第21話 畑と領主と新しいクワ
城門前の広場に例の石柱が完成し、領民の間で「未来への希望の象徴」として(勝手に)定着し始めてから、ヴァルモン領は比較的穏やかな日々が続いていた。
領主ゼノンは、自分の偉大な統治(の成果である石柱)に満足し、しばらくは新たな「父上の真似」を思いつくこともなく、執務室で退屈そうにしていることが多かった。
その間隙を縫うように、監察官エリオットは宰相コンラートの協力を得て、地道に領政改革を進めていた。
目下の課題は、試験農場で一定の成果が見られた新しい農法と農具の普及である。
「……というわけで、この新型のクワは、従来の物よりも深く、効率的に土を耕すことができます。また、こちらの種は、収穫量が多く、病にも強い品種改良されたものです」
エリオットは、領内のいくつかの村の代表者や、意欲のある農民たちを集めた説明会で、熱心に資料を広げて説明していた。
彼の説明は論理的で、データに基づいたものだったが、長年古いやり方に慣れ親しんできた農民たちの反応は、今ひとつ鈍い。
「ふぅん、新しいクワねぇ……」
「種ねぇ……。本当に、そんなうまい話があるのかねぇ」
「今のやり方で、別に困っちゃいねぇが……」
彼らの表情には、期待よりも疑念や戸惑いの色が濃い。
エリオットは、根気強く、質疑応答を繰り返すが、なかなか彼らの心を掴むことができない。
その状況を打開(?)したのは、やはりこの男だった。
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンである。
彼は、エリオットが農民を集めて何かやっていると聞きつけ、「領主たるもの、領民の働きぶりは常に監視せねばならん」という父の教え(という名の単なる暇つぶし)を思い出し、リアムを伴って説明会の会場に現れたのだ。
「む? 貴様ら、何をごちゃごちゃとやっておるのだ?」
ゼノンは、尊大な態度で会場に入ってきた。
農民たちは、突然の領主の登場に、びくりとして姿勢を正す。
エリオットは、内心と溜息をついた。
コンラートが、すかさずゼノンに状況を説明する。
「はっ、ゼノン様。こちらは監察官エリオット殿が、領地のさらなる発展のため、新たな農法と農具について、農民たちにご説明されているところでございます。これも全て、ゼノン様のお導きのおかげ……」
「ふむ、新しい農具だと?」
ゼノンは、エリオットが示していた新型のクワに目を留めた。
それは、従来の物よりも刃の部分が改良され、柄も握りやすいように工夫されている。
(……なんだ、この奇妙な形のクワは? 父上が使わせていたのは、もっとこう、重々しくて、威厳のある……いや、ただ古臭いだけだったか? 父上は農具など気にしていなかったような……。いや、待て! 父上は、『道具は一流のものを使え』と仰っていた気がする! そうだ、良い道具は権威の象徴なのだ!)
ゼノンの脳内で、またしても都合の良い記憶の捏造と勘違いが始まった。
「なるほどな! このクワ、なかなか良いではないか!」
ゼノンは、突然、新型クワを手に取ると、高らかに宣言した。
「見た目も、いかにも『切れそう』でよろしい! これぞ、我がヴァルモン領の農民にふさわしい、一流の道具よ!」
彼は、クワの性能ではなく、見た目の印象(と、父の言葉とされるもの)だけで、それを絶賛したのだ。
「え……?」
エリオットは、ゼノンの予想外の反応に戸惑う。
性能について説明しようとした矢先だった。
「良いか、農民ども!」
ゼノンは、クワを掲げながら、農民たちに向き直る。
「領主たる私が、このクワを『良い』と認めたのだ! すなわち、これは『領主様お墨付き』のクワである! ありがたく思い、この素晴らしいクワを使って、死ぬ気で働け! そうすれば、収穫量など、気合でどうにでもなるわ!」
ゼノンは、いつもの精神論と、父譲りの(つもりの)威圧的な口調で締めくくった。
農民たちは、領主の言葉に唖然としていたが、同時に「領主様お墨付き」という言葉に、妙な説得力を感じ始めていた。
「りょ、領主様が、そこまで言うなら……」
「そんなに良いクワなのか……」
「確かに、見た目もなんか、すごそうだ……」
先ほどの疑念はどこへやら、彼らの目には、新型クワへの興味と、領主への畏敬の念が浮かび始めていた。
説明会は、エリオットの意図とは全く違う形で、大成功(?)を収めることになった。
リアムは、主君の「お墨付き」宣言に、いつものように感動していた。
「さすがはゼノン様! 一目で道具の本質を見抜かれ、農民たちにやる気と希望を与えられた! あのクワを使えば、きっと収穫量も飛躍的に伸びることでしょう!」
コンラートも、深く頷いている。
「うむ。若様のお言葉は、常に我々の予想を超える。農民たちの士気も、これで大いに上がったはずだ」
エリオットは、もはや何も言うまい、と固く決意した。
彼は、ゼノンが「お墨付き」を与えた新型クワと、同じく推奨した改良種の種子の配布手配を、淡々と進めることにした。
(……まあ、結果的に、新しい農具と種が普及するなら、それで良いのかもしれない……。理由はともあれ……)
彼は、諦観にも似た境地に至りつつあった。
数日後。
領内の畑では、農民たちが真新しいクワを手に、意気揚々と(あるいは、領主への恐怖から必死に)土を耕す姿が見られた。
新型クワは、実際に従来の物よりも格段に使いやすく、作業効率は目に見えて上がった。
改良された種も、順調に芽を出し始めている。
「おお! このクワ、本当に軽い力で土が掘れるぞ!」
「領主様のお墨付きは伊達じゃねぇな!」
「こりゃあ、今年は豊作間違いなしかもしれん!」
農民たちの間では、新型クワとゼノン領主への称賛の声が上がった。
エリオットが苦労して説明した「なぜ効率が良いのか」という理由は忘れ去られ、「領主様が良いと言ったから良いのだ」という、単純明快な(そして勘違いな)結論だけが残った。
ゼノンは、領内視察(という名の散歩)の途中で、農民たちが新しいクワを使って熱心に働いている様子を見て、ご満悦だった。
「ふむ。私の『お墨付き』の効果は絶大だな。農民どもも、ようやく真面目に働くようになったか。これも全て、私の威光のおかげよ」
彼は、全てが自分の指導力の賜物だと信じ、満足げに頷いた。
畑の隅では、ボルコフが、他の下働きと共に、肥料を運ぶ作業をさせられていた。
彼は、農民たちが楽しそうに新しいクワを使い、領主を称賛している声を耳にするたびに、苦虫を噛み潰したような顔で、黙々と作業を続ける。
その瞳の奥の暗い光は、消えることはなかったが、今はまだ、事を起こす時ではないと、じっと耐えているようだった。
こうして、ヴァルモン領の農業改革は、領主の「お墨付き」という、予期せぬ(そして勘違いに満ちた)後押しを受けて、大きな一歩を踏み出した。
その成果が実を結ぶのは、まだ少し先のことになるだろう。
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