第16話 領主様のお墨付き
ヴァルモン領に職人ギルドが設立されてから、数週間が経過した。
発足当初こそ、領主ゼノンへの恐怖からくる緊張感が漂っていたものの、初代ギルド長に就任した老木工師ゲルトの温厚な人柄と、監察官エリオットによる実務的な助言、そして宰相コンラートの堅実なサポートによって、ギルドは少しずつではあるが、その機能を果たし始めていた。
共同での資材購入は、個々で買うよりも安価で質の良い材料を安定して手に入れることを可能にした。
品質基準に関する議論は、職人たちの間に健全な競争意識を生み出し、互いの技術を高め合うきっかけとなりつつある。
若い職人向けの技術講習会も開かれ、これまで閉鎖的だった知識や経験が、少しずつ共有されるようになってきた。
「ふむ……。ゲルト殿、順調なようだな」
コンラートは、ギルドの事務所として使われている城下の一室で、ゲルトから報告を受けながら満足げに頷いた。
「は、はい。これも全て、領主ゼノン様と、コンラート様、そしてエリオット様のおかげでございます」
ゲルトは、まだ少し恐縮した様子を見せながらも、その表情には以前にはなかった充実感が浮かんでいた。
「うむ。領主様も、きっとお喜びになるだろう」
コンラートは、ゼノンがギルドのことなど微塵も気にかけていないとは露知らず、そう言ってゲルトを励ました。
その会話を、少し離れた場所で聞いていたエリオットは、静かに書類に目を通していた。
ギルドの運営は、予想以上に順調に進んでいるように見える。
恐怖から始まった組織ではあったが、共通の目的と利益が、職人たちの間に新たな連帯感を生み出しているのかもしれない。
(あるいは……恐怖という強制力が、かえって改革を迅速に進める触媒となったのか? 皮肉なものだ……)
彼は、ヴァルモン領で起こる出来事が、王都での常識や理論だけでは測れないことを、改めて実感していた。
そして、その改革の中心人物と目されているゼノン領主への評価は、依然として定まらない。
一方、その頃、領主ゼノン・ファン・ヴァルモンは、自室で退屈を持て余していた。
最近、領内が妙に静かだ。
税の徴収も、街道の治安も、厄介な借金問題も、少し前の凶作騒ぎも、いつの間にか片付いている。
王都の役人も大人しくしているし、職人たちも従順になった。
(ふむ……。私の統治は完璧だな。父上がご覧になったら、きっと『よくやった』と褒めてくださるだろう)
ゼノンは一人悦に入っていたが、同時に、何か物足りなさも感じていた。
(しかし……父上は、もっとこう……常に何か大きなことを成し遂げて、その威光を示しておられた気がする……。私も、何か『領主らしい』、どデカいことをやるべきではないか?)
父が実際には、悪巧みや贅沢三昧、民からの搾取といった「大きなこと」をしていたとは知らないゼノンは、父の偉大さに追いつくための新たな行動を模索し始めた。
(そうだ! 父上は、自分の偉業を称えるために、立派な『記念碑』を建てておられた! あれこそ、領主の威厳を示す最高の手段だ!)
ゼノンは、先代が悪趣味な彫刻や像を領内のあちこちに建てては、自己満足に浸っていたことを思い出した。
あれこそが「領主らしい」偉大な行為なのだと、彼は信じている。
「コンラート! リアム! すぐに参れ!」
呼びつけられたコンラートとリアムは、何事かと急いで執務室に駆けつけた。
「貴様ら、良いことを思いついたぞ!」
ゼノンは、椅子にふんぞり返ったまま、得意げに告げた。
「この私の偉大な統治と、父上の偉業を称える、壮大な『記念碑』を建てる! 場所は……そうだな、城門のすぐそばが良いだろう! 領民どもや、他所から来る者たちに、我がヴァルモン家の威光を見せつけてやるのだ!」
「き、記念碑、でございますか……?」
コンラートは、またしても始まった領主の突拍子もない思いつきに、眩暈を覚えた。
ただでさえ財政は火の車だというのに、今度は記念碑建設とは……。
しかも、先代が建てた悪趣味な代物は、ことごとく領民の顰蹙を買っていたはずだ。
(ああ……若様……。なぜまたこのような……。いや、待てよ?)
コンラートの(もはや病的な)ポジティブ解釈回路が、再び作動を始める。
(記念碑……。それは、単なる自己顕示欲ではないのかもしれない。領主としての威厳を示す……つまり、領地の『象徴』となるものを建設することで、領民の心を一つにまとめ、士気を高めようというお考えなのでは!? 先のギルド設立も、この孤児院も、全てはこの『象徴』建設への布石だった……!?)
その隣で、リアムは既に目を輝かせていた。
「記念碑! なんと素晴らしいお考えでしょう、ゼノン様! ゼノン様と先代様の偉業を形にのこし、後世に伝える! そして、それを見た領民たちは、自分たちが偉大な領主様に治められていることを誇りに思い、ますます領主様への忠誠を深めることでしょう! さすがはゼノン様です!」
「……ふ、ふん。分かっているではないか、リアムよ」
ゼノンは、リアムの的確な理解に満足し、コンラートに向き直る。
「コンラート! 早速、設計を……いや、待て。設計は、新しくできたあの『ギルド』の者どもに競わせるが良い!」
ゼノンは、さらなる名案を思いついた。
「私の偉業を称える記念碑だ。最高のデザインでなければならん。ギルドの職人どもに、最高の技術とアイデアを結集させ、競わせるのだ! 最も優れたデザインを採用し、それをギルドの総力を挙げて建設させる! これぞ、ギルドの有効活用というものだろう!」
(ギルドに競わせる……!? そして、選ばれたデザインを、ギルドの力で建設……!?)
コンラートは、ゼノンの発想に、またしても感服した。
(なんと……! 若様は、記念碑建設という事業を通じて、ギルド内の競争を促し、技術力を向上させ、さらにギルドの結束力を高めようとされているのだ! 建設事業そのものが、ギルドの実績となり、領民へのアピールにもなる! 一つの事業で、これほど多くの効果を……! 深すぎる……! 恐るべき深謀遠慮!)
コンラートは、もはやゼノンを崇拝に近い念で見つめていた。
リアムも、興奮気味に頷く。
「素晴らしい! ギルドにとっても、これ以上ない名誉な仕事! 職人たちも、領主様直々のご命令とあれば、きっと最高の仕事をするに違いありません!」
「うむ。そういうことだ。早速、ギルドに伝え、デザイン案を提出させよ。期限は……そうだな、ひと月後だ。怠けるでないぞ!」
ゼノンは、自分の命令が完璧に理解され、実行に移されることに満足し、尊大に命じた。
「「ははーっ!」」
コンラートとリアムは、力強く返事をした。
こうして、ゼノンの「父の悪趣味な浪費の真似」命令は、「ギルド育成と領民統合のための記念碑建設プロジェクト」として、コンラートとリアムによってギルドに伝えられることになった。
ギルド長ゲルトをはじめ、職人たちは、領主直々の(しかも、やや無茶な)命令に驚き、困惑した。
記念碑のデザインなど、専門外の者がほとんどだ。
しかし、領主の命令は絶対である。
しかも、「最高のデザイン」を競わせるという。
断ることも、手を抜くこともできない。
職人たちは、頭を抱えながらも、それぞれの分野の知識や技術を活かし、必死でデザイン案を考え始めた。
木工師は木の温もりを活かしたデザインを、石工は石の堅牢さを表現したデザインを、そしてなぜか革細工師までもが、革を使った記念碑のデザインを考え始める始末。
図らずも、この記念碑プロジェクトは、ギルド内の職人たちに、これまでにない協力と、そして新たな発想を生み出すきっかけを与えることになった。
中には、これをチャンスと捉え、他の職人に負けじと、夜遅くまで図面とにらめっこする者も現れた。
エリオットは、この新たな展開に、またしても頭を抱えていた。
(記念碑……? なぜ今……? しかも、ギルドにデザインを競わせる? 全く意味が分からない……。いや、あるいは、これも何か計算された……? いやいや、そんなはずは……)
彼は、この領地で起こる出来事の「合理性」を見つけようとすればするほど、深い迷宮に迷い込んでいくような感覚に陥っていた。
ゼノンは、自分の命令がもたらしたギルド活性化の様子に、満足げな笑みを浮かべていた。
(ふふふ……。私の采配一つで、職人どももやる気を出すではないか。やはり、領主とはこうでなくてはな!)
ヴァルモン領の未来は、領主の壮大な勘違いと、それに振り回される人々の努力によって、今日もまた、奇妙な方向へと進んでいくのだった。