第27話 さらばボルコフ
領主ゼノンによる「芸術的(?)助言」を受けた職人ギルドの特産品開発は、開始早々、完全な迷走状態に陥っていた。
金粉入りの壺、宝石を散りばめたドラゴンの脚を持つ椅子……。
そんな現実離れしたそして悪趣味な試作品を作る気力も資材もなく、職人たちはただただ頭を抱える日々が続いていた。
ギルド長のゲルトは、領主の意向と現実との間で板挟みになり、胃の痛む毎日を送っている。
そんなギルドの混乱ぶりなど露知らず、領主ゼノンは、自分の「的確な指導」によって、きっと素晴らしい特産品が生まれるだろうと信じ、上機嫌で過ごしていた。
宰相コンラートと騎士リアムも、領主の「斬新な発想」を称賛し、その完成を心待ちにしている。
監察官エリオットだけが、この茶番劇の行く末を、冷めた目で見守っていた。
一方、その頃、城下の一角では、かつての有力な鍛冶屋の親方であったボルコフが、屈辱的な日々を送っていた。
ギルドの下働きとして、彼は来る日も来る日も、単調でキツイ肉体労働を強いられていた。
石運び、溝掘り、そして時には、自分がかつて見下していた職人たちの工房の掃除までさせられる始末。
監視の騎士はいるものの、記念碑が完成し、大きな騒動も一段落したせいか、その監視も以前ほど厳しいものではなくなってきているように感じられた。
(ちくしょう……! あの若造領主め……! ギルドの連中も、俺を笑いものにしやがって……!)
ボルコフの心の中では、憎悪と復讐の念が、黒い炎のように燃え続けていた。
彼は、労働の合間に、密かに周囲の状況を観察し、逃亡の機会を窺っていた。
財産も工房も失った今、このヴァルモン領にいても、未来はない。
領外へ出て、力を蓄え、いつか必ず……!
そんなある日のことだった。
その日は、領主ゼノンが、またしても突拍子もないことを思いついた日だった。
「そうだ! 我がヴァルモン領の『象徴』たる、あの記念碑! あれを、もっと輝かせるための『儀式』を行うべきだ!」
ゼノンは、父が悪趣味な像の前で意味不明な祈祷のようなことをしていたのを思い出し、それを真似しようと考えたのだ。
「コンラート! リアム! すぐに準備をせよ! 城下の者どもを集め、私が直々に、あの柱に『更なる力』を注入する儀式を執り行う!」
「はっ! 柱に力を……!? なんと神聖な儀式でしょう!」
コンラートとリアムは、またしてもゼノンの奇行を深遠なものと解釈し、慌ただしく準備を始めた。
城下の広場に人々が集められ、ゼノンは、父の真似をして、意味不明な彼が創作した呪文を唱えながら、柱の周りを練り歩くという、奇妙な儀式を開始した。
当然、城下の警備はこの「重要儀式」に駆り出され、他の場所の監視は手薄になる。
ボルコフの監視役だった若い騎士も、領主の奇行を一目見ようと、持ち場を少し離れて広場の様子を窺っていた。
(……今だ!)
ボルコフは、この千載一遇のチャンスを逃さなかった。
彼は、周囲の目を盗み、作業道具を放り出すと、素早く裏路地へと駆け込んだ。
長年の土地勘を頼りに、彼は人目を避けながら、城壁の最も警備が手薄な場所へと向かう。
幸い、ギルドの下働きとして様々な場所へ出入りさせられていたため、抜け道や抜け穴の情報も、彼は密かに集めていたのだ。
途中、彼は偶然通りかかった食料品店の裏手で、店主が目を離した隙に、パンと干し肉を数個、素早く盗み取った。
(これが、せめてもの腹いせだ)と、彼は内心で毒づく。
そして、ついに彼は、ほとんど使われていない古い水路の出口にたどり着いた。
格子は錆びつき、壊れかかっている。
彼は最後の力を振り絞り、格子をこじ開けると、汚水にまみれながらも、ついにヴァルモン領の城壁の外へと脱出した。
彼は、振り返り、遠くに見えるヴァルモン城と、忌々しい石柱を睨みつけた。
(……覚えていろよ、ゼノン・ファン・ヴァルモン……! ギルドの連中もだ……! この屈辱、必ず……!)
彼は、小さな声でそう呟くと、盗んだパンをかじりながら、夜の闇へと姿を消した。
彼の向かう先がどこなのか、そして彼がどのような未来を辿るのか、今はまだ誰も知らない。
翌日。
ボルコフの姿が見えないことに、ようやく人々は気づき始めた。
監視役の騎士は、自分の持ち場を離れたことを必死に隠しながら、「昨日の儀式の後、姿が見えなくなったようで……」と曖昧に報告した。
報告を受けたリアムは、少し考えた後、こう結論付けた。
「ふむ……。おそらく、ボルコフめは、昨日のゼノン様の神聖な儀式を目の当たりにし、自らの罪を深く悔い改め、人知れず巡礼の旅にでも出たのだろう! そうに違いない!」
彼のポジティブすぎる解釈は、健在だった。
コンラートも、リアムの報告を聞き、頷いた。
「ほう、巡礼に……。それならば、仕方あるまい。若様の慈悲は、罪人の心をも動かすということか。これもまた、若様のお導きであろう」
彼は、ボルコフの逃亡を、ゼノンの徳の高さの表れだと解釈した。
この件がゼノンに報告されると、彼は一瞬「ボルコフ? 誰だそれは?」という顔をしたが、すぐに思い出した。
「ああ、あの鍛冶屋か。ふん、どこへ行こうと、私の知ったことではないわ。せいぜい、私の偉大さを語り継ぐが良い」
彼は、ボルコフの存在など、もはや全く意に介していなかった。
監察官エリオットだけが、ボルコフ逃亡の報告に、眉をひそめた。
(巡礼……? 馬鹿な。十中八九、逃亡だろう。それも、領内、あるいは領外で、何か良からぬことを企む可能性がある……。要注意人物リストに、名前を加えておくべきか……)
彼は、今後の潜在的な脅威を冷静に分析していたが、その懸念を、今のヴァルモン城で真剣に受け止める者は、残念ながら誰もいなかった。
こうして、鍛冶屋ボルコフは、誰に惜しまれることもなくヴァルモン領から姿を消したのだった。