第15話 職人ギルド、発足す
鍛冶屋ボルコフの失脚は、ヴァルモン領の職人たちに大きな衝撃を与えた。
領主ゼノン・ファン・ヴァルモンへの恐怖は決定的なものとなり、ギルド設立に対する表立った反対意見は、もはや完全に消え去っていた。
抵抗勢力がいなくなったことで、ギルド設立の準備は、宰相コンラートと監察官エリオットの主導の下、驚くほどのスピードで進められた。
エリオットが作成したギルド規約の草案は、コンラートによってヴァルモン領の実情に合わせて細かく調整され、形式的に開かれた職人たちの代表者会議で、満場一致(という名の、誰も逆らえない状況)で承認された。
規約には、品質基準の維持、技術の共有と継承、不正競争の防止、共同での資材購入や販路開拓などが盛り込まれ、理想通りに運用されれば、領内の産業にとって大きな力となるはずの内容だった。
役員の選出も行われた。
初代のギルド長には、領内で最も尊敬を集める老木工師のゲルトが、周囲からの強い推薦(と、断れない圧力)を受けて就任した。
彼は温厚で実直な人柄で、その技術は誰もが認めるところだったが、先代の時代にはボルコフのような者に押しのけられ、不遇をかこっていた人物だ。
他の役員にも、各分野から比較的前向きで、かつボルコフ一派とは距離を置いていた職人たちが選ばれた。
そして、全ての準備が整い、ヴァルモン領職人ギルドの発足を記念する、ささやかな式典が、城の広場で執り行われることになった。
当日は、ギルドに加入する職人たちとその家族が集まり、広場は久しぶりに多くの人々で賑わっていた。
もちろん、宰相コンラート、監察官エリオット、騎士リアムの姿もある。
そして、主賓席には、ふんぞり返って座る領主ゼノンの姿があった。
ゼノンは、この式典に領主としての当然の義務だと考えて出席してはいたが、内心では「職人どもの集まりなど、どうでも良いのだがな」と思っていた。
しかし、父ならば、こういう公の場でこそ、領主としての威厳を最大限に示したはずだ。
彼は、父を真似て、尊大な態度を崩さずに周囲を見渡していた。
式典が始まり、コンラートによる開会の辞、エリオットによるギルド設立の意義の説明などが粛々と進められた。
そして、初代ギルド長に就任した老木工師ゲルトが、緊張した面持ちで壇上に上がった。
彼は、深く一礼すると、震える声で挨拶を始めた。
「えー……ただ今、ご紹介に預かりました、ギルド長を拝命いたしました、木工師のゲルトでございます。本日は、ヴァルモン領職人ギルドの発足、誠に……誠に、感無量でございます」
ゲルトの声は、長年の苦労と、そして今の状況への戸惑いと、それでも未来への微かな希望が入り混じっているように聞こえた。
「我々職人は……先代様の御代には、決して恵まれているとは言えませんでした。しかし、この度、若き領主ゼノン様が、我々職人の未来をお考えくださり、監察官様のご助言もお聞き入れになり、こうしてギルドという新たな道を拓いてくださいました」
ゲルトは、ちらりとゼノンの方を見やり、再び深く頭を下げた。
「領主閣下の深いお考えと、時に厳しいご指導、そしてその大いなるご決断がなければ、今日の日はありませんでした。領主閣下には、心より、感謝申し上げる次第でございます……」
彼の感謝の言葉は、本心からの部分もあれば、恐怖からくる追従もあっただろう。
周囲の職人たちも、複雑な表情で頷いていた。
「我々ギルド一同、今後は領主閣下のご期待に応えるべく、技術の向上に励み、ヴァルモン領の発展に貢献していく所存でございます……!」
ゼノンは、ギルド長の感謝の言葉を、当然のこととして受け止めた。
彼は満足げに、そして尊大に頷き返した。
(ふむ。私の威厳が、ようやくこの職人どもにも理解されたようだな。これで良いのだ。領主とは、恐れられ、敬われてこそなのだからな)
彼は、自分の統治がまた一つ成功を収めたと、確信していた。
エリオットは、ゲルトの挨拶を聞きながら、複雑な思いを抱いていた。
ギルドが無事に発足したこと自体は喜ばしい。
これが領地の発展に繋がることを、彼は心から願っている。
しかし、その成立過程にあった、ゼノンの恫喝という名の「決断」を思い返すと、素直には喜べなかった。
(恐怖によって生まれた組織が、本当に健全に機能するのだろうか……? だが、他に方法はなかったのかもしれない……)
彼は、ヴァルモン領の現実と、自身の理想とのギャップに、改めて向き合わざるを得なかった。
コンラートは、感無量の面持ちで式典を見守っていた。
ゼノン様の「深謀遠慮」(と彼が信じるもの)が、また一つ実を結んだ。
職人たちが団結し、領地の産業が活性化すれば、財政再建にも繋がるかもしれない。
彼は、ゼノンへの尊敬と感謝の念を、さらに強くしていた。
式典の喧騒から少し離れた場所では、一人の男が黙々と広場の掃除をさせられていた。
みすぼらしい服を着て、俯きながら箒を動かすその男は、かつて他の職人たちを顎で使っていた鍛冶屋の親方、ボルコフだった。
財産も工房も没収され、ギルドの下働きとして無報酬で働かされている彼は、もはや以前の威勢など見る影もない。
通りかかる職人たちからの、侮蔑や、あるいは哀れみを含んだ視線に耐えながら、彼はただ唇を噛み締めていた。
ゼノンの下した「裁き」は、彼の肉体ではなく、そのプライドを徹底的に打ち砕いていたのだ。
式典が終わると、職人たちの間では、早速、今後の活動についての話し合いが始まっていた。
共同で仕入れる資材のリスト作り、若い職人のための技術講習会の計画、領外への販路を探るための情報交換……。
恐怖から始まったギルドではあったが、その中には確かに、新たな協力体制と、未来への希望の芽が生まれ始めていた。
ヴァルモン領の産業に、新しい風が吹き込もうとしている兆しが見えた。
ゼノンは、式典が終わると早々に城へ戻り、自分の「素晴らしい統治」に満足しながら、次の「父上の真似」は何をしようかと考え始めていた。
コンラートとリアムは、ギルド発足という大きな成果に喜び、主君の偉大さを改めて讃え合った。
エリオットは、一定の成果を認めつつも、この領地と、その中心にいる不可解な領主への謎を、さらに深めていくのだった。
ヴァルモン領の未来は、多くの勘違いと、一握りの真摯な努力によって、少しずつ、しかし確実に変わり始めているように見えた。