、騎士が感動し、相手が困惑しつつもなぜか納得する……。ヴァルモン領の日常風景だな……)
彼は、もはや驚きもしなかった。
結局、この日の会談では、具体的な決定には至らなかったものの、「両領の友好関係を前向きに検討し、具体的なギルド製品の交易や街道整備などの協力策について、今後、事務レベルで協議を進める」ということで合意がなされた。
使者は、ゼノン領主の掴みどころのない性格と、それを補佐する有能な家臣団に、強い印象を受けながら、バルツァー領へと帰っていった。
彼は主君に、「ゼノン領主、やはり一筋縄ではいかぬ人物。しかし、宰相コンラートは現実的で、交渉の余地はあり。ギルドとの交易などは、我が領にとっても利益となる可能性あり」と報告するだろう。
ゼノンは、隣領の使者を自分の威厳で手玉に取ったと満足し、コンラートは外交交渉で大きな一歩を踏み出せたと安堵し、リアムは主君の外交手腕に感服し、エリオットは(どうせまた勘違いだろうな)と達観していた。
ヴァルモン領の対外関係は、多くの勘違いを内包しながらも、少しずつ動き出そうとしていた。