第24話 実りの秋と領主の食卓
ヴァルモン領に、実りの季節が訪れようとしていた。
春先に領主ゼノンが「お墨付き」を与えた(ということにされている)新しい農具と改良種の種子は、監察官エリオットの地道な指導と、農民たちの(領主への畏敬の念に後押しされた)勤勉さによって、予想以上の成果をもたらし始めていた。
畑には、黄金色の稲穂が重そうに頭を垂れ、野菜畑も色とりどりの実りで溢れている。
明らかに、例年よりも豊かな収穫が見込めそうだ。
「おお……! これは、すごい……!」
「領主様のお墨付きのクワと種は、本物だったんだな!」
「ありがてぇ、ありがてぇ……!」
農民たちは、自分たちの畑を見渡し、驚きと喜びの声を上げていた。
長年の苦しい生活の中で忘れかけていた、豊作への期待が、彼らの胸に込み上げてくる。
そして、その感謝の念は、自然と、この改革のきっかけを与えたとされる領主ゼノンへと向けられた。
この朗報は、すぐに城にもたらされた。
宰相コンラートは、農政担当官からの報告を受け、感極まった様子で執務室のゼノンに報告した。
「ゼノン様! 素晴らしいご報告がございます! 領内の畑が、近年稀に見る大豊作となりそうなのです!」
「ほう、豊作とな?」
ゼノンは、執務室の椅子にふんぞり返ったまま、特に興味もなさそうに相槌を打つ。
彼にとっては、税さえきちんと納められれば、豊作だろうが凶作だろうが、大きな関心事ではなかった。
しかし、コンラートは興奮冷めやらぬ様子で続ける。
「はい! これも全て、ゼノン様が、あの時、農民たちに檄を飛ばされ、新しい農具と種に『お墨付き』を与えてくださったおかげにございます! 農民たちは、ゼノン様への感謝の念で満ち溢れておりますぞ!」
「ふむ……」
ゼノンは、コンラートの言葉を聞いて、少しだけ気分が良くなった。
(そうか、あの時の私の『お墨付き』が、これほどの成果を生んだのか。やはり、領主の威光というものは、作物の出来にまで影響を与えるのだな。父上も、きっと同じようにして豊作をもたらしていたに違いない)
彼は、自分の影響力の大きさに、改めて感心した。
「当然の結果であろう。私の領地なのだからな」
ゼノンは、尊大にそう言い放った。
コンラートは、その自信に満ちた態度に、ますます畏敬の念を深める。
リアムも、この報告を聞きつけて、目を輝かせていた。
「素晴らしい! ゼノン様のご威光が、ついに大地にまで届いたのですね! 天も、ゼノン様の偉大な統治を祝福しておられるのです!」
彼の解釈は、もはや神話の領域に達している。
エリオットは、豊作の報告に安堵しつつも、その原因が全てゼノンの「お墨付き」や「威光」に帰せられている状況に、苦笑いを禁じ得なかった。
(まあ……結果が良ければ、理由はともかく……か。しかし、このままでは、本当の功労者である農民たちの努力や、私の指導の意味が……いや、考えるのはよそう)
彼は、この領地における「真実」の追求を、既に放棄している。
今は、この豊作を、いかに領地全体の利益に繋げるかを考える方が建設的だ。
収穫が本格的に始まると、新たな問題が持ち上がった。
予想以上の収穫量のため、各地の倉庫が早々に満杯になり始めたのだ。
このままでは、せっかく収穫した作物が、保管場所がなく、無駄になってしまうかもしれない。
この問題は、すぐにコンラートを通じてゼノンに報告された。
「なに? 倉庫が足りんだと? 馬鹿な! それだけ豊作だったということではないか! 喜ばしいことのはずだ!」
ゼノンは、問題の本質を理解せず、いつものように的外れな反応を示す。
(父上なら、こういう時どうした? そうだ、父上は『余ったものは、全て私のものだ』と仰っていた! 領主が豊かになるのは当然のこと!)
「よし、ならば簡単なことだ!」
ゼノンは、またしても名案を思いついた。
「倉庫に入りきらぬ分は、全て城へ運び込め! 私の食卓を、もっと豪華にするのだ! 領主たるもの、常に最高の食事をとる権利がある! そうだろ、コンラート!」
「は……はぁ……!? 全て、城へ……? 領主様の食卓に、でございますか……?」
コンラートは、耳を疑った。
いくら豊作とはいえ、余剰分全てを領主が独占するなど、暴挙以外の何物でもない。
それでは、農民たちの手元には何も残らず、結局は先代と同じ道を辿ることになる。
(い、いかん! 若様は、豊作に気分を良くされ、つい先代のようなお考えを……! しかし、若様の本心は、きっと領民を思ってのことのはず……!)
コンラートは、必死に(都合の良い)解釈を探す。
(そうだ! 若様は、『城へ運び込め』と仰ったが、それは『領主の食卓』のためだけではない! 城の倉庫……すなわち『公的な備蓄』として確保し、将来の凶作や、あるいは領民への分配に備えよ、という深遠なるお考えなのだ! 『私の食卓を豪華に』というのは、そのための、ほんの少しの『お味見』、あるいは『品質検査』という意味合い……!)
コンラートは、自分の完璧な(勘違い)解釈にたどり着き、安堵の息をついた。
「かしこまりました、ゼノン様! その深遠なるお考え、しかと受け止めました! 余剰作物は、城にて『適切に管理』し、ヴァルモン領全体の『備え』とさせていただきます!」
コンラートは、力強く応えた。
「……ん? 備え? まあ、良い。とにかく、私の食事が豪華になれば、それで良いのだ」
ゼノンは、コンラートの言葉の意味をよく理解しないまま、自分の要求(食卓の豪華さ)が通ったと思い込み、満足げに頷いた。
このやり取りを聞いていたリアムとエリオットの反応は対照的だった。
リアム:「おお! ゼノン様は、豊作の恵みを独占なさるのではなく、将来の領民のために備蓄されることをお考えだったとは! なんという慈悲深さ! そして、それを『食卓を豪華に』という言葉で、我々に分かりやすく示唆されるとは! これぞ名君!」
エリオット:(……『適切に管理』? 『備え』? コンラート殿は、またしても領主の暴言を、都合よく解釈したようだな……。しかし、結果的に、作物が無駄になることは避けられ、公的な備蓄が増えることになる。これは……まあ、良い方向に転んだ、と言うべきか……。だが、いつかこの勘違いが、破綻する時が来るのではないか……?)
エリオットの懸念は、深まるばかりだった。
こうして、豊作による倉庫不足問題は、ゼノンの「食い意地」と、コンラートの「深遠なる(勘違い)解釈」によって、奇妙な形で解決されることになった。
城の倉庫には、続々と新鮮な野菜や穀物が運び込まれ、確かにゼノンの食卓も、以前よりは少しだけ彩り豊かになった。
ゼノンは、毎日運ばれてくる自分だけでは到底食べきれない量の食材を見て、ご満悦だった。
「うむ、うむ。豊作とは良いものだ。私の食卓がこれだけ豪華になるのだからな。やはり、私の統治は間違っていない!」
彼は、城の倉庫に積み上げられた食料が、自分のためだけではなく、領民のための「備え」として管理されていることなど、全く知らないまま、今日も豊かな日々を送るのだった。