第20話 聳え立つ柱とそれぞれの思惑
ヴァルモン領の城門前に、奇妙な記念碑……いや、「未来への希望の象徴」とされる石柱が完成してから数日が過ぎた。
何の特徴もない、ただ磨き上げられた石の柱が、青空の下に真っ直ぐと聳え立っている。
それは、見る者によって様々な解釈を許す、不思議な存在感を放っていた。
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンは、自室の窓から見えるその石柱を眺めては、悦に入っていた。
「ふむ……。何度見ても、実に素晴らしい。私の無限の可能性を、これほど的確に表現した芸術作品は他にないだろう」
彼は、あのシンプルな柱に、自分だけが理解できる深遠な意味を見出し、完全に満足していた。
父上が建てた悪趣味な像よりも、よほど洗練されており、かつ威厳に満ちているとさえ感じている。
「これも、私の慧眼と、的確な指導の賜物だな」
ゼノンは、自分の功績を疑うことを知らない。
彼は、この記念碑の完成によって、領主としての威厳がさらに高まったと確信していた。
宰相コンラートと騎士リアムは、ゼノンのその(勘違いに満ちた)満足ぶりを見て、自分たちの解釈が正しかったのだと、さらに確信を深めていた。
「ご覧ください、リアム殿。若様は、あのお柱を眺めて、ヴァルモン領の輝かしい未来に思いを馳せておられるのだ」
「はい、コンラート閣下! 若様のお考えの深さ、そしてそのお姿……。このリアム、ただただ感服するばかりでございます!」
二人は、日々、記念碑の前を通るたびに、その「深遠な意味」について語り合い、主君への忠誠心を新たにするのだった。
そして、彼らは領民たちにも、この記念碑が持つ(とされる)素晴らしい意味……「未来への希望」「領主様の無限の可能性」「ヴァルモン領の新たな出発」などを、積極的に広めていった。
その結果、領民たちの間でも、最初は「ただの棒じゃないか」と訝しんでいた者たちも、次第に「なんだかありがたいものらしい」「領主様が建ててくださった、未来の象徴なんだって」と、好意的に受け止める雰囲気が醸成されつつあった。
特に、孤児院の子供たちは、デザインを考えたルドルフの話を聞いて、あの柱に自分たちの未来への希望を重ね合わせ、時折、柱の前で遊んだり、見上げたりするようになった。
パン屋の娘リリアも、店から見える石柱を眺めながら、ぼんやりと考えていた。
(領主様が建てた、未来の柱……。ルドルフ君が考えたんだっけ。不思議な柱だけど、見ていると、なんだか心が落ち着くような気がする……。領主様は、本当に先のことを考えてくださっているのかもしれない……)
彼女の中で、ゼノンへの尊敬と、少しばかりの親近感(?)は、勘違いと共に育っていく。
一方、監察官エリオットは、この状況を冷静に、しかし依然として困惑しながら観察していた。
(結果的に、領民の統合や士気の向上に、この柱が役立っている……ように見える。コンラート殿たちのプロパガンダの賜物かもしれんが……。それにしても、あの領主の勘違いが、ここまで事態を動かすとは……)
彼は、記念碑建設という(彼にとっては)無意味な事業が一段落したことを機に、本来の目的である領政改革……特に農業改革やギルドの本格的な運営支援に、再び注力しようと考えていた。
彼はコンラートに、試験農場の結果報告と、今後の拡大計画について相談を持ち掛けた。
「コンラート殿。記念碑も完成したことですし、中断していた農業改革の件ですが……」
「おお、エリオット殿。そうであったな。試験農場の結果は上々だと聞いている。これも、ゼノン様のご英断のおかげよ」
コンラートは、すぐにゼノンの手柄に結びつける。
エリオットは内心で溜息をつきつつも、話を続けた。
「つきましては、新しい農法や農具を、他の地域にも広めていきたいと考えております。予算の確保と、農民への説明会の開催が必要ですが……」
「うむ、よかろう。領主様も、領地のさらなる発展は望んでおられるはず。すぐに予算を調整し、手配を進めよう」
コンラートは、ゼノンの(存在しない)意向を汲み取り、快く協力することにした。
エリオットは、そのスムーズな展開に安堵しつつも、やはり全てが「ゼノン様のおかげ」とされるこの領地の奇妙な力学に、一抹の虚しさを感じずにはいられなかった。
そして、領内の変化に取り残され、ただ屈辱的な労働を強いられている男がいた。
ボルコフである。
彼は、記念碑建設の後も、ギルドの下働きとして、雑用や力仕事をさせられていた。
領民たちが「未来の象徴」とやらをありがたがって眺めている姿や、かつての同業者たちがギルドで楽しそうに(彼にはそう見えた)活動している様子を見るたびに、彼の心にはどす黒い感情が渦巻いた。
(未来だと? 希望だと? ふざけるな……! 俺の未来は、あの若造領主と、ギルドの奴らに奪われたんだ!)
監視の目は以前より緩んでいるように感じられた。
記念碑が完成し、ギルドも軌道に乗り始めたことで、城内の空気も少し弛緩している。
ボルコフは、この状況を、脱出のための好機と捉え始めていた。
ヴァルモン領は、一つの大きな(そして奇妙な)事業を終え、新たな段階へと進み始めていた。
改革の動きは加速し、領民の間には一体感が生まれつつある。
そして、全ての中心にいるはずの領主ゼノンは、相変わらず自分の世界の中で、偉大な父の幻影を追い続けているのだった。